坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2011年12月24日 キャンドルサービス説教 「すべての人を照らす光」

聖書 ヨハネによる福音書1章1〜18節
説教者 山岡創牧師

◆言が肉となった
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

      「すべての人を照らす光」
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。‥‥‥万物は言によって成った」(1〜3節)。
 新約聖書の中にある一つの書物であるヨハネによる福音書は、こう言って始まります。「初めに言(ことば)があった」。“ことば”と言っても、私たちが普段話したり、書いたりしている言葉ではありません。神の言葉、神そのものである言葉です。
 新約聖書が書き記された元々の言語(ギリシア語)では、ロゴスという単語が「言」と訳されています。どこかで聞いたような言葉ですね。ロゴスというのは、全世界、全宇宙の秩序と生命を支配する原理、力だと言われています。難しいですね。簡単に言えば、神さまの心と力ということでしょう。
 そういう「言」、神さまの心と力によって、「万物は成った」。つまり、天地とそこに存在するもの、全宇宙は造られたということです。
 旧約聖書の初めに創世記という書物があります。その創世記1章に、神さまが天地をお造りになる神話が描かれています。何の秩序もない混沌(こんとん)とした闇に向かって、神さまが「言」で命じることによって、7日間で天地が造られていきます。
 ところで、神さまが最初にお造りになったものは何でしょうか? それは、光です。光と言っても、太陽ではありません。太陽はもう少し後に造られています。創世記を書いた人は、もちろん当時は科学などなかったわけですが、かなり正確に、海と大地ができ、そこから植物、そして動物が生み出されていく順序を描いています。
 けれども、そういう天地創造の過程、順序の中で、なぜか最初に造られたものは、太陽とは違う光です。この光とは、いったい何だったのでしょうか?
 それは“希望”という名の光です。暗い空や部屋の中を照らす光ではなく、人の心の暗闇を照らす光です。創世記を書いた作者は当時、国を滅ぼされ、土地を奪われ、捕虜として異国の地に連れて行かれ、絶望という闇の底に沈んでいたイスラエルの人々に、神さまを信じて生きる希望という名の光を示そうとしたのです。


 今日読んだ聖書の御言葉にも、「光」という言葉が繰り返し出て来ました。
「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(4〜5節)。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)。
 ここに描かれている光も、人の心を照らす光です。人の悲しみや苦しみ、絶望という真っ暗な人の心を照らす希望の光です。
 この光と命を持った言が人間になりました。簡単に言えば、神さまが人となって、私たちの世界に来てくださったのです。そのことを表しているのが、
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)という御言葉です。これは、神は人となって、わたしたちの間に宿られた、と言い換えてもよい御言葉です。言が肉となった。神が人となって、この世に来られた。それがクリスマスの出来事です。そして、人となってこの世においでくださった神さま、それがイエス・キリストです。このイエス・キリストが、その教えにより、行いにより、愛によって、すべての人を照らす光となってくださいました。


 言が肉となる。神が人となって、すべての人を照らす光となってくださった。
 このことを考えながら、ふと連想したのが、俗な話になりますが、〈家政婦のミタ〉というドラマでした。21日(水)の最終回は視聴率40%という驚異的な数字を残したホーム・ドラマです。我が家でも楽しみに見ていましたが、皆さんの中にもご覧になっていた方もいることと思います。
 夫の不倫から妻が自殺してしまい、夫とその子ども4人、悲しみに打ち沈む阿須田家に、松嶋菜々子の演じる家政婦の三田灯(あかり)がやって来ます。この家政婦、仕事は完璧なのですが、なぜか無表情で、決して笑わない、何を考えているのか分らないような家政婦でした。けれども、そんな三田の前で、子どもたちも父親も、自分の悲しみや怒り、苛(いら)立ち、迷いを吐き出しては、三田の言葉にハッとさせられ、慰められたり、受け止められたりしながら救われていくのです。そのようにして母親を、妻を失った心を癒された家族が、今度は、なぜ三田が笑わないのか、心配して聞き出そうとします。その理由を話すことを頑(かたく)なに拒んでいた三田でしたが、遂に心を開いて自分の過去を語り始めます。何と三田は、子どもの頃に、川で自分を助けようとした父を失い、結婚してからは、父親の違う弟に、家に放火され、最愛の夫と息子を失うという過酷な過去を背負っていました。しかも、葬式の場で夫の親から、“もう謝らなくていい。その代わり、これから一生笑わないで”と言われ、その刃(やいば)を心に受け止めて、感情を押し殺して生きているのでした。けれども、阿須田家の家族のひたむきな優しさに心を動かされ、遂に最終回で微笑む、という落ちになります。感情を殺して暗闇の中を生きて来た三田の心に、阿須田家の人々によって、その名前のように“小さな灯”がともったのです。そして、その灯を心にともして、これからは生きていきますと言って、三田は新しい人生に出発して行きます。他方、阿須田家の家族の心にも、三田によって暗闇の中に希望の光が差し込んだのでした。
 私は、このホーム・ドラマを改めて考えてみて、阿須田家の家族と三田の間に通い難(がた)い心が通い、開かれていったのは、両者共に、家族を失うという悲しみ、絶望を経験しているという共通の気持があったからではないだろうかと思いました。同じような経験をしていると相手の気持が分かる。共感できる。そうして暗く閉ざされた心が開かれていく。
 私は、「言が人となって、わたしたちの間に宿られた」ということ、神が人となったということも、こういうことではないだろうかと、御言葉と〈家政婦のミタ〉を重ね合わせて考えておりました。神さまが、天の上におられたままならば、何を言っても、何をしても、私たちの心には届かなかったかも知れません。けれども、神さまが人となられたからこそ、人となって私たちと同じ苦しみ、悲しみ、絶望を味わわれたからこそ、私たちは神さまに心を開き、心を通わせ、癒されることができる。救われることができる。そのようにしてイエス・キリストは、私たちの苦しみ、悲しみを背負い、私たちを照らす光となってくださったのだ。そう思いました。


 “あの晩、空には満天の星が輝いていて、それは見事でしたよ”。東日本大震災による津波から逃れて、高台でその夜を過ごした人々から、よくこんな言葉を聞かされたと、釜石で被災した人々と関わって来た柳谷明先生という牧師が、『信徒の友』12月号に書いておられました。地震によって街の灯りが消え失せ、その暗闇の中で寒さと不安に震(ふる)えおののいていた人々に、この星の輝きはどんなに大きな慰めと励ましを投げかけてくれたことでしょう、と先生は言われます。
 街の灯りが消え失せたことによって、普段はあまり見えなかった星の輝きが見えました。光は明るいところではあまりよく見えません。気づきません。暗闇の中でこそ、光が必要です。光のありがた味が分かります。
 キリストという救いの光は、暗闇の中でこそ光り輝きます。人生に、苦しみや悲しみはないに越したことはありません。けれども、苦しみ悲しみのない人生はないでしょう。けれども、その暗闇に射す光があることを信じて、私たちは自分の人生を歩いて行くことができるのです。


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