坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2014年11月30日 待降節第1主日・礼拝説教「善い言葉に従って生きる」

聖書 ルカによる福音書1章26〜38節
説教者 山岡創牧師

1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 
          「善い言葉に従って生きる」

 今朝、教会に来たら、ずいぶん様子が変わっていることに、すぐに気が付いたことと思います。リースやクランツ、クリスマス・ツリー等の飾り付けがされている。それは、今日からアドヴェントという期間が始まったということです。
 アドヴェントは、12月25日のクリスマスの4回前の日曜日から始まります。今日はアドヴェント・クランツのキャンドルに1本、火が灯っています。日曜日ごとに増やしていき、4本のキャンドルに灯が灯ったとき、クリスマス礼拝を迎えます。その日に向かって今日から心を整えていきます。喜びのテンションを上げていくと同時に、どのように救い主イエス・キリストをお迎えするのが良いか、考えながら生活するのです。
 クリスマスは、私たちの救い主であるイエス・キリストが生まれた日です。その誕生を祝う祭りの日です。今日、教会に来た時、最初に目に飛び込んで来たのは、ショー・ウィンドウのように外に向かって見せているクリスマス・ツリーとクリブだったと思います。クリブというのは、聖書のクリスマス物語に登場する人物の人形です。飼い葉桶に眠るイエス様を中心して、ヨセフとマリアがいます。羊飼いたちがいます。星を調べる学者たちがいます。そして、向かって右端に‥‥天使がいます。今日読んだ聖書の箇所は、天使がマリアに、神の子イエス・キリストを身ごもることを告げる場面です。この天使のお告げからクリスマスの物語が始まります。


 マリアはとてもびっくりしたと思います。天使を見てしまったという驚きも、もちろんあったでしょう。けれども、もっと驚いたことがありました。それは、「あなたは身ごもって男の子を産む」(31節)と告げられたことです。いったい何の事?とマリアがポカンとしてしまったとしても不思議ではありません。
 この時代のユダヤでは、女の人は12歳で成人と見なされ、結婚しても良いとされました。マリアはヨセフとのいいなずけだった、つまり婚約していたとありましたが、まだ13〜14歳ぐらいだったかも知れません。日本で言えば中学生です。そんな、少女と言っていいマリアが、まだ結婚もしていないのに、「あなたは身ごもって男の子を産む」と天使から告げられたのです。
 マリアは必死で反論しました。“そんなことあり得ません。困ります”って。もし自分がそうなったら‥‥と考えてみたら、よく分かる。あり得ないことがもし起こったら、どうしていいか分からず、パニックになりますよね。
 けれども、そんなマリアに天使は淡々と語り続けます。あなたはまだ結婚していないけれど、聖霊があなたに降(くだ)り、神の力によってあなたは子どもを宿すのです。その子は神の子と呼ばれ、偉大な人になり、人々を救います。神さまにできないことは何一つないのです。マリア、恐れることはありません‥‥‥。この天使の言葉を聞いているうちに、マリアは次第に落ち着きを取り戻していったのでしょう。そして、神さまと神の言葉を信じて、自分の運命を受け入れようと決心したのでしょう。運命、それは、神さまがあなたの人生に定めてくださっているご計画です。その神のご計画を“分かりました”と受け入れる決心と覚悟をマリアはしたのです。それが、マリアの最後の言葉です。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)。本当は、受け入れるまでに、もっと時間が、年月がかかったかも知れません。簡単に“分かりました”とは言えないことです。でも、マリアは信じて生きていくと決心したのです。
神の言葉を信じて、自分に定められた運命を受け入れる。そのマリアの姿から、私はふと、〈相棒〉というテレビ番組を思い起こしました。水谷豊・演じる杉下右京という刑事が、その幅広い知識と観察と推理力を駆使して、相棒の刑事と二人で事件を解決していくドラマです。

 このドラマに、鈴木杏樹が演じる月本幸子という人物が登場します。幸子は自分の夫を殺した暴力団の幹部を殺して、海外に逃亡しようと謀(はか)ります。外国で別人になり済まして、新しい人生を始めようとするのです。ところが、成田空港に行く途中で車が故障。助けを求めて呼び止めた車に乗っていたのが杉下右京でした。幸子の不自然な振舞に気づいた右京は、適当な理由を付けて、空港往きのバスに乗る幸子に同行します。そのバスの中で、幸子が右京に語ります。“幸子という名前なのに、自分は幸せどころかついていない女だ。修学旅行の前日に盲腸になり、初めてのデートは海に流されて死にかけ、大学受験の前夜、家は火事になり、新婚旅行から帰ってきたら空き巣に入られていた‥‥(そして夫は暴力団に殺さる)そんな、ついていない人生は終わりにして、新しい人生を始めるの。邪魔しないで”と。
 しかし、成田空港のゲートをくぐる前に、もう一人の相棒刑事・亀山薫によって暴力団幹部が見つかり、幸子はつかまります。けれども、殺したと思っていたその幹部は、亀山が発見したことにより命を取り留めました。殺人犯にはならず、“あなたはついているじゃありませんか”という言葉に幸子は頭を下げます。そして、刑務所の中で右京がバスの中で言った言葉を思い出して、まじめに、あきらめずに生きるのです。“どんなに不本意な人生であっても、逃げずに、向き合うのでなければ、本当に幸せにはなれませんよ。あなたにはそれができるはずです”。その言葉を思い出しながら、その後、思いがけない出来事が起こっても、事件に巻き込まれても、“明日はきっと良いことがある。人生は必ずやり直せる”と信じて生きていくのです。
 自分の運命を恨(うら)み、呪(のろ)っていた幸子が、杉下右京と出会い、その言葉によって人生を信じて生きて行こうと決心をしたのです。

マリアも、天使が告げる自分の運命に驚いた、困った、恐れたと思います。けれども、「恐れることはない」(30節)、「神にできないことは何一つない」(37節)という神の言葉を信じて、自分の人生から逃げずに向かい合おうと決心し、覚悟したのだと思います。自分の運命を神さまのご計画として受け入れて、“明日はきっと良いことがある”と信じて生きていこうと決めたのです。その神さまを信じる決心から、神の救いの“人生ドラマ”が始まります。世界の救いが始まります。
 私たちは一人ひとり、テレビ・ドラマの主人公ではありませんが、自分の人生の主人公です。自分の人生は、他のだれも生きられません。人生を取り換えることはできません。自分の人生を逃げずに引き受け、“今日は辛(つら)くても、明日はきっと良いことがある”と神さまを信じて生きていきたいと思います。お互いに祈り合い、励まし合って生きていきたいと思います。

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