坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

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2006年10月22日 主日礼拝「神の心に適うもの、適わないもの」
聖書 マルコによる福音書1章40〜45節
説教者 山岡創牧師

◆重い皮膚病を患っている人をいやす
1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、
1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
1:43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、
1:44 言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
1:45 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。


        「神の心に適うもの、適わないもの」
「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(40節)。何とも"奥歯にモノの挟まった"ような、回りくどい言い方ではないでしょうか。彼は清くしてもらいたい一心で、主イエスのもとに出て来たに違いありません。それならば、なぜストレートに、端的に、"わたしを清くしてください、わたしを癒してください"と願わなかったのでしょうか。

主イエスのところに癒しを願いにやって来た人々の中で、こんなに回りくどい、遠慮がちな言い方、やり方をした人はいません。皆、ストレートに、端的に "主イエスよ、癒してください"と願い、そういう行動に出ています。それなのに、今日の聖書箇所に出て来た重い皮膚病の人だけが、どこか遠慮がちな、回りくどい願い方をしているのです。一体それはどうしてでしょうか。

まず注意しておきたいのは、今日の箇所が、マルコによる福音書の癒しの物語の中で中で最初に、個別に取り上げられているものだと言うことです。直前の箇所で、多くの病人の癒しの記事が一まとめにして語られています。けれども、今日の癒しの物語は、そのように一まとめにするわけにはいかない、何らかの理由がある話なのだと思います。そして、その理由とは、この人が重い皮膚病の人だということに関係があると考えられます。おそらく、今まで主イエスの許で癒していただいた人々の中には、皮膚病の人はいなかったのではないかと思われます。

なぜ皮膚病の人は特別なのか。それは、重い皮膚病の人は社会から隔離され、人々の間に住めない者とユダヤ人の律法で定められていたからです。重い皮膚病にかかった人は、病そのものの伝染はもちろん、その人は宗教的にも"汚れた"人と見なされました。ユダヤの人々は、神は清い(聖なる)方だから、汚れた人は受け入れないと信じていたので、汚れの伝染を避けるためにも、汚れた人は社会から隔離されました。そして、もし知らずに近づく人があれば、重い皮膚病の人は、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」(レビ記13章45節)と叫んで、近づく人を遠ざけなければなりませんでした。

つまり今日の物語は、社会に入って来てはならない、人に近づいてはならない病人が、敢えてその禁を破って主イエスの許にやって来た初めてのケースだったのではないでしょうか。

そして、律法の掟を、社会の禁を破って主イエスの許にやって来たということが、この人を遠慮がちにさせている理由ではないかと思うのです。

律法とは、モーセを通してユダヤ人がいただいた神の掟です。そこには神の「御心」が示されていると彼らは信じているのです。重い皮膚病の人も、その律法によって自分が"汚れ"と定められ、神に受け入れられない者と見なされていることを自覚しています。しかも、そのような者が社会に入って人に近づいてはならないという禁を破ったということに負い目を感じてもいたでしょう。ですから、"自分は律法を破った、神の御心に適わない人間だ。そのような自分が果たして主イエスに受け入れていただけるだろうか。主イエスの眼から見て、神の御心に適っていると見てもらえるだろうか"という不安があったのです。それが、彼の願いが"清くしてください"という端的なものにならず、「御心ならば」と遠慮がちにさせている理由です。"こんな自分ですが、御心に受け入れていただけますか"という切ない遠慮が、この人の内にあるのです。

主イエスはこの重い皮膚病の人を「深く憐れんで」(41節)くださいました。病そのものの苦しみのみならず、社会から隔離され、人々から拒絶される痛みと孤独はどんなに辛いものであったでしょうか。主イエスはその辛さをよくご存知だったのでしょう。そのような苦しみから救われたくて、敢えて律法の禁を破り、神の御心に背いて、主イエスのところにやって来た彼の切実さも、主イエスは理解されたことでしょう。そして、律法の禁を破り、神の御心に背いてたこの人が、"こんな私でも、あなたの御心に適うでしょうか"と不安げに、遠慮がちに尋ねる気持も汲み取ってくださったことでしょう。

主イエスは、この重い皮膚病の人の内を隅々まで洞察し、それ故に深く憐れんで、「手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われ」(41節)たのです。この御言葉の中で、この人に"触れた"という一言が、主イエスの深い憐れみを如実に表していると思います。

この人に触れるということは、自分にも重い皮膚病が伝染するかも知れないということです。いや、少なくとも汚れは伝染したことになります。それは、主イエスご自身も社会から弾かれ、隔離されるということを意味するのです。だから、触れずに癒すに越したことはない。主イエスなら、触れずに清めることもできたと思うのです。けれども、それが分かっていて、主イエスは敢えて、この人に触れたのだと思います。

今から15年前、東京神学大学を卒業する時、卒業旅行ということで、草津にある栗生楽泉園というハンセン病療養施設に行ったことがあります。そこに宿泊して3日間を過ごしました。私にとってハンセン病の方々と交わりを持つのは初めての機会でしたが、肘から先、膝から下が両手両足共に無く、そう例えては失礼ながら、まるでカメのように廊下を歩いておられる方を見た時は息を呑みました。その後、比較的症状の軽い方を囲んで話をする機会が与えられました。何を話したか詳しいことは覚えていません。ただ、別れる時にその方と握手をした時の印象を鮮明に覚えています。一人一人順番に握手をして、私の番になった。正直な話、快くという気持ではなかったのです。現代医学によりうつらないということは分かっている。それでも、握手をする時には、ある種の勇気が必要でした。

