坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2018年1月7日 主日礼拝説教「良くなりたいか」

聖書 ヨハネによる福音書5章1〜9節
説教者 山岡 創牧師

5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。
5:3 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。

5:5 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。
5:6 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
5:7 病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。


     「良くなりたいか」
 今日の聖書箇所を注意して読むと、あることに気づきます。それは4節がない、ということです。代わりに、小さな十字架のようなマークがあります。このマークは、そこに4節があった、ということを表わしています。新共同訳聖書では、ギリシア語で書かれたオリジナルの聖書(原典)にないものは省かれています。でも、後で写し取られた写本(コピー)には4節があるのです。それを書き加えたほうが、読む人が分かりやすいと考えて、写本した人が説明のような文章を加えているのです。
 では、どんな文章があったのでしょう。皆さん、ヨハネによる福音書の最後のページ(212頁)を開いてみてください。そこに、次のような文章がありました。
「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである」(3b〜4節)。
確かに、この説明文を書いてくれた方が分かりやすい。ベトザタの池には、こういう言い伝えがあったのです。おそらく泉が湧き出る時に、泡立つか、水の表面が動いたのでしょう。それを、当時の人々は、天使が水浴びに降りて来たのだと考え、その天使の癒(いや)しの力が残されていると信じたのです。だから、病気や障がいを負った人々が大勢集まって来て、今か今かと水の動くのを待っていたのです。

 ふと、ルルドの泉のことを思い起こしました。この泉は、治らないと考えられている病をいやす力があり、今では年に500万人もの人が訪れるカトリック最大の巡礼地になっている、とのことです。
 1858年に、ルルドの村に住む少女ベルナデットが、この泉を見つけました。聖母マリアがこの少女に現れ、この泉を教えたというのです。最初は疑っていたカトリック教会も、この泉で次々に奇跡的な癒しが起こることを聞いて、ついに調査に乗り出し、1862年には聖母マリアが出現したと認められ、ルルドの泉はカトリックの聖地となったということです。
 日本の温泉にも何らかの効能があるものが多いですが、ベトザタの池にも何かしら効能があり、実際に病気や障がいが治った人がいたのかも知れません。その奇跡に、人々は一縷(いちる)の望みをかけて、池の周りに集まっていたのでしょう。
 池を囲むように4つの回廊があり、その真ん中にもう一つ、つまり漢字の“日”のような形で5つの回廊があり、そこに「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(3節)といいます。想像してみると、とても悲惨な光景が頭に浮かぶのではないでしょうか。この辺の病院の待合室で、診察を受けに来た顔見知り同士が和気あいあいとおしゃべりをしているような雰囲気ではありません。ごく普通の日常生活、社会生活のできない人々が、折り重なるようにそこに横たわっているのです。たぶん家族も、病気や障がいを持った自分たちの家族をそこに連れて来たら、その場には居たたまれず、すぐに立ち去ったのではないでしょうか。おそらくエルサレムに住む人々は、町の外壁の外にあるその池に、だれも近寄ろうとしなかったのではないかと思います。奇跡が起こると言いながら、そこは決して希望の場所ではなかった。体良く、病気や障がいを負った人々を見捨てる場所になっていたのではないでしょうか。ベトザタとは“憐れみの家”という意味だそうですが、憐れみの家どころか、“見捨てられた家”のような、悲惨な場所だっただろうと想像されます。
 だれも寄りつこうとしない。けれども、その場所に、主イエスはおいでになったのです。エルサレムでは「ユダヤ人の祭り」(1節)が行われている時で、外壁の内側は、何かの記念を祝うお祝いムードにあふれていたでしょう。だれだって、お祝いの方に行きたがります。だれもわざわざお祝いムードとは正反対の、見捨てられた人々のところになど来ようとはしない。けれども、主イエスはそこにおいでになったのです。

 さて、そこに「三十八年も病気で苦しんでいる人」(5節)がいました。主イエスはその人と話して、長い闘病生活の様子を知られたのでしょう。その現実を見知った上で、「良くなりたいか」(6節)と、その人にお尋ねになったのです。
 良くなりたいか?“良くなりたいに決まっているじゃないか!”と言いたいところです。良くなるために、この池のそばで、来る日も来る日も水が動くのを待ち構えているのですから。けれども、彼は、良くなりたい、とは答えないのです。
 果たして本当に、この人は、良くなりたいと願っていたでしょうか?確かに、この池を知り、この池に連れて来られた当初は、良くなりたいと願っていたでしょう。水が動いた時に、真っ先に飛び込もうという希望にあふれていたでしょう。
 けれども、水はいつ動くか分からない。そして何度水が動いても真っ先には飛び込めない。そういう日々を何か月、あるいは何年と過ごすうちに、水に真っ先に飛び込むのは難しい、非常に厳しいという現実を悟らされ、この人は絶望的な気持になったのではないでしょうか。しかも、周りは、人を出し抜いても、押しのけても、自分が真っ先に入りたいという人しかいないのです。お互いにライバルです。そういう競争相手として周りを見ているのです。だれにも周りの人を気遣う余裕などありません。彼のことを、親切に池に運び入れてくれる人など、だれもいないのです。そういうギスギスした空気も、彼を暗い、ネガティブな気持に追いやったことでしょう。
 だったら、もうこんなところに来なければいいじゃないか、と思うかも知れません。ところが、彼には、ここしか来る場所がなかったのではないでしょうか。真っ先に飛び込んで治ることなど不可能だと知りながら、しかし、彼には、ここしか居る場所がなかったのです。他に行く場所などない。家にだって居られない。ある意味、家族からも、厄介者として、体良く追い出されている現実に気づいて、けれども、家族のことを考えれば、自分の気持も言えなくて、彼は毎日、あきらめと絶望を抱えながら、ここに横たわっていたのではないでしょうか。
 彼は答えました。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、他の人が先に降りて行くのです」(7節)。
 38年間、病を抱え、この池のそばに横たわる毎日を過ごしながら、彼は無意識のうちに、自分の人生の最大の問題に気づいていたのでしょう。それは病ではありません。もちろん治るものなら治りたかったでしょう。けれども、病気が治ること以上に、病気の自分を運んでくれる人がいないという現実、つまり病気を抱えている自分に本気で関わってくれる人がいない、寄り添って生きてくれる人、愛してくれる人がいない、という現実こそ、彼にとっては、つらくさびしい最大の問題だったのではないでしょうか。
 私たちも、愛してくれる人を必要としています。私たちの人生は、思うようにうまくいくことばかりではありません。想定外のこと、不都合なこと、苦しく悲しいこと、色々なことが起こります。だからこそ、重要なのは、そういう自分に寄り添って一緒に生きてくれる人、愛してくれる人がいるかどうか、なのです。そういう人がいれば、そういう愛があれば、私たちは、苦しみや不都合の中でも、自分を受け入れて生きることができるのです。そういう意味で、この人の主イエスに対する7節の答えは、“あなたはわたしのことを愛してくれますか?”という訴えだったと思うのです。

