坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2009年8月30日 主日礼拝「今日、主の救いを見なさい」

聖書 出エジプト記14章5〜14節
説教者 山岡創牧師

14:5 民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った。「ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。」
14:6 ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、
14:7 えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。
14:8 主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、
14:9 エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。
14:10 ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、
14:11 また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。
14:12 我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」
14:13 モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。
14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」


           「今日、主の救いを見なさい」
  子供たちにとっては、もうすぐ夏休みも終わり、いよいよ2学期が始まります。宿題は終わりましたか? 学校へ行く準備はできましたか?
 この夏も色々なことがあったと思います。一番思い出に残っていることは何でしょう? 思い出に残っていることの中に、小学生キャンプが入っていると嬉しく思います。
 今年も夏休みの始め、7月末に2泊3日で、小学生合同キャンプが東秩父村の白石キャンプ場で行われました。埼玉2区にある、近くの8つの教会・伝道所が一緒に協力して小学生キャンプを行って、今年で7回目になります。ごはん作りあり、きも試(だめ)しあり、川遊びあり、キャンプファイヤーあり、牧場でアイスクリーム作りあり、の盛り沢山のキャンプです。
 ところで、今年のキャンプの主題は〈やってみよう!モーセの旅〉というものでした。
シナイ山で十戒を授かるまでのモーセ物語の中から、主な5つの場面を拾い出して、各グループでワーク・コーナーを作ります。そのコーナーをクリアすると用紙にスタンプがもらえる。5つのコーナーをクリアして5つのスタンプをもらう。そういうスタンプ・ラリーの形で、モーセ物語を学びました。各グループが、山や川やバンガローなどを生かして、楽しいコーナーを作っていました。


 さて、今日の聖書箇所は、モーセ物語の中で、エジプト脱出のクライマックスの場面だと言うことができます。
 モーセが生まれた時、ヘブライ人はエジプトで“奴隷の民”として使われていました。エジプトの国に居住していたヘブライ人が増え広がるのを恐れたエジプト王ファラオが、ヘブライ人を弱めようとして重労働をさせたのでした。それだけでは飽き足らず、ファラオはヘブライ人に男の子が生まれたら殺すようにとお触(ふ)れを出します。モーセは、そういう時に生まれました。だから、母親はモーセを殺させまいとして、葦(あし)で編んだかごに載せ、ナイル川に流します。それを拾ったのが、水浴びに来ていたエジプトの王女であり、モーセは王女の子として宮廷で育てられることになるのです。
 やがて大人になったモーセは、自分の同胞であるヘブライ人が奴隷として苦しめられていることを、おかしいと感じるようになります。そして、ヘブライ人を救おうとしますが、エジプト人を殺害したことがばれて計画は失敗し、モーセはエジプトから逃げ出します。
 そして、いつしか40年が過ぎました。ある日、いつものようにミィディアンの野原で羊を飼っていたモーセは、燃えているのに燃え尽きない、不思議な柴の木を発見します。近づいてみると、その柴の木の中から、神さまの声が聞こえて来ました。エジプトに戻り、もう1度、ヘブライ人を救い出せ。わたしがあなたと共にいる。そう言って神さまは、ご自分の救いのご計画のために、モーセをエジプトへと遣わすのです。
 エジプトに戻ったモーセは、ヘブライ人の神が荒れ野でご自分を礼拝させよ、と命じるので、ヘブライ人をエジプトの国から出してほしい、とエジプト王ファラオと交渉します。しかし、ファラオはヘブライ人の神など知らん!と言って、モーセの言葉を聞こうとしません。そこで、モーセは、神さまがどれほどの力を持っているかを示そうとして、神さまに願って様々な災害を引き起こします。ナイル川が真っ赤な血で染まったり、カエルやアブやいなごが大量発生したり、3日間暗闇が続いたり‥‥‥。
 最後に、“過越し”の災いが起こりました。神さまが送る死の使いが夜中にエジプト中を巡る。すると、死の使いに撃たれて、すべての長男が死んでしまう、というものです。ヘブライ人は、前もってそのことを知らされ、自分の家の入口の柱に小羊の血を塗ってしるしとしておいたので、死の遣いは通り過ぎました。けれども、エジプトの人々の家は、ファラオの王宮に至るまで皆、長男が撃たれて死んでしまいました。その混乱に乗じて、ヘブライ人たちはモーセに率いられて、エジプトを脱出するのです。


 今日の聖書箇所は、その後の話。ヘブライ人が国を出たことを知り、後悔したファラオは、戦車隊を率いてヘブライ人を追いました。ヘブライ人は恐怖の叫び声をあげました。後ろからエジプト軍が追って来るのに、前は紅海の海があって、逃げることができないからです。そこで、彼らはモーセに文句を言いました。エジプトにいて、奴隷をしている方が良かった、と。人間は、うまくいかないと愚痴や文句を言い、だれかのせいにしがちです。親が悪い。先生が悪い。社会が悪い、等など。人のせいにしている間は、しっかりした生き方はできないものです。ヘブライ人たちも言いました。モーセ、お前が悪い、と。
 しかし、文句を言う彼らに、モーセはこう言いました。
「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(13節)。
 こう言って、モーセが海に杖を差し伸べると、海が二つに割れ、ヘブライ人は海と海の間を進んで行きました。続いてエジプト軍が進んで来た時、二つに割れていた海が元に戻り、エジプト軍はおぼれ死んでしまいました。
 神さまは、エジプトの苦しみからヘブライ人たちを救い出してくださったのです。


 こどもチャペルでは、先の13節の御言葉を8月の暗唱聖句として繰り返して来ました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」。
 “昨日”ではありません。“明日”でもありません。神さまは、「今日」、あなたを救う、と言われます。でも、今日は特に昨日と変わらないかも知れません。神さまの救いというような特別なことがあるとは思えない。いや、それどころか、今日はとても苦しい、悲しい日かも知れません。そんな日に、神さまの救いがあるのでしょうか?
 あるのです。あると信じて今日を生きるのです。救いとは何でしょうか。自分の願ったとおり、思ったとおり、いつでもうまく行くことが神の救いではありません。人生、うまくいかないこともある。悲しい日も苦しい日もある。絶対絶命のピンチもある。それでも、私たちに命をくださり、生かしてくださる父なる神さまが、私たちと共にいて導き支えてくださることを信じるんです。信じて、自分中心に、あれもダメ、これも失敗とネガティブに考えるのではなく、こういうことがあった、ああいう恵みもあったと小さな良いことを数えて行く。そこに希望は生まれて来ます。今日も精一杯生きよう、という気持が湧いて来ます。それが、私たちに「今日」与えられる救いです。
「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」
信仰によって、「今日」神の救いを見て、感謝して、精一杯進みましょう。


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