坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2012年10月28日 大人と子どもの礼拝説教(賛美礼拝)「心から賛美を歌おう」

聖書 コロサイの信徒への手紙3章12〜17節
説教者 山岡創牧師

3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。



        「心から賛美を歌おう」
 今日は午後から、主に大人の人たちのための研修会があります。讃美歌を勉強します。勉強すると言っても、教室で先生が黒板にチョークで書く説明を見ながら、聞きながらするような勉強とはちょっと違います。〈さんびがもっと好きになる!〉という素敵な題で、讃美歌にはどんな歌があるのだろう? どんな意味があるのだろう? ということを一緒に考えながら、たくさん讃美歌を歌ってみる。そういう楽しい会です。指導は、子どもたちは小学生合同キャンプでお馴染みの、長尾愛子さんがしてくださいます。
 その研修会に先立って、礼拝もいつもと少し違う〈賛美礼拝〉にしてみました。いつもより讃美歌を多く歌ったり、先唱者がいたり、フルートの伴奏が入ったり、子どもたちの聖歌隊があったりすると、何だかいつもより明るい、柔らかい、楽しい礼拝のような感じがします。
 そこで今日は、聖書の御言葉から、どうして私たちは神さまを賛美するのか、どうして礼拝で讃美歌を歌うのかを考えてみたいと思います。


 今日の御言葉の16節で、パウロ先生は、「詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」と勧めています。これは、簡単に言えば“心から神さまを賛美しなさい”ということです。それだけではありません。13節から読むと、「赦(ゆる)し合いなさい」、「愛を身につけなさい」、“平和に過ごしなさい”、「いつも感謝していなさい」、「すべて主イエスの名によって行いなさい」と、たくさんのことが命じられています。
 何だか“ああしなさい”“こうしなさい”ばかり言われて、ちょっとうるさいなあ、と思うかも知れません。でも、これには“わけ”があります。
 最初の12節を読んでみましょう。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから」と書かれています。ここが大事です。あなたがたは、神さまに愛されているのです。だから、赦し合いなさい。だから、愛を身につけなさい。神さまに愛されているのだから、平和に過ごしなさい、感謝しなさい、イエスさまの御心を思って行いなさい、と言われます。そして、そのうちの一つが、“あなたがたは神さまに愛されているのですから、心から神さまを賛美しなさい”という教えになります。
 神さまに愛されている。聖書の中で、教会において、当たり前のようにこう言われます。でも、決して簡単なことではありません。
 私たち人間はアダムさんとエヴァさん以来、神さまに罪を犯し続けて来ました。神さまに喜ばれないような、神さまの心とは違う生き方をしてきました。神さまに背き、人を傷つけ、ぶつかり、争い合って来ました。そういう私たちを赦して、愛するために、神さまはとても大きなことをしてくださったのです。
 イエスさまは、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15章13節)と弟子たちに教えましたが、イエスさま御自身が、十字架の上で命を捨てて、私たちの罪を背負い、犠牲になってくれました。神さまは、一人息子のイエスさまの命を犠牲にして、私たちを赦し、愛する子どもに選んでくださいました。その神さまの愛を感じたら、私たちは感謝せずにはいられない。歌わずにはいられなくなるのです。
 どうして讃美歌を歌うのでしょう? どうして?と言うよりも、歌わずにはいられないのです。自分が神さまに愛されていることを知ったら、感謝せずにはいられないのです。こんなにちっぽけで、罪深い“私”を神さまが愛してくださっていることを知ったら、神さまをほめたたえずにはいられないのです。その気持が歌になります。神さまに感謝し、ほめたたえる讃美歌になります。


 皆さんは、レーナ・マリアさんという歌手を知っていますか? レーナ・マリアさんは、1968年にスウェーデンに生まれました。彼女は生まれつき両腕がなく、また左足も右足の半分しかないという障がいを持って生まれました。そんな彼女は両親にとても愛されて育ちました。レーナは言います。“両親は、私を障害者レーナ・マリアとして育てず、ひとりの娘レーナ・マリアとして育ててくれました。そして、いつも『あなたは価値ある存在です。私たちはあなたをとても愛しています』と言って育ててくれました。そして、それ以上に神様が私を愛してくださっていることや、私には神様の特別な御計画がおありになるから、他の人と違う形に造られたということを、常に話してくれました”。
 そんなレーナは、どんなことにも前向きに、チャレンジする子どもとして成長していきました。彼女は、スウェーデン代表の水泳選手として、世界選手権やパラリンピックで活躍しました。
 その後、レーナは大学の仲間と結成したゴスペルグループの練習に打ち込み、いろいろな教会から招かれて歌っていました。やがて世界的に有名なゴスペル歌手となり、日本でも1992年以降、度々コンサートを開催して、神さまを賛美し、神さまの愛を語っています。
 彼女は日本で初めてコンサートを行ったとき、次の讃美歌を日本語で歌いました。
   心くじけて思い悩み、などで寂しく空を仰ぐ
   主イエスこそ、我がまことの友  一羽の雀に、目を注ぎ給う
   主は我さえも、支え給うなり
   声高らかに我は歌わん  一羽の雀さえ、主は守り給う
 一羽の雀さえ愛される神さまが、小さな私のことも愛して、支えてくださる。その恵みをレーナ・マリアさんはみんなに伝えたかったのに違いありません。
ある記者が彼女に“あなたは自分の体の障がいのことを悲しいと思ったことはありませんか”と訪ねた時、レーナは答えました。“少し不便だと思ったことはあります。でも悲しんだり落ち込んだりしたことは一度もありません。神様は何か目的があって私をこのように造られたのだと思います。ですから、その目的が何であったのか、これからが楽しみです”。
 神さまに愛されている喜びと感謝で、賛美せずにはおられない。この賛美の心を考えるとき、私は真っ先に、このレーナ・マリアさんのことを思い浮かべました。
 私たちも神さまに大切にされています。イエスさまに愛されています。心から感謝して、喜んで、賛美を歌う人になりましょう。

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