坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2016年4月24日 大人と子どもの礼拝説教「キリストの愛とともに歩もう」

聖書 ヨハネによる福音書13章33〜35節
説教者 山岡 創牧師

13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」


      「キリストの愛とともに歩もう」

〈キリストの愛とともに歩もう〉。坂戸いずみ教会は今年度、この願いを掲(かか)げて活動します。いや、この願いを、坂戸いずみ教会の変わらぬ目標と祈りとして、ずっと掲げて行きます。3年間考え続けて定めました。今年度は、その記念すべき1年目ということになります。さあ、ご一緒にこの願いを、声を出して唱(とな)えてみましょう。〈キリストの愛とともに歩もう〉。
 この願いの言葉から、私は一つのゴスペル・ソングをイメージします。
  地には平和、このわたしから  あなたが望んでおられたこと
  わたしたちは主の子ども  共に歩こう、愛と共に
 中学生、高校生、青年の中には、どこかで聞いた歌だなと思い出す人もいるでしょう。私はこの歌を、何年か前の埼玉地区のキャンプで初めて教えてもらい、歌いました。持ち帰って坂戸いずみ教会の礼拝でも歌ったことがあります。この歌をうたっていると、なぜか涙が出て来ます。地上に平和を、このわたしから造り出していこう。その困難に挑戦する決意の気高さを思うからか、はたまた、平和を造り出すためにこのわたしに注がれたキリストの愛の深さを思うからか、この歌を口ずさむと、感動して、涙が出て来ることがあるのです。
 共に歩こう、愛と共に。この歌詞はまさに〈キリストの愛とともに歩もう〉と同じです。キリストの愛とともに歩くことで、地上に平和を生み出していく。教会の内に平和を生み出していく。教会から始めて、自分の周りに平和を生み出していく。それが究極的には、世界の平和につながっている。だから、〈キリストの愛とともに歩もう〉という願いは、言い換えれば、“平和を生み出そう”という願いだと言っても良いでしょう。
 平和って何でしょうか?一人の子どもが、“平和ってなぁ、いっしょにご飯食べることやもん”と言いました。その通りだと思います。私の言葉で言うと、人が安心して一緒に居られること、だと思います。教会を、人が安心して一緒に居られる場所にする。平和な場所にする。そのために、〈キリストの愛とともに歩もう〉という願いを掲げて、私たちは今日から歩み始めます。

 ところで、〈キリストの愛とともに歩もう〉という願いは、<キリストとともに歩もう>、と言い換えても、中味はほとんど同じです。イエス・キリストが自分の隣にいて、ともに歩いてくださる。ヨハネさんをはじめ、イエス様のお弟子さんたちは、そうやってイエス様と一緒に歩きました。イエス様がそばにいてくださることで、心強さを感じていました。
 でも今は、イエス・キリストは天にお帰りになって、地上にはいません。今ここに、私たちの隣にはいません。でも、私たちはキリストの教え、キリストの愛を、聖書によって知っています。キリストが命がけで弟子たちを愛されたこと、命がけで神さまの愛を私たちに教えてくださったことを知っています。だから、イエス・キリストからいただいた愛に感謝して、愛を心がけて生きていきます。それが、〈キリストの愛とともに歩もう〉という願いです。
 『ラチとライオン』という絵本を連想します。弱虫の少年ラチの家にある日、小さな赤いライオンがやって来ます。ライオンはラチを勇気づけ、強くなれるように訓練します。そして、ラチが家から出かける時には、いつもラチの服のポケットの中に入って、一緒について行きました。何をするわけではありません。でも、ラチはそれだけで心強かったのです。
 私たちも、キリストの愛を、心のポケットに入れて歩く。心に愛があふれる。人を愛する勇気が生まれる。キリストの愛とともに歩むとは、そんなイメージです。

 〈キリストの愛とともに歩もう〉。イメージはできました。では、具体的にはどうすることでしょう?イエス・キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(34節)と言われました。愛は、色んな相手との関係によって、色んな言葉となり、色んな態度となり、色んな行動になります。とても一口では言えませんが、愛を具体的に実践するためのヒントを二つお話します。
 “ゆうくんのあいさつは元気いっぱいだ”“のりちゃんは、独りでいる子によく声をかけている”“しんちゃんは、おもしろいことを言って、みんなを笑顔にしている”“ちかちゃんは何でも一生懸命だ”‥‥‥これは、AC(公共広告機構)の〈イイトコメガネ〉という、2年前ぐらいに放映されたコマーシャルの話です。一人の男の子が、クラスの友だち一人ひとりの良いところを見つけます。イイトコメガネをかけると、人の良いところが見えるのです。もちろん、本当にあるめがねではありません。“イイトコメガネは、みんなの心の中にあるよ”と男の子が言います。つまり、人の良いところを見るようにしよう、という呼びかけです。
 これ、愛がなかったらできません。愛がなかったら、人の悪いところばかりが見えてきます。人の悪いところは、なぜか小さなことでもよく見えます。聖書の中で、イエス様も、あなたがたは、人の目の中にある、ほんの小さな埃(ほこり)のような欠点でも見逃さない。でも自分の悪いところは大きくても、蓋(ふた)をして見ないようにしている(マタイ7章3節)と言っています。私たちは、人の悪いところばかりを見ていたら、文句や不満ばかりが出て来ます。そういうところに、良い人間関係が、安心が、平和が生まれるはずがありません。
 キリストは、愛のまなざしで、弟子たちの良いところを見ておられたでしょう。それは、父なる神のまなざしです。神さまは天の上から、愛のまなざしで私たちの良いところを見ていてくださいます。私たちも“キリストのめがね”を、“愛のめがね”をかけて、お互いに良いところを見ましょう。そこから平和と安心は始まります。
 もう一つ、やはり最近の公共広告機構のコマーシャルですが、交差点で横断歩道を渡っていた男性同士の肩がぶつかります。一人が振り向いて、“この野郎、どこ見て歩いているんだ!”と言わんばかりの険(けわ)しい形相(ぎょうそう)で相手をにらみつけます。そこで、相田みつおさんの詩が流れます。
  セトモノとセトモノとぶつかりっこすると、すぐこわれちゃう。
  どっちかがやわらかければだいじょうぶ。
  やわらかい心を持ちましょう。
 もう一人の男性が振り向いて、“ごめんなさいね”と、やわらかな表情で頭を下げて、渡って行きます。その言葉と態度に、にらみつけていた男性の表情が緩(ゆる)みます。そして、ふと、にらみつけた自分を反省する表情に変わります。
 “やわらかい心を持ちましょう。それも立派な公共心です”と、このコマーシャルは結ばれます。やわらかい心は、寛容な心です。赦(ゆる)しの心だと言っても良いでしょう。それは、聖書で言えば、キリストの心、愛の心です。
 イエス・キリストは、ご自分を裏切ったユダを赦されました。ご自分を知らないと否定したペトロを赦されました。ご自分を見捨てて逃げた弟子たちを赦されました。ご自分を十字架かに架けた人々を赦されました。そして、セトモノのような私たちのことも愛して、赦されます。
“やわらかい心を持ちましょう。それも立派な愛です”とイエス様は言われるでしょう。そこに平和と安心が生まれます。

 〈キリストの愛とともに歩もう〉。教会の永遠の願いです。高い目標です。切なる祈りです。思いを込めて、みんなで目指し、キリストの愛とともに歩んでいきましょう。


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