その時のことを思い出すと、主イエスがこの人に触れた心が想像できるように思います。もちろん私のような気持ではない。"私のような者でも御心に受け入れてもらえるでしょうか"という、この人の苦しい不安、切ない遠慮を深く憐れみ、"あなたは神の御心に適っている"と真正面から応えてくださった。しかも、病気がうつらないように、汚れが伝染しないようにと、離れた、安全なところから癒されたのではなく、この人に触れて、この人の病と汚れを、苦しみと悲しみを共に担うという形で、神の深い憐れみを、神の御心に適っているという平安を与えてくださったのです。私は思うのですが、もしこの人の重い皮膚病が治らなかったとしても、そこで示された主イエスの愛の深さだけでも、この人は"自分は生きていける"と感じたのではないでしょうか。自分は独りではないと、神が共にいてくださると、その心に暖かい気持が湧いてきたのではないでしょうか。

たとえ社会の常識から外れていても、この世の価値観からはみ出していても、主イエスの御心、神の御心には適っているのです。いや、そういうところで苦しみ悩んでいる人こそ、神の御心に受け入れられ、愛されているのです。

けれども、この物語はこれで終わりではありません。"後"があります。そして、文章の量から考えると、後半の話も前半に劣らず、いや前半以上に重要だと思われます。

重い皮膚病の人を癒し、清められた後で、主イエスはこの人に言われました。「だれにも何も話さないように気をつけなさい」(44節)。そう口止めをして、祭司の許に行くようにと指示しました。それは、当時、神殿の祭司が皮膚病を見て診断する務めを担っていたので、祭司によって皮膚病が治ったことが認められれば、社会に復帰することができるからです。

しかし、この人は、主イエスから口止めされたにもかかわらず、「そこを立ち去ると」、嬉しさの余りでしょうか、「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」(45節)

のです。主イエスから「だれにも、何も話さないように」と命じられたにもかかわらず、その言葉を破って彼は言い広めたのですから、彼のしたことは"御心に適わなかった"と言わねばなりません。しかも、そのために主イエスは、公然と町に入り、公然と宣教活動ができなくなったのですから、彼のしたことは重大です。

病を清められるまでは、「御心ならば」と、主イエスの御心、神の御心を尋ね求めていたこの人が、どうして御心に適わないこと、御心を破るようなことをしてしまったのでしょうか。

それは、彼の心から"こんな私でも"という気持(信仰)が失われたからではないでしょうか。清められる前は、このような私でも神の御心に適っているのだろうか、という不安げな、遠慮がちな、しかし見方を変えれば、まことに謙遜な問いが、彼の心の内にはあったのです。それが、主イエスのところに来て「ひざまずく」(40節)という姿、神を礼拝し、その御心を尋ね求める姿に現れています。"こんな私"という謙遜な気持が、絶えず自分自身の生き方を問わせ、神の御心を尋ねさせていたのです。

しかし、病が癒され、清められた時、その嬉しさの余りであったにせよ、"こんな私でも"という謙遜な姿勢が失われたのでしょう。それが、自分を問い、神の御心を尋ねることを怠らせ、自分の思うままに行動する慢心につながったのでしょう。こういうことは、私たちにもありがちなことではないでしょうか。自分の願いが叶ったり、人生がうまく行っている時の喜びや感謝が、かえって"あだ"になることもある。神の前に自分が何者か、神の深い憐れみによって生かされている者であるという恵みを見失わせることがあるということに注意しましょう。

それにしても、今回私は、主イエスのことを宣べ伝えることが、主の御心に叶わない場合もあるということに、改めて気づかされました。伝道しているのだから良いじゃないかと、伝道することが無条件に神の御心に適うわけではないのです。人の善意ですることは、必ずしも主の御心に適わないのです。それはどんな場合でしょうか。

病を清められた人は、「この出来事」を人々に告げ、言い広めました。「この出来事」、それはすなわち、自分の病が癒され、清められたという出来事だったでしょう。つまり、目に見える、表面的な出来事を言い広めたのです。嬉しかったのでしょう。悪意など無く、むしろ善意からでしょう。けれども、それは人々に、目に見える、表面的な救いを求めさせ、それが救いだと誤解させる結果を招いたのでしょう。それは、主の御心に適いませんでした。主イエスが本当に与えたかったものは、神が私たちの苦しみ悲しみを共に担い、寄り添うように共にいてくださる方だという平安でした。"この暖かさがあれば、自分は生きていける"という平安でした。病が癒されるかどうかは分かりません。それは結果でしかないのです。もちろん病が癒されれば、苦しみが解決されれば嬉しいのですが、それを第一に求めると信仰はおかしなことになります。

目に見える、表面的な出来事を求めがちな私たち、そしてそれを求めがちなこの世にあって、しかし、御言葉によって目を開かれて、目には見えない、けれども真の生きる力となる信仰の恵みを宣べ伝えてまいりましょう。それが、神のみ心に適うことです。


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