坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2012年11月25日 大人と子どもの礼拝説教「小さなものが大きなもの

聖書 マルコによる福音書4章30〜32節
説教者 山岡創牧師

◆「からし種」のたとえ
4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」


   「小さなものが大きなものに」
 みんなは、からし種を見たことがありますか?だいぶ前になりますが、私は知り合いから、からし種を見せてもらったことがあります。黒ゴマの粒のような種だったように記憶しています。それは、とても小さな種です。大きさは1ミリ以下、胡麻(ごま)の粒よりも小さな種です。イエスさまの時代には、他のどんな種よりも小さい種だと思われていたようです。
 ところが、このからし種。畑に蒔いて、成長すると、とても大きな野菜になりました。みんなの中で身長150センチぐらいの人はいますか?‥‥ちょっとその場で立ってみてください。からし種は平均すると150センチぐらい、ちょうど○○さんぐらいの高さになるのだそうです。(ありがとう)中には3mもの高さになるものもあったと言います。3mと言ったら、この礼拝堂の天井ぐらいの高さですね。大きいでしょう。イエスさまの時代には、野菜の中で他のどの野菜よりも大きいと考えられていました。
 イエスさまは、神の国の恵みを、色々と人々にお話してくださいましたが、今日の聖書箇所では、「神の国」(30節)は、この成長する「からし種」(31節)のようだ、と教えてくださいました。神の国って、最初はいちばん小さいかも知れないけれど、大きくなると、どんなものよりも大きくなるとイエスさまは言うのです。


 イエスさまのお話の中で、からし種にたとえられているのは、神の言葉です。聖書を通して神さまの言葉を聞き、受け入れると、私たちの心の中に、神さまを信じる信仰が芽を出し、成長します。その信仰によって、心の中で神さまと本当の友達になります。信仰によって信じている人同士、仲間になります。神の家族になります。それが「神の国」です。
 ところで、今、みんながいちばん好きなこととか、いちばん大切にしているもの、宝物のようにしているものって何ですか?‥‥‥(サッカー、バスケット等のスポーツ、PCゲーム、趣味、財産、学校や会社での地位、友達、家族、恋人とのデートの時間等)では、そういった好きなことや大切なものの中で、聖書の言葉、神さまの言葉って、みんなにとってどうですか?何番目ぐらいですか?‥‥‥3番、いや5番、いやいや10番目ぐらいかな、もっと後ろかな。みんなの心の中で、神の言葉って、とても小さなものかも知れませんね。
 神の言葉って正直、聞いていてもおもしろくないと思うことがありませんか?説教を聞いていても、右の耳で聞いて、左の耳から抜けていることがあるでしょう。聞きながら他のことを考えていることもあるでしょう。“この後、何して遊ぼう”“今日のお昼ご飯、何かな?”“早く帰って勉強やらなきゃ”。つまり、神の言葉は私たちの心の中で、遊びやご飯や勉強よりも小さなものなのですね。
 けれども、そんな小さな神の言葉が、私たちの心の中でいちばん大きくなることがあるのです。いちばん大切なものになることがあるのです。神の言葉によって、とても勇気づけられたり、穏やかな気持を与えられたりします。迷っていたことを決めることができたりします。聖書の言葉によって心から“救われた”と感じることがあります。神さまの言葉を抜きにしては生活できない、自分の人生を歩けないと思うほど、神さまの言葉は大切なものになり得るのです。いちばん大切なものになることができるのです。その時、神の国は、目には見えないけれど、あなたの心の中で何よりも大きく成長しているよ、とイエスさまは言われるのです。
 イエスさまのお弟子さんたちもそうでした。神さまの言葉は、最初小さかったかも知れません。ところが、イエスさまのお話を聞き、イエスさまに声をかけられた時、ペトロもアンデレも、ヤコブやヨハネも、漁師という仕事を捨て、家族を置いて、イエスさまに従って行きました。神の言葉が、神の国が彼らの心の中で大きくなったのです。


 私にも、そういう体験があります。私は、高校1年生の時に洗礼を受けました。でも、その頃の私は自信満々で、運動でも、勉強でも、聖書の教えを守ることでも、何でも自分の力でできる、と思っていました。
 そんな私が大学受験に失敗し、挫折(ざせつ)をしました。浪人をしながら、勉強に身が入りませんでした。自分の力で生きているという自信はなくなって、自分はだめな人間だ、生きている値打ちがないと、とても惨めな気持になり、落ち込みました。
 けれども、そんな私に、ある時、神さまが言葉をかけてくださいました。“それでも、あなたは生きていていい。あなたを愛しているから”。その言葉を聞いた時、肩にズシリと乗っていた心の重りがなくなって、生きることがとても軽く、楽になりました。安心しました。その時、神さまの言葉は私にとって、とても大きなものになりました。私の心の中に、大きな神の国が生まれました。
 みんなの心の中でも、神の言葉はとても大きな神の国になります。大きな安心になります。大きな勇気になります。大きな慰(なぐさ)めになります。大きな希望になります。大きな愛になります。もう既に、そういう大きな神の国を心の中に持っている人が、ここにはたくさんいます。


 さて、私たちの神の国には、もう一つの意味があります。それは、からし種のように「大きな枝」(32節)を張って、そこに「空の鳥が巣を作れるほど」(32節)になる、ということです。
 「大きな枝」という言葉から、私はふと、別の聖書の言葉を連想しました。それは、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15章5節)と言われたイエスさまの御(み)言葉です。イエスさまを中心にして、私たちはイエスさまという幹につながって枝を張る。あぁ、それって教会のことだな、と思いました。神さまを信じて、イエスさまを中心にして、私たちが仲間として、家族としてつながって行く。そこに新しい人が加わり、増えて、だんだん大きくなっていくのです。
 一昨日、教会創立20周年記念のバザーを行いました。みんなで売り場を担当して、買い物をして、演奏や手品や賛美の時間もあって楽しかったですね。
 このバザーの一隅に、写真閲覧コーナーを設けました。私はバザーの前の日に、クリスマスやイースターの時に撮っている集合写真の整理をしました。1992年の教会創立当初からの集合写真があります。改めて20年前から見てみると、少なかったメンバーに少しづつ仲間が加わって、ずいぶん多くなった、大きくなったと感じます。皆さんも後でぜひ、図書コーナーで見てみてください。
 私たちの教会が20年、神さまの恵みによって導かれ、支えられてきたことを感謝して、これからも大きな枝を張り、新しい人をイエスさまの救いに招く神の国として、教会として歩んで行きましょう。

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