坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2015年2月22日 大人と子どもの礼拝説教 「この時のためにこそ」

聖書  エステル記4章13〜17節
説教者 山岡創牧師

4:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
4:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送った。
4:16 「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」
4:17 そこでモルデカイは立ち去り、すべてエステルに頼まれたとおりにした。
 
          「この時のためにこそ」

 昔、ペルシアというとても大きな国がありました。ペルシア猫といわれる毛の長い猫がいますが(知っていますか?)、それは元々ペルシアのあたりにいた猫のようです。それから、イエス様が生まれたとき、星を調べる学者たちが、黄金と乳香、没薬(もつやく)を持って、東の国からやって来たことは、みんな聞いたことがあるでしょう。その東の国がペルシアだったと言われています。ペルシアの国は、イエス様が生まれるずっと前からありました。
 そのずっと前の話、ペルシアはある意味で、聖書に出て来るユダヤ人の“恩人”でした。なぜなら、ユダヤ人はバビロニアという大きな国との戦争に負けて、国を滅ぼされ、捕虜(ほりょ)としてバビロニアに連れて行かれました。バビロニアで無理やり50年も生活させられました。けれども、そのバビロニアをペルシアが滅ぼして、王様のキュロス王が、ユダヤ人に“自分の故郷に帰っていいよ”と自由にしてくれたからです。
 喜んでエルサレムに帰り、神殿を新しく建て直した人々がいました。けれども、そのままペルシアに残るユダヤ人もいました。残ったユダヤ人の中に、美しい一人の少女がいました。それが、今日の話の主人公エステルです。


 エステルは、子どもの頃、お父さんとお母さんを亡くしました。それで、従兄(いとこ)のモルデカイという人が、エステルを引き取って育てました。エステルはとても美しい娘に育ちました。
 その頃、ペルシアの国はキュロス王から4代目のクセルクセス王の時代になっていました。クセルクセス王には、ワシュティというお妃(きさき)がおりました。けれども、ワシュティはわがままで、クセルクセス王の言うことを聞きません。それで、王様はワシュティをお妃の座から退(しりぞ)けました。
王様にはワシュティに代わる新しい妃が必要になりました。そこで、ペルシアの国中から、かわいい、美しい女性がたくさん、お城に集められました。その中から新しいお妃さまを選ぶためです。そして、たくさんの女性の中で新しいお妃に選ばれたのが、エステルでした。
 話は変わりますが、王様の次に偉いのは、ハマンという大臣でした。ハマンは王様のお気に入りです。みんな、ハマンが通ると、ひざまずいて頭を下げました。ハマンが通るとき、お城の役人も国民も皆、ひざまずいてハマンに頭を下げるようにと王様が命令を出したからです。けれども、ハマンに頭を下げない人が一人いました。それは、エステルの育ての親モルデカイです。
 自分に頭を下げないモルデカイを見ると、ハマンは腹が立ちました。そして、モルデカイをいつかひどい目にあわせてやろうと思いました。ある日、ハマンはモルデカイがペルシア人ではなく、ユダヤ人であることを知りました。そこでハマンはモルデカイを処刑する陰謀(いんぼう)を思いつきました。彼は、クセルクセス王のもとに行き、“王様、国内に王様の命令を聞かない民族がいます。ユダヤ人です。このまま放っておくと危険です。その民族をすべて処刑してしまいましょう”と提案しました。何も知らない王様は、ハマンの提案を受け入れて、ユダヤ人処刑の命令を国中に出しました。
 さあ、大変なことになりました。ユダヤ人は皆、この命令に泣き悲しみました。そんな中で、モルデカイはお城にいるエステルに伝言しました。“ユダヤ人を滅ぼす命令を取りやめにしてください”と王様に頼んでほしい、と。エステルは迷いました。と言うのは、王様から呼ばれていないのに、自分から王様のもとに行ってはいけないと決まっていたからです。決まりを破れば、死刑にされてしまうのです。
 エステルが迷っていると、モルデカイはさらに伝言しました。“自分はお妃だから、自分だけは助かると思ってはいけない。今、ユダヤ人を助けられるのは、あなたしかいないのだ。あなたがユダヤ人でありながら、ペルシアの王の妃になったのはどうしてだと思う?それは、今この時に、ユダヤ人を救うためだ。そのために、神さまはあなたをお妃にしたのだ”。その言葉に、エステルもハッとし、決心しました。そして、今から3日間、ユダヤ人は皆、食事を取らず、自分のために祈ってほしいとモルデカイに伝えました。
 3日後、エステルは王様のもとに行きました。王様はニコニコと喜んでエステルを迎え、彼女を死刑にすることはしませんでした。エステルは、自分はユダヤ人です、と告げ、ユダヤ人を滅ぼす命令を取りやめにしてくださいと頼みました。王様は、すぐに命令を取りやめ、この陰謀をたくらんだハマンは処刑されることになりました。ペルシアのユダヤ人は、こうして救われました。ユダヤ人は、この時のことを記念し、神さまに感謝して、〈プリムの祭り〉というお祭りを祝うようになったということです。


「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(14節)。
 モルデカイがエステルに言った言葉です。後で聖句暗証でもやりますが、今日はこの聖書の言葉を、ぜひ覚えて帰ってください。この時のために、今この時、ユダヤ人を救うために、あなたはお妃になったのだ。
 エステルと同じように、私たち一人ひとりにも、「この時のためにこそ」と感じる時があるものです。例えば、今、中学3年生は受験の真っただ中ですね。もうすぐ県立高校の試験があります。苦しい勉強に耐えて、がんばって来たのは、この受験の時のためです。部活動などでも、厳しい練習をがんばって来たのは、この大会で勝つためだ、という気持になることもあるでしょう。
 でも、“何のためなのか”分からないこともあります。学校でいじめられる。会社をくびになる。友人との関係が壊(こわ)れる。エステルのように、両親を亡くすこともあります。その時は、苦しく、つらいだけで“何のためか”分からないでしょう。
 私は、将来、学校の先生になろうと思って、大学を受験しました。けれども、2年続けて失敗しました。暗く落ち込み、あきらめ、自分はダメ人間だと感じていました。けれども、神さまは私に、“牧師になりなさい”と声をかけ、牧師になるための東京神学大学に導いてくれました。2年続けて大学受験に失敗したのは、牧師になるためだったのかも知れません。
 そして、6年間の学びを終えて、いよいよ卒業する時が近づきました。私は、ここではなく他の教会に行くつもりでした。ところが、私が卒業するちょうどその時、この坂戸いずみ教会が始まることになりました。私は呼ばれて、この教会の牧師になりました。そうでなかったら、皆さんとの出会いはありませんでした。私が1992年という年に卒業することになったのは、坂戸いずみ教会の牧師となるためだったのでしょう。
 「この時のためにこそ」、という時が私たちの人生にはあります。苦しみや悲しみの中にも、失敗したことにも、無駄だ、無意味だと思えることの中にも、神さまはきっと、その先の将来に、「この時のためにこそ」、“この時のためだったのだ”と思える時を、私たち一人ひとりに用意していてくださいます。そのことを信じれば、今、元気が出ます。勇気が湧(わ)きます。慰(なぐさ)めと希望の思いが与えられます。


記事一覧   https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P
 http://sakadoizumi.holy.jp/