坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2015年4月5日 復活祭イースター礼拝説教 「神の言葉は実現する」

聖書 ルカによる福音書24章1〜12節 
説教者 山岡創牧師

24:1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。
24:2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
24:3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
24:4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
24:8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
24:9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
24:10 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
24:11 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
24:12 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

 
          「神の言葉は実現する」
            〜 思い出す 〜
 主イエスは十字架につけられ、処刑されて、金曜日の午後3時に息を引き取られました。今日の聖書の直前にある23章50節以下を読むと、ヨセフという人が主イエスの遺体を引き取り、葬(ほおむ)ったことが記されています。金曜日の3時過ぎでしたから、安息日(あんそくび)が迫っていました。ユダヤ人の場合、夕暮から新しい一日が始まります。私たちの区切りで言う金曜日の夕暮から土曜日の夕暮までは、安息日と呼ばれる特別な日でした。安息日はすべての仕事や家事を休む日です。もちろん、主イエスを墓に葬ることもできなくなります。だからヨセフは、安息日が始まる前に、急いで主イエスの遺体を引き取り、岩に掘った墓に納めたのです。主イエスの十字架刑を見守った婦人たちが、ヨセフについて行って、墓に納めるところを見届けました。そして婦人たちは、主イエスのご遺体に塗る香料を用意して、日曜日の早朝に、香料を持って墓に言ったのです。
 ところが、婦人たちは驚くべき光景を目にします。主イエスの墓の入口をふさぐ大きな石が転がされており、入口が開いていたのです。そして驚いて墓の中に入ると、そこに主イエスのご遺体はなかった。それが日曜日の朝、婦人たちが遭遇した出来事でした。
 私たちの教会は、越生町の地産霊園に教会墓地を持っています。もし私がお墓参りに行ったとき、お墓のふたが開いていたら、何が起こったのかとびっくりするでしょう。そして、急いで墓の中に入り、調べるでしょう。そして、もし墓の中に納めた方々の骨壷がなかったら、やはり途方に暮れるでしょう。そして、私はこう思うに違いない。一体だれが、何のために、骨壷を持ち去ったのだろうか、と。
 婦人たちも最初は、そのように思ったに違いありません。一体だれが、何のために、主イエスのご遺体を持ち去ったのだろうか、と。ごく普通に考えれば、だれしもそう思う出来事です。
 けれども、現実の出来事に対する見方は決して一つではありません。見る視点によって見方、捉え方が変わってきます。例えば、大学受験に不合格となった現実を、取り返しのつかない失敗と思って絶望する人もいれば、自分の心を鍛(きた)えてくれる試練と捉える人もいるかも知れません。あるいは、自分の弱さを知り、思い上がらず謙遜さを学ぶ機会と見る人もいれば、全く新しい道への転機と思う人もいるかも知れません。それによって、同じ現実でも、自分を暗い絶望に引き込むものにもなれば、自分を勇気づけ、生かすものにもなり得るのです。
 主イエスの墓が空だった。この出来事をどのように受け止め、捉えるか。婦人たちは、この現実の前に立たされました。そして、私たちもこの朝、婦人たちと同じ立場に立たされているのだと考えなければなりません。


 さて、途方に暮れている婦人たちの前に、「輝く衣を着た二人の人」(4節)が現れました。これは、聖書の中で“天使”と呼ばれている存在だと考えることができます。天使は婦人たちに語りかけます。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(5〜6節)。
 「生きておられる方を死者の中に捜す」というのは、当時のユダヤ人社会の諺(ことわざ)のようなものだったそうです。日本流に言えば、“木に縁(よ)りて魚(うお)を求む”といったところです。森の中で魚を取ろうとしても得られないように、見当違いの場所で探しているという意味です。死者の中に主イエスはいない。復活なさったからだ。
 墓の中に主イエスのご遺体がない。それは、ごく普通に、常識的に考えれば、だれかが主イエスのご遺体を持ち去ったという判断になるでしょう。けれども、天使の言葉によれば、主イエスは復活したという判断になります。それが信仰です。つまり、自分の考えではなく、神の言葉によって現実を見直し、受け止めていくのが信仰なのです。
 このような信仰を馬鹿らしい、愚かだと思う人もいるでしょう。そう思えば、主イエスが復活したと告げる言葉などは、まさに「たわ言」(11節)にしか聞こえません。後に教会を生み出す使徒(しと)たちでさえ、ペトロでさえ、最初はそうだったのです。


