坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「『お言葉どおり』を信じる」

2022年12月4日 待降節第二主日礼拝説教

聖 書 ルカによる福音書1章26~38節

説教者 山岡 創牧師
◆イエスの誕生が予告される 26六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣(つか)わされた。27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵(めぐ)まれた方。主があなたと共におられる。」29マリアはこの言葉に戸惑(とまど)い、いったいこの挨拶(あいさつ)は何のことかと考え込(こ)んだ。30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31あなたは身ごもって男の子を産(う)むが、その子をイエスと名付けなさい。32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33彼は永遠にヤコブの家を治(おさ)め、その支配は終わることがない。」34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35天使は答えた。「聖霊があなたに降(くだ)り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37神にできないことは何一つない。」38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去(さ)って行った。

「『お言葉どおり』を信じる」
 小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた‥‥
ユーミンこと、歌手の松任谷由実さんが今年、デビュー50周年を迎えました。そして、その記念として10月に『ユーミン万歳!』というアルバムが発売されました。私は、姉の影響で、小さい頃からユーミンのファンでして、早速(さっそく)買って来て聴いています。
このアルバムに『やさしさに包まれたなら』という曲が収録されています。ジブリのアニメーション映画『魔女の宅急便』のエンディングとしても採用されていますから、ユーミン・ファンでなくても聞いたことのある人は多いでしょう。その歌い出しが先ほど引用した歌詞です。
 小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた
 やさしい気持で目覚めた朝は おとなになっても 奇跡は起こるよ‥
“奇跡”を待ち望むシーズンを迎えました。待降節(たいこうせつ)アドヴェント、神が人となってこの世においでになった奇跡、クリスマスを待ち望むシーズンです。
話は変わりますが、皆さんの中には小さい頃、サンタ・クロースからのクリスマス・プレゼントを楽しみにしていた人もおられるでしょう。サンタが夢をかなえてくれる。そして、自分が願っていたプレゼントが届いたら大喜びで“サンタさん、ありがとう!”と、笑顔でお礼を言ったかも知れません。小さい頃は、そんなふうに信じていた。
けれども、段々と成長し、思春期を迎える頃には“サンタ・クロースなんていないんだ‥”と考え始める。そして、大人の仲間入りをする頃には、サンタ・クロースなんて、いないのが当然。考えさえしなくなっている。そんな経験をお持ちの方もこの中におられるのではないでしょうか。
けれども、本当にそうでしょうか?小さい頃はサンタ・クロースがいたけれど、大人になったら、いなくなるのでしょうか?そして神さまも、小さい頃にはいたけれど、大人になったら、いなくなるのでしょうか?いいえ!、おとなになっても奇跡は起こる、と私たちは知っています。信じています。
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 約2千年前のクリスマスに奇跡が起こりました。神の子がこの世にお生まれになる。その男の子を、おとめマリアがみごもる。しかも、マリアがまだ男の人を知らず、いいなずけのヨセフとも関係しないままみごもる。そのように天使ガブリエルはマリアに告げました。まさに奇跡以外の何ものでもありません。
 この出来事は、マリアにとってサプライズ!、神のサプライズでした。しかも、どちらかと言えば、あまり嬉(うれ)しくないサプライズでした。天使は「おめでとう」(24節)と言い、「恵みをいただいた」(30節)と告げます。でも、マリアにとっては「戸惑い」(29節)であり、「恐れ」(30節)であり、「どうして」(34節)と問い返し、抵抗せずにはいられないような、受け入れがたく、不条理な出来事にほかなりませんでした。
 だいたい、私たちが受け入れられないと思うような出来事は、人生のサプライズとして突然にやって来ます。災難も病(やまい)も、悲しみも困難もそうです。やって来ることが分かっていれば、私たちは考え、それなりの準備をして、その時を迎えるでしょう。そして多少の戸惑いや不安があっても、それなりに受け止めることができるでしょう。
