坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2014年5月25日 創立記念礼拝・大人と子どもの礼拝説教  「共におられる神を伝える」

聖書  マタイ福音書28章16〜20節 
説教者 山岡創牧師

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
28:17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

  
     「共におられる神を伝える」

 今日は、坂戸いずみ教会の〈創立記念礼拝〉を迎えました。この教会の創立記念日は、週報の表紙に書いてあるように、1992年5月24日です。人間にたとえれば、誕生日です。この教会も“22歳の誕生日”、創立22周年を迎えたことになります。創立記念礼拝というのは言わば、教会の“誕生祝い・パーティー”をしているようなものでしょう。
 この教会が生まれた時から、私は、この教会で牧師をさせていただきました。私と同じように、この教会が生まれた時から、この教会の教会員だった人が、この礼拝にも何人かおられます。一緒に、坂戸いずみ教会の22年の歩み、22年間の成長を見届けて来ました。創立記念礼拝の日に、改めて今日までの22年を振り返ってみると、お話したいことはたくさんあります。でも、そのすべてをお話したら、どれだけ時間がかかるか分かりません。だから、今日いちばん伝えたいと思うことをお話します。

 まずお話したいのは、この教会が生まれた理由です。もちろん、根本には、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(19節)とのイエス様の伝道命令があります。神さまの救いを伝えるために、私たちは教会をつくります。
 では、坂戸いずみ教会のスタートはどうだったのか。坂戸いずみ教会を生み出したのは、川越市にある初雁(はつかり)教会です。でも、最初に坂戸に教会を生み出そうとしたのは、日本基督(キリスト)教団埼玉地区でした。と言われても、子どもたちは何のことか分からないよね。毎年夏に、7つぐらいの教会と小学生合同キャンプをやりますね。それから、中学生KKSキャンプもやりますね。あの集まりが、埼玉地区です。本当は、もっと多い、大きいんです。埼玉県には60の教会があります。それが、みんな集まって埼玉地区です。今から40年ぐらい前に、この埼玉地区が坂戸に教会をつくろうとしました。と言っても、60の教会全部が活動したわけではありません。坂戸の近くにある、たぶん10個ぐらいの教会が協力して、坂戸に教会をつくる活動をしたのだと思います。でも、新しい教会を生みだすって、とてもとても大変な、エネルギーの要ることなのです。段々できなくなって、やがて消えてなくなってしまいました。
 坂戸伝道が消えた。そのことにとても責任を感じて胸を痛めたのが、川越市にある初雁教会のM・Nさんという役員でした。初雁教会も、坂戸伝道に協力していたからです。そこで、Mさんは、坂戸に教会を生み出す活動を、初雁教会でやろう、と教会の中で提案しました。そして、その提案がみんなに賛成され、初雁教会が坂戸伝道をすることになったのです。
 その頃、私はまだ小学生だったので、何も知りませんでした。後で聞いた話です。その頃の私は、教会の礼拝堂で椅子から椅子へと飛び回り、Mさんに叱られるような、いたずら小僧でした。でも、後になってこの話を聞いたとき、感動しました。今も改めて思い出すと、胸が熱くなります。なぜなら、もしM・Nさんが、初雁教会で坂戸に教会を生み出そうと言ってくれなかったら、ここに坂戸いずみ教会はなかった、と思うからです。とてもとても大変なことです。その大変なことを、初雁教会が負わなくてもよかったのです。だれも文句は言わないでしょう。でも、初雁教会はそうしました。
 昨晩、サムエルナイトで青年、高校生と学びをしました。『面倒だから、しよう』という渡辺和子さんが書いた本の数ページを読んで、まさに“面倒だから、しよう”ということをみんなで考えました。面倒だからしない、が普通です。でも、面倒だからこそ、人のために、そして自分のために、することの大切さを考えました。
 Mさんの提案で、初雁教会が、大きな面倒を負ってくれたからこそ、今ここに、坂戸いずみ教会がある。そう思いました。

 そうして始まった坂戸いずみ教会が、少しずつ人が増えて行き、教会が狭くなって来ました。元々この会堂だったわけではありません。以前は、同じ泉町内ですが、高麗(こま)川の土手際にある小さな教会でした。普通の家を改造した教会でした。狭い礼拝堂には人があふれ、2階の6畳の部屋にも10人以上の子どもたちでいっぱいでした。これ以上、この会堂では安心して礼拝が守れない。心置きなく新しい人を誘うことができない。みんながそう思いました。そして、新しい会堂を建てよう。その思いで一つになりました。でも、そのために蓄えたお金があったわけではありません。でも、必要なものは神さまが与えてくださると信じて、みんなで祈りました。みんなで献げました。
 やがて、私たちが想像もできなかったようなこの場所に、土地が与えられました。みんなでどんな建物、どんな会堂にしようかと一生懸命に考えました。船の形をした、白い壁に赤い屋根の教会。コンクリートの土台ができ、骨組ができ、屋根が作られ、壁が張られ、段々と教会ができてきました。時々、どのぐらいできたか、みんなで見に来ては、お祈りをしました。
 そして、2005年4月に、この会堂が完成しました。みんな喜んで、新しい場所、新しい会堂での伝道が始まりました。
 この会堂を建てる時、いちばん心がけたこと。それは、一人も教会から離れる人を出したくない、ということでした。どんなに立派な建物ができても、その建物が“教会”なのではありません。ここに集まっている私たちが“教会”なのです。イエス様の体なのです。一人ひとりが、イエス様の目であり、耳であり、手であり、足であり、みんなでイエス様の体、みんなで“教会”なのです。だから、一人ひとりの意見を聞いて、それを大切にするように心がけました。

 そのようにして、この会堂が完成し、ここでイエス様を伝えて、今年度で10年目になりました。この10年を振り返って、教会が生まれた時からの22年を振り返って、今まで大切にして来たことは何だろう?それは、一人ひとりを愛し、大切にするということだったと思います。神さまだったら、イエス様だったら、そうすると思ったからです。
 教会が生み出され、始まった1年目、私はとても大きな失敗をしました。その失敗から、とても大事なことを学びました。それは、“正しさは人を救えない。人を救うのは、愛だ”ということでした。正しいことは“ダメ出し”になることがあります。人を傷つけます。そのまま受け入れること、愛することのあたたかさを学びました。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)と復活したイエス様は言われました。イエス様が共にいてくださる教会は、一人ひとりが、ありのままに愛され、大切にされる教会だと思います。これからも坂戸いずみ教会が、一人ひとりと共にいて、愛してくださるイエス様の恵みを伝える教会として進んでいきたいと願います。


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日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P
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