坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

  2021年6月20日 主日礼拝説教  「起き上がる」

聖 書 使徒言行録9章32~43節

説教者 山岡 創 牧師

◆ペトロ、アイネアをいやす
9:32 ペトロは方々を巡(めぐ)り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。
9:33 そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。
9:34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
9:35 リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。
◆ペトロ、タビタを生き返らせる
9:36 ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善(よ)い行いや施(ほどこ)しをしていた。
9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
9:38 リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。
9:39 ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
9:40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
9:41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
9:42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
9:43 ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。

「起き上がる」

 ~ 主イエスの思いをたどる ~
 きみ、本当にペトロなの?!今日の聖書の箇所を最初に読んだ時、そういう違和感を感じました。ペトロがアイネアを癒(いや)し、更にタビタを生き返らせたからです。百歩譲(ゆず)ってペトロがアイネアの病を癒したことはよしとしましょう。以前にも、ペトロが神殿で足の不自由な人の手を取り、立ち上がらせ、歩かせたことがありました。
 けれども、奇跡の業はそれだけでは終わりません。なんとヤッファに住むタビタという婦人をペトロが生き返らせた、というのです。イエス様と同じ、もはや神レベルです。
とは言え、よくよく考えれば、これはペトロ本人の力ではなく、聖霊なる神さまの働き、ペンテコステの日にペトロに降(くだ)り、宿った聖霊の力だ、ということなのでしょう。それにしても、信じがたい驚きと疑い、違和感を感じずにはいられません。
 現代のクリスチャンである私たちも、聖書を読みながら、聖霊なる神さまが自分にどのように働いてくださるかを考えます。聖書を悟(さと)らせてくださった。悔い改めに導いてくださった。自分の人生を支え、導いてくださっていた。目には見えず、直接的な働きではないけれど、私たちはそんなふうに聖霊なる神さまの働きを信じるでしょう。
 そういう受け止めからすれば、ペトロにおいての聖霊の働きは、私たちとはかけ離れ過ぎていて、全くもって現実味がない、私たちの信仰生活には起こり得ない出来事だと感じるのです。この話を信じたら、はい、お仕舞いという話になってしまうのです。
                  *
 ふと、これはこの話を読む視点が違うのではないか、と思いました。癒しと奇跡から目を逸(そ)らして読み直してみると、今日の聖書の内容は、ペトロが、主イエスのなさった業、歩んだ道をなぞるようについて行っているということに気づきました。今日の聖書で「ペトロ」の名前のところを「イエス」と換えても、そのまま通じる話です。地上の生涯において主イエスは、人の病や障害がいを癒し、また死んだ人を生き返らせたこともありました。つまり、その業、その歩みをペトロはなぞっているのです。
 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1章17節)と主イエスに召されて、それ以来、主の弟子として従い、ついて行ったペトロでした。けれども、最初は何も分からず、思い違いをし、主イエスの成功に乗じて出世することばかりを夢見ていました。けれども、主イエスが十字架で処刑された時に、ペトロは、主イエスを見捨てて逃げ、主イエスの弟子であることを否定し、主イエスの死に際(ぎわ)を看取(みと)りもしませんでした。主イエスに従い、ついて行くことに、一度、完全に挫折をしたのです。
 そんなペトロが、復活した主イエスに赦(ゆる)され、再び遣(つか)わされ、約束された聖霊をいただいて、主イエスの愛と救いを宣べ伝えていくのが使徒言行録の話です。立ち直ったペトロが、聖霊に助けられながら、もう一度、主イエスの歩みをなぞり、主イエスについて行く。それが使徒言行録のペトロ物語の本質だと言っても良いでしょう。
 そのような視点で今日の聖書の箇所を読んでみて思うのは、ペトロは主イエスの思いが、主イエスの苦労が、主イエスの愛が身に染(し)みて分かっただろうなぁ、ということです。人は神の掟(おきて)である律法を行うから救われるのではなく、神さまに造られた者として、無償で救われ、無条件で愛されている。この福音を、悩み苦しんでいる人に何としても伝えようとする熱い思いが分かったでしょう。目の前に病や障がいで苦しんでいる人がいる。その人に神の力を注ぎ、癒さずにはおられない主イエスの優しさを知ったでしょう。しかし、癒しと奇跡の力にばかり注目し、信じて立ち帰ったとは言っても信仰を誤解している人々に、本当の神の救いを分かってもらうにはどうしたら良いのか悩んでいる主イエスの苦労を味わったでしょう。そのような思いと苦労の中で、最も大切なことは“愛”だと、神を愛すること、自分のように隣人を愛すること、互いに愛し合うことを大切にしている主イエスの愛の真髄を実感したことでしょう。ペトロがアイネアを癒し、タビタを生き返らせることにおいて体験しているのは、まさにそれだと思うのです。行うことで実は内面的に、主イエスに従い、ついて行っているという信仰体験です。
                  *
 主イエスの歩みをなぞるように体験し、ついて行く。一昨日の晩、ズームを使って数名の青年と御言葉の分かち合いをしました。聖書は、マルコによる福音書1章16~20節、主イエスが4人の漁師を弟子にする場面です。その中で、主イエスはペトロに向かって、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけ、召(め)されます。
 一人の青年が、英語の聖書でこの言葉を調べてみた、と語りました。「わたしについて来なさい」は英語だと、どういう表現になると、皆さん、思いますか? 私はそのままで“Follow me”かと思いました。けれども、英語聖書では、“Come with me”だと、その青年が教えてくれました。“一緒に行こう”、ニュアンスがだいぶ違う。「ついて来なさい」だと、イエス様の後ろから従う感じだけど、“一緒に行こう”だと、横並びの感じがすると、その青年が感じたことを証(あか)ししました。
 その言葉を聞いて、私はふと、〈足跡〉というマーガレット・パワーズの詩を思い起こしました。
 ある夜、私は夢を見た。私は、主と共に、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。 「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛(つら)いとき、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」
主はささやかれた。「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」
 主イエスの歩みをなぞるように歩んだ時、ペトロは、主イエスが、目には見えないけれど今も生きて働き、自分と共に、横並びに歩き、支えてくださる恵みを感じたのではないでしょうか。重荷を共に負ってくださる、軛(くびき)を共に負ってくださる、いや自分自身を背負ってくださる恵みを味わったのではないでしょうか。
                  *
 信仰生活とは、主イエスの歩んだ道をなぞるように歩くことです。もちろん私たちは、癒しの業(わざ)も、奇跡も起こすことはできません。けれども、日常生活と人間関係、イエス様ならどうするか?イエス様なら何と言うか?、なぞるように生きてみる。その時、主イエスの気持が、苦労が、愛がきっと、少しわかります。そして、主の思いを知ることで、自分はどんなに主イエスに愛されているかを知るようになるに違いありません。

 

リンク

インスタグラムへ 

  http://www.instagram.com/sakadoizumichurch524/>

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.Pへ

   http://sakadoizumi.holy.jp/