坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「地には平和」

2022年12月25日 クリスマス主日礼拝説教

聖 書 ルカによる福音書2章8~20節

説教者 山岡 創牧師
◆羊飼いと天使 8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶(おけ)の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心(みこころ)に適(かな)う人にあれ。」15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探(さが)し当てた。17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納(おさ)めて、思い巡(めぐ)らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

「地には平和」
 お生まれになった救い主イエス・キリストを最初に訪(たず)ね、礼拝したのは、羊飼いたちでした。野宿していた彼らのもとに天使が現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(11節)と告げます。そして天使の大群は賛美します。
「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)
 天使の賛美は、地に平和を願う神さまの心の反映であり、その実現は地の人々にとって「大きな喜び」(10節)となるものでした。この平和の鍵となる方、この喜びをもたらす方こそ、救い主イエス・キリストでした。羊飼いたちは、天使のお告げを見聞きし、主イエス・キリストをあがめ、神を賛美しながら帰って行きます。「今日」、羊飼いたちに代わって、天使の言葉を聞いているのは“私たち”です。私たちも「今日」、キリストによってもたらされる平和を信じ、喜びをもって神さまを賛美したいと願います。
       *
 ところで、2022年の年の瀬にあたって1年を振り返ってみると、平和ならざることが少なからずありました。2020年に始まった新型コロナ・ウィルス感染禍(かんせんか)は3年目を迎え、未だ落ち着くことなく、現在も増え広がっています。そのために激務で疲れている人、反対に収入が減り、仕事を失った人がいます。コロナのために愛する者を失った人がいます。病院に入院している家族や親しい友人にも思うようには会えません。私たちも何らかの影響を受けたでしょうし、教会も活動や交わりを制限せざるを得ない状況にあります。いったいどこに平和への糸口があると言うのでしょうか。
 また、今年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、昨日24日で10カ月となりました。ロシア軍は10月頃からウクライナの発電所等への攻撃を繰り返しており、厳しい冬を迎える中で人々の生活に深刻な影響が出ているということです。また、国外に避難した人々はそこで年を越すことになります。ロシアの人々もウクライナの人々も、このクリスマスをいったいどんな思いで迎え、過ごしているのでしょうか。
 けれども、クリスマスとは「大きな喜び」、大いなる平和の可能性を秘めているのです。ロシアとウクライナの戦争を考えながら、私はふと“クリスマスの休戦”というエピソードを思い起こしました。それは、第1次世界大戦下の1914年、12月24日から25日にかけて起きた出来事です。この日、最前線で対峙(たいじ)していたドイツとイギリスの兵士たちが共にクリスマスを祝ったと伝えられています。特にフランス北部では、イギリス軍の将校が、クリスマス・イブの夜、ドイツ軍の塹壕(ざんごう)の中に何か光るものを発見します。それはクリスマス・ツリーでした。さらに、耳を澄(す)ますとドイツ語で〈きよしこの夜〉を歌う賛美が聞こえてきました。それを聞いたイギリスの兵士たちも、英語で〈きよしこの夜〉を歌いました。そして夜が明けると、両軍の兵士たちが塹壕から出て来て、停戦状態が生じたといいます。
 両軍の兵士たちは、酒やたばこ、チョコレート等を交換し、記念写真を撮(と)ってクリスマスを祝いました。サッカーの試合を行った地域もありました。更には戦死者の遺体を回収して合同の埋葬式さえ行いました。まさに“クリスマスの奇跡”です。クリスマスを思う人の心に、あたたかい、優しい気持が生まれ、一次的とは言え“平和”が実現したのです。それができるぐらいなら、どうして戦争なんかするんだ?!と思われるかも知れません。本当にそうです。きっとだれも戦争なんて望んでいないでしょう。
 でも、やはり人間の心は難しいのでしょう。親しい戦友を殺された兵士の中には、敵を許せずクリスマスの休戦を望まない者もいました。当時、上等兵として従軍していたヒトラーは、クリスマスを祝(いわ)おうとする仲間たちを“戦時中にこのようなことをするべきではない”と叱(しか)りつけたといいます。休戦にならず、戦闘状態が継続した地域も少なからずありました。人の心には愛と憎(にく)しみが同居しています。
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 平和が生み出されるか、それとも対立と争いが続くか、その違いはどこにあるのでしょうか?クリスマスの夜、天使は歌いました。「地には平和、御心に適う人にあれ」と。つまり、神の御心に適う人のもとに平和は実現するということです。
 ならば「御心に適う人」とはどんな人でしょうか?それは、「栄光、神にあれ」と栄光を神に帰す人ではないでしょうか。神の愛を知り、神さまをあがめ、賛美し、神の御心に従って生きる人のことではないでしょうか。それは言い換えれば、自分に栄光を帰さない、自分の栄光を求めない人だと思います。私たち人間は、自分の栄光、名誉、利益、正しさを求めようとします。それらを求めること自体が必ずしも悪いことなのではありません。けれども、それらを追求する上で自分の欲望を優先し、自分の正しさを主張し、自己中心的に、独善的になることがあります。そのため人と争い、押しのけ、最悪の場合、戦争にさえなるのです。それが人の“罪”です。
 神さまに栄光を帰すということは、この世界と私たちを最善に治めている中心の存在は、神さまだと認めること。そして、一方的に自分の欲望を優先したり、正しさを主張したりせず、相手の言葉を聴き、対話し、気持を汲み、時には譲(ゆず)りながら、お互いにとって良い道を、良い結果を模索していくという態度です。思いがあればだれにでもできることです。
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 羊飼いたちとは、救い主イエス・キリストを通して届けられた神の愛を知り、自分が愛されていることを信じた人の象徴でしょう。神の愛を信じ、神に栄光を帰し、自分を愛するように隣人を愛そうとし、互いに愛し合うことで平和を生み出していく人の象徴でしょう。そのような生き方へと私たちは招かれています。
 私が好きなゴスペル・ソングに〈地には平和〉という歌があります。
  地には平和 このわたしから あなたが望んでおられたこと
  わたしたちは主の子ども 共に歩こう 愛と共に
  地には平和をこの時から 始めさせてください、神さま
  どんな時も、どんな場でも、永遠に 地には平和 このわたしから
 羊飼いたちが神をあがめ、歌った賛美は“地には平和、このわたしから”という思いを込めた賛美だったかも知れません。私たちも、自分を包んでいる愛を信じたなら、今度は人を愛することによって平和を生み出す神の御心に適う道を進みたいと願います。

 

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