 けれども、その出来事が思いがけない突然の事であればあるほど、私たちは考える時間も精神的な余裕も奪われてしまいます。持ち直し、受け入れられるようになるには、相当の時間ときっかけが必要でしょう。
 その意味では、マリアが、「どうして、そのようなことがありえましょうか」と戸惑い、抵抗した時から、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)と受け入れられるようになるまでには、実はかなりの時間と、何らかのきっかけが必要だったに違いありません。マリアは相当な時間を悩み苦しんだはずです。では、マリアが悩み苦しんだ末に、この出来事を受け入れられるようになったきっかけとは、いったい何だったのでしょうか?
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 マリアが変わったのは、天使ガブリエルの後半の言葉を聞いた後です。天使は言いました。「神にできないことは何一つない」(37節)と。
 神にできないことは何一つない。この神の全能を信じることが、私たちの信仰の基本であり、土台です。神さまはその力で、混沌(こんとん)の中から宇宙を造(つく)り、天地を造り、命をお造りになりました。その力があれば、マリアがみごもることも、キリストが復活することもできるのです。神の力を信じるなら、それが信じられます。
 もちろん、だからと言って、神さまは、私たちが願うことを何でも実現してくださるわけではありません。私たちは自分にとって不都合なこと、納得のいかないことが起こると、どうして神さまは?‥‥と思い、神さまにもできないことがあるんだ、と疑います。終(しま)いには、神さまなんて本当はいないんだ!と不信仰に陥(おちい)ることさえあるでしょう。けれども、それは信じ方がズレているのです。自分中心に、都合よく神さまを信じようとしているのです。この世には、また人生には実現しないことがある。でも、それは神さまにその力がないからではなく、そうすることが神さまの御心(みこころ)ではないからだ。私たちには分からないけれど、神さまには神さまのお考えがあり、必ず最善に計(はか)らい、導いてくださるのだ。そのように信じることが、神の力を信じる、ということです。
 次に天使は、「あなたの親類のエリサベトも‥‥男の子をみごもっている」(36節)と告げました。神の力が及んでいる人の具体的な例を示してくださったのです。
 私たちも、自分の周りにいる人で、その人が神さまを信じて生きている姿に、その人の証(あか)しの言葉に、“この人には確かに神さまの力が及んでいる。聖霊がこの人の内に働いている”と思うことがあるのではないでしょうか。普通なら受け入れがたい出来事を受け入れ、神さまを信じてポジティブに生きている。そのような人に、私たちはとても励(はげ)まされ、元気をいただきます。その人の生きざまに、自分の信仰も強められるのです。
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 そしてそのように、年をとり、「不妊の女」と見なされていたエリサベトさえ身ごもらせる神の全能の力があなたを包む。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(35節)と天使はマリアに告げました。
 最初に、ユーミンの『やさしさに包まれたなら』という曲を紹介しました。あの歌詞の続きはこうです。
 カーテンを開いて、静かな木漏(こも)れ陽(び)の やさしさに包まれたなら きっと
 目にうつる全てのことは メッセージ
 マリアを、そして私たちを包む神さまの力とは、私たちを最善に導(みちび)き、私たちに良い物をくださる力です。私たちを守る力、私たちを愛するやさしさです。私たちは神の愛の力で包まれているのです。愛されて生きています。
 だれかに愛されていると感じたら、世界が全く違って見えます。神さまの愛に包まれていると信じられたなら、目に映る全てのことはきっと、メッセージになります。戸惑(とまど)い、恐れ、どうして?と疑っていた出来事がきっと、「恵み」に見え、「お言葉どおり、この身になりますように」(38節)と受け入れられるように変えられます。それこそが、私たちが大人になっても起こり得る“信仰の奇跡”です。クリスマスの恵みです。
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私たちをやさしく包む愛。その愛を届けるために、神さまは独り子イエス・キリストを“愛のメッセンジャー”として、天からこの世に送ってくださいました。そのキリストを、私たちが心のカーテンを開いて迎え入れれば、キリストは愛を届けてくださる。心の内に霊となって、愛となって共にいてくださる。それがクリスマスの恵みです。

 

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