 では、たわ言のように思われて信じなかった使徒たちと、神の言葉を受け入れて信じた婦人たちと、何が違ったのでしょう。それは、“思い出す”ということでした。
天使たちは、婦人たちに続けてこう言いました。
「まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」(6節)。
どんな話を思い出せ、というのでしょう。主イエスが十字架につけられ、復活することになっている、という話です。「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(8節)と書かれています。
 けれども、思い出したのは、十字架と復活の予告だけではなかったでしょう。そこから、主イエスの教えをあれこれと、主イエスの行いをあれこれと思い出したに違いありません。特に、自分自身が主イエスにかけられた言葉を、主イエスに赦(ゆる)され、癒(いや)され、愛された出来事を思い出したに違いありません。7つの悪霊(悪魔)に取りつかれているかのような地獄のような苦しみから救われた恵みを、名誉や地位ばかりを追っている偽りの虚(むな)しい世界から真実を求める生活へと導かれた感謝を、正しい人ではなく罪人(つみびと)を招くと言われて、おそばに招かれた喜びを、多くを赦された者は、多く愛すると認められた慰めを、色んなことを思い出したに違いありません。そしてその時、主イエスは、死んだ人ではなく、「生きておられる方」として復活なさったのです。婦人たちの心の内に生きて働き、恵みを、感謝を、喜びを、慰めを与える方として復活されたのです。
「思い出しなさい」。私たちも、この言葉をかけられています。空の墓という現実だけを見て、目に見える自分の現実だけを見て、常識的に判断して、表面的に神の恵みを探そうとしても、それは決して見つかりません。探す方向が違うからです。そうではなくて、思い出すという方向に、神を探す。表面的にではなく、内面的に捜す。蓄(たくわ)えた神の言葉を思い起こし、自分の出来事を思い出し、照らし合わせ、主イエスが、自分に何を語りかけておられるか、人としてどんなふうに見てくださっているか、関わり、愛してくださっているかを捜し当てる。その魂(たましい)の内面で、私たちは生きておられる神、生きておられる主イエス・キリストと出会うのです。
私事になりますが、私はあと二日で50歳になります。50年という人生の節目は、何か感慨深いものがあります。アッという間だったような気がします。振り返って、自分は何をして生きて来たのだろうかと考えさせられます。生きている値打ちがないと絶望の中で、挫折(ざせつ)の時期を過ごした時がありました。人を深く傷つけた大失敗がありました。愛をないがしろにした身勝手さがありました。自分の心の奥にとどめて、人には言えないような罪があります。思い出されるのは、そんなことばかりです。
けれども、そんな自分が命を支えられ、生かされて来たんだなあ、と思います。赦されて来たんだなあ、と感じます。多くの失敗から人生を学ばせていただいたのだと思います。だからこそ、今日まで生きて来ることができた。自分の力ではなく、神の恵みだなあと、つくづく思うのです。そして、その思いが、これからの人生も神さまに“こんな自分ですが、よろしくお願いします”とゆだねて生きていく信仰の基になります。


 あの方は、復活なさったのだ。私は、主イエス・キリストの復活を信じています。地上の命を終えた後の天国と、新しい復活の命、永遠の命を信じています。しかし、復活の命と人生はもう始まっています。キリストが私たちの内に生きて働いておられるならば、私たちは今、既に、キリストを目指して復活の道を歩いているのです。


記事一覧   https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P
 http://sakadoizumi.holy.jp/