坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2011年7月31日 大人と子どもの礼拝「神さまと取っ組み合い?」

聖書 創世記32章23〜31節
説教者 山岡創牧師

◆ペヌエルでの格闘
32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、
32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

        「神さまと取っ組み合い?」  

 子どもチャペルでは、先週までアブラハムさんの物語を聖書から学びました。アブラハムさんは、神さまから選ばれて、祝福を約束された人でした。あなたに子どもを授(さず)け、あなたの子孫をたくさんに増やし、あなたの子孫たちも祝福する、と神さまから約束されました。
 ところで、アブラハムさんの子どもは?‥‥‥イサクさん。では、イサクさんの子どもは?‥‥‥ヤコブさん。今日は、このヤコブさんのお話をします。


 ところで、ヤコブさんには双子(ふたご)のお兄さんがいました。エサウさんと言います。エサウさんは運動神経が良くてね、狩りが得意でした。いつも獲物(えもの)を捕(と)って来ては、おいしいお肉の料理を作って父さんのイサクさんを喜ばせていました。一方、ヤコブさんは狩りがあまり得意ではありませんでした。それで、主(おも)に家の手伝いをして暮らしていました。
 ある日、イサクさんがエサウさんを呼んで、言いました。“お前に、私の財産のすべてを譲ろう。その前に、いつものおいしい料理を作っておくれ。私はそれを食べて、お前に財産を譲ることにする”。そこで、エサウさんは狩りに出かけました。
 ところが、その話を陰で聞いていたヤコブさんは、家にいる子山羊(こやぎ)で料理を作り、お父さんのところに持って行きました。そして、“自分はエサウです”と嘘を言いました。イサクさんは目が悪いので、そこにいるのがヤコブだと気づきません。子山羊の料理を食べて、ヤコブに財産のすべてを譲ると誓ってしまいました。
 やがて、エサウさんが獲物を持って帰って来ました。でも、もう財産のすべてをヤコブに譲ると約束し、誓ってしまいました。エサウさんはとても怒り、悔しがり、ヤコブさんを殺そうとしました。危険を感じたヤコブは、遠くに住むおじさんのラバンさんの家に逃げて行きました。

 それから20年。ヤコブはラバンおじさんの娘と結婚しました。子どもも生まれました。自分の財産もできました。でも、ヤコブの財産ばかりが増えるので、ラバンおじさんはおもしろくありません。だんだん二人の仲は悪くなってきました。
 その時、神さまからヤコブさんに声がかかりました。“自分の生まれ故郷に帰りなさい”。そこでヤコブさんは家族を連れ、たくさん財産、羊や山羊の群れを連れて、故郷へと出発しました。
 でも、ヤコブさんにはとても心配なことがありました。“兄が自分をゆるしてくれるだろうか?”。20年前、ヤコブは兄エサウが譲り受けることになっていた父イサクの財産をすべてだまして奪い取りました。そのことでエサウはたいへん怒り、ヤコブを殺そうとさえしたのです。その時から20年が経っているとは言え、兄は自分を赦(ゆる)してくれるだろうか?ヤコブは、そのことがとても心配でした。
 そこで、ヤコブはエサウさんがどう思っているかを知ろうとして、エサウさんのもとに自分の召し使いを送り、“弟のヤコブが故郷に帰って来ました”と言わせました。すると、エサウさんは400人の部下を連れて迎えに来てくれる、と言います。
 ところが、ヤコブさんは怖くなってしまいました。迎えに来ると言って、実は兄は、400人の部下と攻撃し、自分を殺し、財産をすべて奪うつもりではないか?と思ったのです。それで、ヤコブさんは更に心配し、苦しみ悩んで、一体どうすれば、兄エサウを喜ばせ、ゆるしてもらえるだろうか?と考えました。みんなだったら、どうする?
 ヤコブさんがしたことは3つ。まず、家族と財産を2つに分けました。そうすれば、片方が攻撃されても、もう片方は逃げられると考えたからです。次に、エサウさんに贈り物を送りました。1度ではなく、3回も贈りました。そして、エサウに“あなたは私のご主人さまです。自分は召し使いです”と下手(したて)に出ました。ヤコブは安心できたかな?
 それでも、ヤコブは安心できません。やがてヤボク川まで進んで来ました。この川を渡れば、生まれ故郷です。エサウの住む土地です。けれども、ヤコブさんはこの川を渡ることができません。家族と財産を先に渡しました。でも、自分はどうしても渡ることができず、川のこちら側に残りました。

 その夜、「何者かが夜明けまでヤコブと格闘した」(25節)と聖書に書いてあります。夜中じゅう、ヤコブはだれかと取っ組み合い、レスリングか相撲のような戦いをしたのです。相手は、ヤコブの股関節(こかんせつ)を打ったので、ヤコブは股関節が外れてしまいました。それでも、ヤコブさんは戦いをやめません。あきらめずに何度も何度も、相手に立ち向かっていきました。“この戦いは引き分けにしよう。もう離して帰らせてくれ”。相手がそう言っても、ヤコブは離しません。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」(27節)。遂に、相手はヤコブさんのしつこさに負けて、ヤコブを祝福しました。幸せを約束しました。
 ところで、相手は一体だれだったのでしょう?それは、神さまの使い、天使だったのではないかと思われます。そして、この格闘はもしかしたら、ヤコブさんの心の中を映し出したものだったのかも知れません。ヤコブさんは悩み苦しんでいました。この川を渡るべきか、渡らないべきか。渡れば、兄エサウに殺されるかも知れない。でも、渡らなければ、他に行くところがない。どうしたら良いのか?こういう心の中の迷いを、難しい言葉で“葛藤(かっとう)”と言います。
 ヤコブさんは心の中でもがいていた。不安と戦っていた。それが最後に、神さまとの心の中の戦いになったのです。神さまを信じて進むか、信じないで逃げるか、という葛藤になったのです。きっとヤコブさんは、何度も何度も、必死に、“神さま、助けてください”と祈ったことでしょう。自分の力は頼りにならない。もはや神さまにすがる以外にない。だから、神さまが自分を助けてくださると確信できるまで祈ったことでしょう。
(何だか、アニメ〈ドラエモン〉での、ジャイアンとのび太の戦いを思い出します)
そして遂に、すべてを神さまに“よろしくお願いします”とおゆだねする気持になったのです。それが、ヤコブさんが勝った、心の中で勝った、ということです。
 ヤコブさんはそれまで、自分がいつもいちばん後ろに、いちばん安全な、いつでも逃げられるところにいました。ところが、この夜の戦いの後で、自分がいちばん前に、先頭に出て行きました。神さまにおゆだねして前に進みました。
さあ、どうなったと思う?エサウさんと会って、仲直りすることができたのです。

「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ7章7節)。
 ヤコブさんと神さまの格闘から、私は、この聖書の御(み)言葉を思い出しました。自分の力ではどうにもならない。不安でいっぱい。その時、神さまに祝福を求めに求めて、助けを求めに求めて、安心を与えられたのだと思います。
 私たちも、不安を感じる時があります。悩み苦しみ、葛藤する時があります。その時、神さまに祈り求めましょう。与えられるまで求めましょう。きっと神さまは、答えを与えてくださいます。平安を与えてくださいます。


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