坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2022年1月23日 主日礼拝説教  「人生は導かれている 」 

聖 書  使徒言行録16章6~10節
説教者 山岡 創牧師

6さて、彼らはアジア州で御(み)言葉を語ることを聖霊(せいれい)から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。 7ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 8それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。 9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。 10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音(ふくいん)を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。


「人生は導かれている 」
 2020年4月に最初の緊急事態宣言が出されて以来、コロナ禍と呼ばれる状況が1年10ヶ月続いています。昨年の秋には、ワクチン接種も進み、だいぶ落ち着いてきたかなと思われていた矢先、オミクロン株という変異株が現れ、急激に広がりました。この先、いつまでコロナ禍が続くのか、未だ終息という名の“トンネルの出口”は見えません。
 コロナ禍のために、すべての人が、思うように生活できず、人生の計画変更を余儀なくされたのではないでしょうか。そして、その変化、変更によって苦しみ、悲しんでいる人も少なからずいます。教会もまた、礼拝(れいはい)を短縮し、聖餐式(せいさんしき)はできず、また会食や交わりの機会は激減しました。
 けれども、この変化と変更によって、今まで気づかなかったことに気づかされたり、新たな機会を与えられたり、今までとは違う道や目的を見つける、ということもあったのではないでしょうか。その中には、自分にとって“良いもの”もあったかも知れません。人生の変化は必ずしもマイナスばかりではありません。見方を変えると、良いものが見えてくることもあるのです。
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 パウロも計画変更を余儀なくされました。聖霊によって禁じられた」(6節)、「イエスの霊がそれを許さなかった」(7節)とあるように、神さまによる計画変更です。
異邦人の救いに割礼は必要なし。エルサレム教会で決められたこの決定事項を伝えるために、2度目の伝道旅行に出発したパウロでした。そしてリストラの町では、テモテという伝道に適任の人材を見つけ、さあ、これから!と意気込んでいたことでしょう。
 ところが、計画していた伝道の順路を変更せざるを得なくなったのです。実際にどんな事情があったのか、使徒言行録には何も記されてはいません。
 ここからは推測ですが、パウロは目の病を患っていたようです。そして、もしかしたらパウロはこの時、目の病が悪化したのかも知れません。そのために計画を変更し、医者を求めてエーゲ海に面する温暖な港町トロアスに下って行ったのではないでしょうか。そして、トロアスで一人の医者と出会います。ルカという人物です。
 ルカは、ルカによる福音書を書いたルカです。そして、学問的な研究によってルカによる福音書使徒言行録を書いたのは同じ人物だというのが定説です。ところで、どうしてパウロがトロアスでルカと出会ったと推測できるのか。それは、使徒言行録16章10節で重大な変化が起こっているからです。それは、使徒言行録の文章の主語が、「彼ら」から「わたしたち」(10節)に変化しています。これ以降、主語は「わたしたち」です。つまりこの変化は、使徒言行録の作者が、これ以降のパウロの伝道旅行に同行した、ということです。とすれば、その人物はルカによる福音書も書いた人物、つまりルカということになります。そしてルカは医者(コロサイ4章14節)ですから、医者が必要だったとすれば、パウロの目の病が悪化したからではないかと考えられるのです。
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 ルカとの出会いは、パウロに大きな影響を与えました。おそらくマケドニア州の事情をよく知っていたルカは、パウロからキリストの恵みによる救いを聞いて、エーゲ海を渡り、マケドニア州に行って、キリストの救いをぜひ宣(の)べ伝えてほしいと願ったのではないでしょうか。そのためには自分も医者として同行すると申し出たのかも知れません。パウロが幻に見た、マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」(9節)と願うマケドニア人というのは、実はルカ自身のことだったとも考えられます。
 パウロは、ルカの話を聞いて、マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだ」(10節)と確信したといいます。当初のパウロは、1回目の旅行で伝道した小アジア地方(現在のトルコ)の町々の信者を再び訪ねる予定だったと思われます。それが、計画していたように小アジア地方の町々を巡ることはできず、思いがけなくマケドニア州に渡ることになったのです。
 信仰がなければ、これらの出来事は偶然であり、偶然の出来事によってたまたま計画を変えざるを得なかった。たまたま新しい地域を、次の伝道の行き先にしようと自分で決定した、ということになります。そこには、“神”という存在は介在しません。
 けれども、神さまを信じる者は、自分の人生の背後に神のご計画があり、神さまに導かれていると信じます。神の計画と導きによって、私たち自身の計画や予定、思惑は変えられることがある。そして、そのような変更、変化は、自分にとって不都合だったり、苦しみ悲しみになる場合も少なからずある。でも、そのように感じられる出来事や事情、事態の中にも、神さまが導いておられるのだから、きっと意味があり、何かしら恵みがあると信じる。神の目的に召されていると信じて、ポジティブに受け止めるのです。自分にとって都合の良いことだけを有意義なこととして受け止めるのではなく、不都合なこと、苦しみや悲しみでさえも、意味あること、恵み深いこと、新たな目的につながることと考えるのです。信仰とは、そのように“神さまのご計画と導き”というメガネをかけて、自分の人生を見、世界を見て、捉(とら)え直すことにほかなりません。
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 2、3日前に、川越キングス・ガーデンの職員の方がわざわざ、施設見学会のために準備していた引き出物を届けてくださいました。キングス・ガーデンは、キリスト教精神に基づいて運営されている特別養護老人ホームです。
 キングス・ガーデンは2019年10月の台風により床上浸水の被害を受けました。その後、仮設の施設で養護の働きを営んで来ましたが、理事会は安全な場所への移転を決定。新しい施設が完成し、2月の入居者の転居を前に、見学会が行われる予定でした。それが、年明けのコロナ感染者の急増により見学会は中止せざるを得なくなりました。
 考えてみれば、台風による床上浸水が、思いがけない災難であり、キングスガーデンがそれまで考えていた計画や予定の変更を余儀なくされる大事件でした。職員や関係者は今までに経験したことのない業務に困惑し、苦労されたようです。けれども、新しい施設への移転を前にして、施設長の渡邉圭司さんは、この2年余りを振り返り、ガーデンの会報の中で、〈マイナスをプラスへ〉と題して次のように書かれています。
 ‥‥好むと好まざるとにかかわらずでしたが、この「これまでしたことのない体験」というものは、確かに大変なことではありますが、見方を変えると、体験により新しい能力やこれまでより広角に物の見方が創られてきたのだということに気づかされました。
‥‥法人や職員にとってはマイナスの影響ばかりではなく、この2年間の出来事が次の時代を迎えるための大きな基礎力が養われたように感じます。‥‥苦しみと思える出来事が不思議な導きの中でプラスに導かれていることに私たちは気付き、今、新たな使命へと夢が大きく広がっています。(『そよ風』No.320、巻頭言より)
 災難と労苦の中にも“不思議な導き”がある。マイナスをプラスへと導いてくださる神さまのご計画がある。新たな使命への召しがある。この導きを信じて、不安や悩みをも神さまにゆだねて進む時、私たちの人生は神の恵みと慰めに満ちた“喜びと感謝の人生”に変えられます。それを私たちは“信仰”と呼ぶのです。

 

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