 人は、病を抱えていても、苦しみや問題を抱えていても、自分を愛してくれる人がいるなら、きっと生きていけます。ふと、三浦綾子さんのことを思い起こしました。既に天に召されましたが、三浦綾子さんは、プロテスタントのクリスチャン作家として、『氷点』、『塩雁峠』、『道ありき』他、多くの小説を書き遺されました。
 三浦綾子さんは、小説『道ありき』の中で、ご自分が三浦光世さんと出会い、結婚するまでの青春編を書いておられます。1922年に旭川で生まれた三浦綾子さん(旧姓:堀田)は、17歳で小学校の教員になります。けれども、日本が太平洋戦争に敗戦し、それまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、24歳で退職います。そして、何を信じて生きたら良いのか分からず、どうしようもない虚しさにさいなまれる中で、肺結核を発病し、ギプス・ベッドに固定され、全く動けない時間も含め13年間の闘病生活を強いられ、心も体も絶望の底に突き落とされるのです。
 そのような病気と虚無の生活の中で、三浦綾子さんは前川正というクリスチャン青年と出会います。そして、前川正の影響で、次第に聖書の言葉とキリスト教を信じるようになり、遂に洗礼を受けてクリスチャンになります。そして、彼と結婚の約束をするのですが、三浦綾子さんが病院を退院して自宅で療養生活を始めた時、前川正が急死してしまいます。またしても絶望の淵に突き落とされた三浦綾子さんでしたが、その死から1年が過ぎたころ、三浦光世さんが彼女の前に現れます。前川正によく似た、誠実なクリスチャン青年で、彼に支えられ、綾子さんは立ち直り、やがて二人は結婚するのです。
 私は、『道ありき』に書かれた内容を思い起こしながら、13年間の闘病生活の苦しみと、それ以上の虚無の闇の中で、前川正さん、そして三浦光世さんという、彼女に寄り添い、愛してくれる人がいたからこそ、綾子さんは立ち直ることができた、二人を通して、神の愛を信じて生きることができたのだと思います。

 主イエスは、38年間病気で横たわっていたこの人のもとに来られました。その苦悩の声を聞きました。彼に寄り添おうとされました。そして、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と愛と勇気の言葉を告げたのです。すると、「その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだし」(9節)ます。
 病は治るに越したことはありません。けれども、神さまを信じたら、その力で必ず病が治る、問題や苦しみが解決するというわけではありません。多くの癒しの奇跡が起こったとされるルルドの泉であっても、訪れた人の病気がすべて治るということではないでしょう。信じるとは、治ることを信じることではないのです。治ればよし、治らなくとも、主イエスを通して、神が自分に寄り添い、自分を愛してくださっていることを信じることなのです。その愛があるから、病気であっても、問題や苦しみを抱えていても、それを受け入れて、そういう“自分”を受け入れて、感謝して生きていけるのです。言わば、それは病という名の床に“担がれている”人生から、床を“担ぐ”人生への転換です。つまり、病が自分の人生の主体ではなく、“自分自身”が人生の主体、主役だということです。何があっても決めるのは自分です。だから、病に縛られて、絶望やあきらめに陥るのではなく、病があっても神の愛を信じて、絶望や不安から解放され、自由に生きていけるのです。病の床に縛られて横たわるのではなく、病の床を担いで、主体的に生きなさい。神の愛を信じて、平安に、感謝して生きなさい。あなたには、それができる!主イエスの言葉は、そういう語りかけ、励ましだと言ってよいでしょう。
 昨年12月22日に、81歳で天に召されたFさんが、そういう生き方をなさいました。1999年に乳がんを発症し、再発を繰り返しながら17年余り、がんを抱えて生きました。闘うというよりは、“私は癌と共に生きるの”と言われていたように、淡々と癌と付き合いながら歩まれました。その様子は、告別式のあいさつで、長女・Kさんも語っておられましたし、病院の先生や看護師の方々もその落ち着いた入院生活に驚いていたそうです。まさに、病の床を担いで生きる信仰の人生だったと思います。
 私たちの人生も色々あります。しかし、目に見える現実にのみ縛られ、支配されず、神さまの愛を信じて、主体的に、自由に、感謝して生きていく人生でありたいと祈り願います。


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