坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2012年4月22日 大人と子どもの礼拝 「洗礼 〜 天が開ける」 

聖書 マタイによる福音書3章13〜17節
説教者 山岡創牧師

3:13 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
3:14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
3:15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
3:16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

      
     「洗礼 〜 天が開ける」
 先週の子どもチャペルの礼拝では、ヨハネさんのお話を聞きました。ちなみにヨハネさんが普段、何を食べていたか覚えてる?‥‥‥いなごと野密(のみつ)でしたね。それは、ヨハネさんが町ではなく、荒れ野に住んでいたからだと思います。
 荒れ野にヨルダン川という川が流れていました。ヨハネさんは、ヨルダン川で人々に洗礼を授けるお仕事をしていました。“自分の罪を悔い改めなさい。神さまに罪を赦していただくために洗礼を受けなさい”。そう叫んで、ヨハネさんはたくさんの人々に洗礼を授(さず)けました。


 私たちの教会でも洗礼を授けます。今年は残念、いなかったけれど、去年のイースターにはK・SさんとY・Aちゃんが、ここで洗礼を受けました。
 洗礼って“洗う”という字が入っています。何を洗うのでしょう? 罪を洗うのです。でも、自分で洗うのではない。自分では洗い落とすことができません。だから、イエスさまに罪を洗っていただくのです。
 ところで、みんな(子どもたち)はお皿洗いのお手伝いをしたことがありますか? お茶わんやお皿についている食べカスは、どうやって洗いますか? スポンジに洗剤をつけて、ゴシゴシこすって洗いますね。
 実は、私たちの罪を洗い落とすための専用の洗剤があります。何だか分かりますか?それは“イエスさまの血”です。さっきイエスさまが私たちの罪を洗ってくださるとお話しましたが、イエスさまは、ご自分の血で私たちの罪を洗い落としてくださるのです。
 2週間前の日曜日は、イエスさまの復活を記念し、お祝いするイースターでした。でも、復活の直前には、イエスさまが十字架に架けられて殺されるという痛ましい出来事がありました。でもね、イエスさまの十字架は、ただ痛ましいだけの事件ではありません。イエスさまは十字架の上で、たくさんの血を流しました。それは、その血で人々の罪を、私たち一人ひとりの罪を洗い落としてくださるためでした。だから、十字架というのは、イエスさまが“あなたの罪は、私の血で洗い流したよ”と言ってくださっている出来事、私たちの救いの出来事です。
 洗礼は、私たちの罪をイエスさまが洗い落としてくださった“しるし”です。洗礼が、そのような意味を持つ(有効になる)のは、イエスさまが十字架で血を流し、命をささげてくださったからです。


 けれども、洗礼を受けるということは、それだけではありません。他にも大きな恵みがあります。そのことが、今日のイエスさま御自身の洗礼によって示されています。
 イエスさまは、ヨルダン川のヨハネさんのところに来て、洗礼をお受けになりました。ヨハネさんは、イエスさまが来られたことを、とても驚き、どうしようかと戸惑ったようです。でも、イエスさまから“こうすることが正しいことです。天の神さまが望んでおられることです”と言って、ヨハネさんから洗礼をお受けになりました。
 さて、イエスさまが洗礼を受けになった時、3つのことが起こりました。一つ目は、イエスさまに向かって、天が開いたということ。二つ目は、神さまの霊が鳩のように降って来たこと。そして三つ目は、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(17節)という神さまの声が聞こえたということです。
 天が開いた。これは、天国の入口が開いた。いつでも天国に入れますよ、ということですね。
でもね、その入口までどうやって登ったら良いのでしょう? それが、二つ目のことと関係があります。
神さまの霊が鳩のように降って来た。今回、私は、いつもとは違うイメージを持ちました。天国の入口のところから、ガラスのような透明の管に包まれた階段が、ウィーーンっと、イエスさまのところまで降りて来た。いつでもこの階段を登っていらっしゃい、そういうイメージを、持ちました。(旧約聖書の創世記にヤコブさんという人が出て来ますけれども、ヤコブさんが独りぼっちで荒れ野を旅していて、野宿をしたとき、夢の中で自分のところに天から階段が降りて来るのを見た、とありますが、そんな感じですね。)イエスさまのところに、透明のカプセル付き階段が天の入口から降りて来た。天国との通路開通です。
 三つ目は、そのまま。“君のことを愛している。大好きだよ”という放送が、いつも聞こえている。でも、他の人には聞こえない。自分の心にだけ響(ひび)いてる。そんな感じです。
 そして、この三つの恵みは、イエスさまにだけ起こるのではありません。神さまの救いを信じて洗礼を受けたら、私たちにも同じことが起こります。私たち一人ひとりに、天の入口が開かれます。天の入口から階段が降りて来ます。“君のことを愛しているよ、大好きだよ”という天国放送がいつも聞こえます。心に響きます。
 だからね、ぼくたちの後ろには、いつも天国への階段がある。お家にいるときも、学校にいるときも、友だちと遊んでいるときも、仕事をしているときも、教会にいるときも、目には見えないけれど、いつも天国への階段がくっついている。そして、“君のことを愛しているよ。いつでも私に会いにおいで”と暖かい声をかけられているんだ。だから、洗礼を受けるということは、“天国へのパスポート”を手に入れたようなものです。


 ところで、これは何でしょう?‥‥(私の)運転免許証です。車を運転するのに必要です。これは?‥‥(私の)保険証です。病院に行くのに必要です。これは?‥‥パスモです。電車に乗るのに必要です。これは?‥‥(玉井さんの)埼玉県こども動物自然公園に入場するためのフリーパスです。動物自然公園に入場するために必要です、では、これは何でしょう?‥‥‥(山岡海波くんの)洗礼証書です。では、これはどこに入るために必要なものでしょう?‥‥天国です。天国に入場するときに、これが必要です。だから、洗礼証書って、あなたは洗礼を受けましたよと証明するものであると同時に、天国に入るための“パスポート”なんです。天国への入国許可証です。
 今年のイースターの直前の4月6日に、埼玉県のある教会の牧師先生の奥さまが亡くなりました。私と同じぐらいの年の先生ご夫妻です。私もお葬式に出席しました。そのときに、その先生から聞いて、悲しみの中で、とても感動し、慰められたお話です。
 その先生の奥さまは外国の方でした。だから、日本の国に入るためのパスポートをいつも持っていました。奥さまが亡くなって、そのことを市役所に届け出るには、そのパスポートが必要でした。でも、パスポートが見つかりませんでした。探しても探しても見つからない。ところが、別のものが見つかりました。奥さまの洗礼証書でした。そのとき、先生は、日本の国に入るためのパスポートは見つからなかったけれど、天の国に入るためのパスポートが見つかった、確かに天国に入れるんだと、とても慰められたそうです。そして、神さまを信じていて、洗礼を受けていて、本当に良かったと感じたそうです。
 洗礼を受けるって、この天国へのパスポートをイエスさまからいただくことです。安心と希望のしるしです。大切にしたいですね。