坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2012年5月27日 聖霊降臨祭ペンテコステ・創立20周年記念礼拝説教 「見えない守り手に愛されて」  

聖書 ヨハネによる福音書14章15〜27節
説教者 山岡創牧師

◆聖霊を与える約束
14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
14:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
14:22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

       
   「見えない守り手に愛されて」 
 主イエスは、十字架に架けられる前夜、弟子たちと最後の晩餐(ばんさん)と呼ばれる交わりの時間を過ごされました。弟子たち一人ひとりの足を洗い、あたかも遺言を遺(のこ)すかのように多くの言葉を語られました。その言葉の一部が、今日の聖書箇所です。
 その中で、主イエスは弟子たちに、次のように約束されました。
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣(つか)わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」(16〜17節)。
 今まではイエスさまが弟子たちのそばにいて、親しく教え、守って来た。けれども、そのイエスさまご自身がいなくなる。十字架に架けられて殺されてしまう。否、復活して父なる神のおられる天に昇って行く。そこで「別の弁護者」を遣わして、弟子たちと「永遠に」一緒にいるように計(はか)らってくださる、と約束されたのです。その弁護者とは「真理の霊」、私たちが“聖霊(せいれい)”と呼んでいるお方です。


 「弁護者」と言うと、いわゆる“弁護士”を連想して、何だか固い感じがします。弁舌によって、何を弁護してくださるのだろう、というようなイメージを持つかも知れません。聖書の中に、主イエスの救いを証しする時の言葉は聖霊が授けてくださる、とありますので、弁護士のイメージが必ずしも間違っているわけではありませんが、違う聖書を読むと、“助け主”と訳されています。助け主でもまだ固い感じがしますが、砕(くだ)いて言えば、私たちを助け、支え、愛してくださる方といったところでしょう。
 そのような聖霊の本質を表している、印象的な祈りの言葉と出会いました。『信徒の友』5月号の特集に記(しる)されていた言葉ですが、カトリック教会で12世紀ごろから歌い継がれて来た〈聖霊の続唱(ぞくしょう)〉という祈りの言葉です。
  聖霊来てください。
  あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。
  貧しい人の父、心の光、証しの力を注ぐ方。
  やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
  苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
  恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
  あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
  だれも清く生きてはいけない。
  汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
  固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
  あなたの言葉を信じて依り頼む者に、尊い力を授ける方。
  あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
  終わりなく喜ぶことができますように。
  アーメン
 このような霊を、主イエスはご自分の代わりに遣わそうと、弟子たちに約束なさったのです。
 否、ご自分の代わりに、と言うよりも、主イエスは聖霊を“ご自分そのもの”とも考えておられたようです。それは18節の御(み)言葉から分かります。
「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」。
 この言葉からすると、イエスさまはご自分が、聖霊となって戻って来るおつもりだったようです。そして、もう一つ分かることは、イエスさまは弟子たちを、子どものように、ご自分のことを弟子たちの“親”のように思っていた、ということです。親心で、いつも弟子たちに接しておられたのです。
 ふと主イエスがなさった〈放蕩息子のたとえ〉を思い起こしました。父親が生きているうちに財産を生前贈与させて、反抗し、家を飛び出して行った息子の話です。遠いところで、やりたい放題の放蕩生活を続けた息子は、やがて落ちぶれ、窮地(きゅうち)に陥ります。その時、息子は我に返り、父の家に帰って謝ろう、そしてもはや息子ではなく、雇人としておいてもらおうと決心して、父の家に戻ります。そんな息子を、父は来る日も来る日も案じて、帰る日を待っていました。そして、息子の姿を見つけるや、門から飛び出し、走り寄って抱き締めました。さらに、息子の謝罪を途中でさえぎり、喜びの宴を開いて、以前と変わらずに息子として迎え入れたのです。
 私は、このたとえを思い起こす度に、“信じられない”という驚きと、涙がこぼれそうな感動を覚えます。そして、これが究極の親心、本当の愛だなあ、と感じます。報(むく)いや見返りを求めない愛です。
 このたとえ話の父親は、天におられる父なる神さまを、そして息子は私たち一人ひとりを表しています。このような究極の愛、親心で、私たちは神さまに愛されている存在なのです。どんなに罪深くとも、どんなに迷惑をかけようとも、どんなに惨(みじ)めであろうとも、“あなたはわたしの愛する子”と神さまは見ていてくださいます。


 そのような熱い思いを込めて、イエスさまは弟子たちのもとに、私たちのもとに聖霊を遣わしてくださいます。みなしごにはしないと、聖霊を通して戻って来てくださいます。聖霊を通して、イエスさまと父なる神さまが、私たちの内に住んでくださいます。
 けれども、聖霊が来てくださることを、何によって確かめることができるでしょうか。聖霊は目に見えません。手で触れることもできません。何か奇跡が起こるわけでもありません。視覚的、感覚的には確認できないのです。
 けれども、“あること”によって、あなたがたは聖霊が一緒にいてくださることを、ご自分と父なる神があなたがたの内に住んでくださっていると信じて良い、と言われました。それは、主イエスの掟(おきて)を守ること、主イエスの言葉を守ることによって、です。
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」(23節)。
 主イエスの掟、主イエスの言葉とは何でしょうか? それは、13章34節に示されています。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(34〜35節)。
 この掟は、後の15章でも繰り返して命じられます。私たちが互いに愛し合う交わりの中に、聖霊は生きて働いている。互いに愛し合う関係の中に、主イエスと父なる神さまは一緒に住んでおられる、と信じることができます。
 神さまや聖霊というものは、理屈で知るものではなく、心で、魂で感じるものです。どこに感じるのか? 愛に感じるのです。互いに愛し合う。その愛に、私たち人間の当然、常識、計算を超えた優しさや、見返りを求めない思い、自己犠牲的な心を感じるとき、私たちは、そこに“神”を感じるのです。


 聖霊の働きによって教会が生み出されて2千年、そして、私たちの坂戸いずみ教会が生み出されて20年が経(た)ちました。教会を造り上げていくこと、互いに愛し合う交わりを造り上げていくことは、常に課題です。愛のない自分の心との闘いです。大いなる目標です。挑戦、チャレンジです。だからこそ、やりがいがあります。本気の祈りが生まれます。
 創立20周年を迎えた私たちは、新たな志を持って、チャレンジャーとして、聖霊と愛を祈り求めていきましょう。

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