坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

  2021年4月25日 主日礼拝説教  「神殿より大切なもの」

聖 書 使徒言行録7章44~53節

説教者 山岡 創 牧師

7:44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋(まくや)がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
7:45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
7:46 ダビデは神の御心に適(かな)い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
7:47 神のために家を建てたのはソロモンでした。
7:48 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
7:49 『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩(いこ)う場所はどこにあるのか。
7:50 これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか。」』
7:51 かたくなで、心と耳に割礼(かつれい)を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。

「神殿より大切なもの」
 2005年4月24日。この日付は何の日か分かりますか?この日は、この会堂で初めての礼拝を守った日です。その日、礼拝堂の入口に張っていた紅白のテープを、建築委員長だったTさんがハサミで切って入堂したことを思い出します。大人46名、子ども19名、みんな、喜びにあふれていました。
 私たちの教会は、1992年4月に、坂戸伝道所としてスタートしました。当時の会堂は、同じ泉町内で、高麗川大橋のたもとにある中古の家屋をリフォームしたものでした。礼拝する部屋は、ここのロビーの3分の2ぐらいの広さ(18畳)しかありませんでした。
 やがて段々と人が増え、1階には大人、2階には子どもがあふれるようになりました。私たちは会堂建築を決心しました。資金などほとんどないところから、献金をし、教会債権を買っていただき、この土地を購入し、会堂を建てました。
 私は当時、北坂戸のアパートに住んでおり、この場所は、前の会堂との中間地点でした。ですから、行き帰り、毎日のように寄っては、建築が進んでいく様子を見て、ワクワクしていました。足場が建てられた時は、独り登ってみたこともありましたし、骨組みと屋根と床ができた時には、青年たちと夜、こっそりと3階まで登って、お菓子を食べながら歓談したこともありました。完成が楽しみで仕方ありませんでした。
 そして、2005年4月、この会堂が完成しました。引き渡され、古い会堂から荷物を皆で運び、4月24日に初めての礼拝。皆、笑顔だったに違いありません。
 けれども、です。立派な会堂があっても、それは“教会”ではありません。冷静に考えれば建物に過ぎません。教会とは何か?大切なことは何か?それを考え続けて来ました。そして、今日の御言葉は、その大切なものを私たちに問いかけてきます。
        *
 さて、モーセに導かれ、エジプトの奴隷を脱したイスラエルの人々は、荒れ野を旅して、乳と蜜が流れていると言われるカナンの地を目指しました。不安を抱える人々に必要なのは、彼らを導き、励ます神の言葉だ。そう考えたモーセは、シナイ山という山に登り、神さまから「律法」という神の言葉をいただき、人々に伝えました。
 特に律法の中心である十戒は、石の板に刻まれ、契約の箱に納められ、運ばれました。彼らはテント暮らしです。だから、旅の途中、宿泊する時には、人が休む場所とは違うテントが一つ張られ、そこに契約の箱が安置されました。それが「幕屋」(44節)です。契約の箱は神の存在の象徴であり、人々は、箱が安置してある幕屋に神さまは住んでおられる、自分たちと共におられると信じていました。
 やがて彼らはヨシュアに導かれ、カナンの地を占領し、王国を造ります。そして2代目の王ダビデは、領土を広げ、宮殿を建てます。しかし、自分は宮殿に住んでリッチな生活をしているのに、神さまはまだテント暮らしじゃないか!そのことにハッとしたダビデ王は、神殿を建てようと決心します。そして、その決心は息子のソロモン王に受け継がれ、実現されます。神殿はそこに神が共におられる王国の安定と平和の象徴でした。
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 けれども、そこに神は住んでおられるのか?神はイスラエルの人々と共におられたのか?否(いな)!とステファノは断言します。「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」(48節)
ここで話は、イスラエルの歴史から“今”に戻ります。今、ステファノの裁判がユダヤ人の最高法院で行われています。彼は、教会に嫉妬し、敵意を燃やすユダヤ人たちから、「この男は、この聖なる場所(神殿)と律法をけなして、一向にやめようとしません」(6章13節)と訴えられました。その訴えに対して、彼は法廷で、イスラエルの歴史を語り続けてきました。そして、証言が神殿建築に至った時、ステファノは裁判の争点に戻って来ます。神殿と律法をけなした、という問題です。
 あなたがたはエルサレム神殿を徒(いたずら)に誇っている。神はそこに住み、自分たちと共におられると自負している。けれども本当にそうだろうか?否(いな)!。ステファノは断言します。
 ステファノは49~50節で、イザヤ書66章にある預言者イザヤの言葉を引用して、神さまは神殿に住むのではないことを証言します。「天はわたしの王座、地はわたしの足台」(49節)、ご自分が造られた世界の中で、人が造ったものに神さまはお住みにならない、ということです。でも、神さまは天から神殿に目を注ぎ、祈りを聞いてくださる方です。
 けれども、イザヤ書66章は続けて、イスラエルの人々が、神の言葉である律法に聞き従っていない罪を訴えます。神殿で、形だけは神さまを礼拝し、献げ物をささげても、自分勝手なことばかり、自分の欲望願望にまみれたことばかりを行っている。不正を行い、隣人をないがしろにしている。そんなことでは、神さまが神殿に住まないどころか、祈りさえ聞かれず、礼拝さえ目を注いではもらえまい。そんなあなたがたと神は共におられるのか?否!。ステファノは断言します。
 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたはいつも聖霊に逆らっています」(51節)。割礼とは、イスラエルの人々が神さまと救いの契約を結んだ証明として体に刻むしるしです。けれども、体に割礼を刻んでも、心と耳に割礼を受けていなければ意味がない。つまり、神の言葉に心を開き、聞き従うのでなければ、どんなに神殿が立派でも、律法をたたえても、割礼を受けていても意味がない。だから、神殿と律法をけなし、ないがしろにしているのは、私ではなく、むしろあなたがたではないか!訴えられたステファノが、反対に訴えた人々に問いかけ、その心と耳に訴えています。
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 主イエスもかつて、神殿とその礼拝の様子を見て、「強盗の巣」(ルカ19章46節)だと非難し、大暴れしたことがありました。それは、祭司も商人も自分の欲で神殿を運営し、そこで祈るファリサイ派の人々も、神の言葉に心を開き、悔い改め、聞き従っていなかったからです。隣人をさげすみ、差別していたからです。
 その様を非難したことがきっかけとなり、主イエスは、彼らに十字架にかけられ、殺されたのです。

