坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

f:id:sakadoizumi:20210928162158p:plain2021年9月12日 主日礼拝説教  「見える時が来るまで」 

聖 書 使徒言行録13章4~12節
説教者 山岡 創牧師

4聖霊(せいれい)によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、 5サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。 6島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。 7この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。 8魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。 9パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、 10言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。 11今こそ、主の御手(みて)はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。 12総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。


「見える時が来るまで」
 『空腹こそ最強のクスリ』。皆さん、このタイトルの本をご存じでしょうか?青木厚という、代謝や糖尿病を専門とする医師が書いた本です。この本の主張は、ずばりタイトルの通りなのですが、もう少し詳しく言うと、1日のうちに連続して16時間、断食(だんじき)する時間をつくりなさい。そうすれば、内臓本来の機能が回復して健康になると共に、オートファジーという、古い細胞を栄養にして新しい細胞が作り出されるという体の機能が発動し、細胞が入れ替わり、若々しい体を維持できる、というものです。
 この本を入口にして最近、健康や食物について、けっこう学びました。現代人の健康の敵‥‥それは糖質です。特に人工的に作られた糖質です。現代人は、糖質を摂り過ぎているために太りやすく、体の機能が壊され、病気になりやすいということです。しかも、人工的な糖質には中毒性があり、もっと欲しくなってしまうのだそうです。
 原因はこれかっ!私が痩せられないのも、痩せてもキープできないのも、血圧が上がるのも、この糖質という“悪魔”のせいか!‥‥健康のために脳の糖質依存をリセットし、体質改善をする必要がある。そう思って10日ほど前から取り組み始めたところです。
 健康に関して、まさに目が開かれた、という感じです。今までは何が原因か分からず、「だれか手を引いてくれる人を探し」(11節)て、暗中模索していました。でも、「光」(11節)が射しました。見える時が来た。後は、継続できるといいなぁ、と思います。
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 目が開かれ、それまで見えなかった「光」が見えるようになると、嬉しくて、それをだれかに話したくなります。私もそうですが、まさにサウロがそうでした。
 サウロははじめ、キリストの教えに反対し、教会を迫害しました。ところが、エルサレム教会を迫害し、更にダマスコの教会を迫害しに行く途中で突然、目が見えなくなります。そして、連れに手を引かれて、ダマスコのユダの家で療養することになりました。
 そこへ、でアナニアというダマスコ在住のキリスト者が、主イエスの霊のお告げによってやって来ます。アナニアはサウロに、あなたの目が見えなくなったのは、神の罰ではなく意味があり、神の目的がある。それは、あなたがこだわっている、(律法の)行い第一、成果を出さなければ意味がない、救われないという生き方を捨てなさい。どんな人でも愛するキリストの愛を信じて、目が見えなくなったあなた自身が救われなさい。そして、この救いの恵みを、ユダヤ人だけではなく異邦人にも、あなたが伝えるのです。それが、これからのあなたに、キリストが望んでおられることです。私の想像ですが、アナニアは、そんなふうにサウロに伝えたのではなかろうか、と思うのです。
 自分の人生は終わった。呪われた。そう思っていたサウロの心に「光」が射しました。行いがすべて、成果がすべての生き方しか知らなかったサウロが、どんな人も神さまに愛されている。命そのもの、存在そのものが尊い、という価値観に目覚めたのです。そうだったのか!これがキリストの教え、神の救いなのだ!彼は目が開かれたのです。
 サウロの肉眼はおそらく、生涯、元どおり見えるようにはならなかったと推察されます。でも、心の目が開かれ、救いの喜びを味わった。この喜びを、だれかに伝えずにはいられない。その思いに突き動かされ、アンティオキア教会で祈られて来た海外伝道、異邦人伝道の計画を、サウロは自ら買って出たのかも知れません。自ら、とは言え、その背後には、神の選びがあったと、使徒言行録13章2節は記しています。
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 サウロとバルナバはまず、バルナバの故郷キプロス島に船出します。そこで二人は、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという‥‥偽預言者(6節)に出会います。彼は、
セルギウス・パウルスという、キプロスを治めるローマ総督と交際がありました。とは言え、真実な交際ではなく、総督の権力を利用し、その威(い)を借りるために、魔術によって総督を欺き、取り入っていただけのように思われます。
 ところが、キプロスにサウロとバルナバが、キリストの救いを、愛と真実を携(たずさ)えてやって来ました。噂を聞いた総督は、会ってその話を聞きたいと言います。もしかしたら、同じユダヤ人であるバルイエスに、面会の仲介を頼んだかも知れません。
 しかし、バルイエスは、総督の心が自分から離れ、二人の方に傾いては一大事だと思い、キリストの教えを非難し、総督を信仰から遠ざけようとしたようです。
 宗教的にフェアな立場で言えば、バルイエスが何を信じ、何を伝え、何を非難しても、それはかまわないと思います。問題は、彼の心が「あらゆる偽りと欺きに満ちて」(9節)いたということです。偽りと欺き、簡単に言えば、嘘をついてだます、ということです。彼は総督を魔術という嘘でだまし、利用しようと近づいていた。嘘をついてキリストを非難し、総督を遠ざけようとした。彼の内には、自分の利益を優先する自己中心の願望のみがあった。総督の賢明な人柄に対する尊敬も誠実な態度もなく、ユダヤ教徒としての真実な愛と祈りもなかったのではないでしょうか。
 「今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」(11節)。サウロの宣告を機にバルイエスは目が見えなくなります。
 けれども、ある意味で彼がずっと目が見えなかったのです。自分が得をするために、嘘をつき、人を欺く。そういう生き方しかできなかったのです。愛と真実に生きる。祈りによって正直に生きる。それは時に、人にだまされたり、損をすることもあるかも知れません。でも、それでいい。そこに、私たちの命を造られた神さまの願いがある。そこに信頼が生まれ、平和が造り出され、必ず最後には幸せが訪れる。バルイエスは、そして私たちも、この真理に目が開かれる必要があります。
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 最初に、オートファジーという話をしました。空腹の時間をつくることで古い細胞を分解し、そのタンパク質から新しい細胞がつくられ、体を新しくする機能です。それによって私たちは明日を、健康で、若々しく、元気に生きることができるようになります。
 13章2、3節にもあるように、断食という空腹時間と礼拝とは1セットになっています。私はふと、断食が体のオートファジーなら、礼拝は“魂のオートファジー”の時間ではないかと思いました。私たちは1週間を過ごします。その歩みの中で、心の疲れ、傷、悲しみや悩みが、また偽りや欺き、不誠実、悪口や妬み、そういった“老廃物”が魂に溜まります。そのような魂を携えて、私たちは礼拝に臨みます。そして神さまに魂を開き、賛美し、祈り、御言葉を聞きます。そこで私たちの魂は、聖霊なる神さまの働きによってオートファジーされ、新たな魂となって、新しい1週間に、健やかに送り出されていくのではないでしょうか。真実と愛と祈りを取り戻すのではないでしょうか。
 礼拝とは、私たちの目が開かれる時です。日常的な開かれの時であり、またきっと、大きく開かれる時があります。信仰の目が開かれることを祈り求めていきましょう。

 

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