 そんな主イエスは、神さまはどこにいると語っておられるでしょうか?「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13章34~35節)。最後の晩餐の席上で、主イエスは弟子たちにこうお教えになりました。弟子であることを皆が知る。それは言い換えれば、“あぁ、神さまは確かにあなたがたのところにおられる”と皆が認める、ということでしょう。
 この会堂で礼拝を始めてから今日でほぼ16年、そのことを祈り、願い続けて来ました。どんなに会堂が大きく、立派になったとしても、そこに集まる私たちが、お互いに比べ合って誇っていたり、悪口陰口を言い合っていたり、いがみ合い、争い合っていたら、だれも、この教会には神さまがいる、とは思わないでしょう。だれも、ここに来たいとは思わないでしょう。心と耳にこそ洗礼を受け、主イエスの言葉を聞き、悔い改めながら、御言葉に従い、共に礼拝を守ってこそ、教会です。主イエスに愛されていることを信じ、互いに愛し合い、祈り合い、受け入れ合い、助け合ってこそ、神は私たちと共おられると心から信じることができ、また周りの人も感じてくれるでしょう。
 もちろん私たちは罪や欠点を抱え、信仰も愛も不完全です。だから、主の道から外れ、失敗することもあります。けれども、そのことに気づかせていただき、悔い改め、共に祈り、主の御言葉に聞き従い、愛し合う教会を、これからも目指して進みましょう。

 

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