坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2016年4月17日 礼拝説教 「恥じることのない苦しみ」

聖書 ペトロの手紙(一)4章12〜19節
説教者 山岡 創牧師

4:12 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
4:14 あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
4:15 あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
4:18 「正しい人がやっと救われるのなら、/不信心な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
4:19 だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。


      「恥じることのない苦しみ」

 新約聖書の中に収められている福音書や手紙は、元々ギリシア語で書かれました。当時、ユダヤを含め地中海周辺の広大な地域を支配していたローマ帝国が公用語としていたのがギリシア語だったからです。そのギリシア語で“魚”のことを“イクスース”と言います。そして、イクスースという5文字をうろこのように内側に刻んだ魚のマークは当時、キリスト者の暗号のようにつかわれました。ほかの誰にも気づかれないようにお互いを認識するための暗号です。例えば、家の入口の脇の壁に魚のマークを刻んでおく。それを見たキリスト者は、この家の人がキリスト者であることを知ることができたのです。自分だけではなく、他にもキリスト者がいる。そのことがお互いの励ましになったのです。ちなみに、“イエス・キリスト・神の・子・救い主”という5つの言葉の頭文字を並べると、イクスースという言葉になりました。当時のキリスト者たちは、つまり自分たちの信仰告白の頭文字を暗号に用いたのです。
 なぜそのようなことをしたのか?なぜ自分たちがキリスト者であることを隠したのか?それは、「火のような試練」(12節)の時代だったからです。キリスト者だというだけで迫害される時代だったからです。

「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません」(12節)。
 今日の聖書の箇所は、この言葉で始まりました。キリスト教信仰は、ユダヤのエルサレムからローマ帝国全体に広がって行きました。最初は、ユダヤ人が、この信仰はユダヤ教の異端だ、間違った信仰だと言って迫害していました。ローマ帝国による迫害が起きたのは、ネロ帝の時です。64年にローマの都で大火事が起こり、それがキリスト者の仕業(しわざ)とみなされ、迫害が起こり、多くの人が処刑されました。それ以後、キリスト教はローマ帝国で非認可の宗教となり、キリスト者だというだけで犯罪者扱いされるようになりました。81年にドミティアヌス帝が即位してからは、小アジア地方で迫害の嵐が吹き荒れました。この手紙は、小アジアの5つの地域にある教会に書き送られたものですから、この手紙はこの時代に書かれたものかも知れません。その後も、キリスト教は200年以上、ローマ帝国で公認宗教として認められるまで、迫害され続けました。
 どうしてキリスト教は迫害されたのでしょう?一つは、当時ローマ皇帝を神の子とする皇帝崇拝が強制されていましたが、キリスト者は、イエス・キリストだけが神だと言って皇帝を礼拝することを拒んだからです。また、神の前にすべての人は平等と考える思想がローマの貴族階級に煙たがられたこと、聖餐式(せいさんしき)が人の肉を食べる儀式だと誤解されたこと等が挙げられます。
 キリスト者は捕らえられ、処刑されました。柱にくくりつけられ、灯油をかけられて、火あぶりにされたり、コロシアムでライオンの餌にされるような、酷(ひど)い殺され方をすることもありました。まさに「火のような試練」です。 
 けれども、ペトロは、そのような試練、迫害を「思いがけないこと」ではない、と言うのです。むしろ想定内だ、だから驚き怪しむな、と言うのです。ある意味で、信仰には苦しみが付き物だということです。
 ペトロは、こう語った時、イエス・キリストの生涯を思い浮かべていたのではないでしょうか。キリストは、いわゆる“この世の栄光の道”を歩んだわけではありません。多くの人々から賞賛され、支持され、高い地位と権力の座に就いたのではありません。むしろ、その反対でした。神の御心(みこころ)に従って、真理に従って、正義の道を、愛の道を歩もうとすればするほど、権力者たちから煙たがられ、人々からは反発されました。そして最後は、陥(おとしい)れられ、十字架に架けられて、処刑されました。そのキリストを救い主と信じて、従おうとするならば、キリスト者の信仰生活に苦しみがないはずはないと考えたのでしょう。そしてペトロは、イエス・キリストが弟子たちや人々に言われた言葉を思い浮かべていたでしょう。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ福音書8章34節)。
 信仰を持って生きようとする時、キリスト者には「自分の十字架」があるのです。“自分の苦しみ”があるのです。それは、思いがけないことでもなんでもないのです。
 私たちは、宗教に何を求めるでしょうか?キリスト教に何を求めているでしょうか?言うまでもなく“救い”を求めているのだと言って良いでしょう。では、救いとは何でしょうか?もし、この世で何の苦しみもなく、楽しく過ごせることが救いだと考えているとしたら、それは誤解です。キリスト教信仰による救いとは、キリストによって罪を赦(ゆる)され、神に愛される者として生きる、ということです。それは、神に造られた者として本来的な生き方をするということです。私たちは、人によって色々ですが、神がこの世界と私たち人間を造ってくださった、その神の心、愛の心から離れて、背いて生きているところがあります。だから幸せになれない、平和になれない。そういう自分の姿に気づき、自分の間違いに気づき、神さまの方に自分の心を向け直し、神の御心に従って生きるところに救いがあるのです。糸の切れた凧(たこ)のような、迷いと不安の、刹那(せつな)主義的な人生ではなく、神の御心という土台をしっかりと持って、神さまを信頼して自分の人生をおゆだねし、納得して生きることができるからです。
 そのような信仰の人生に、苦しみがないわけではりません。キリスト者であってもなくても味わう苦しみがあります。そして、キリスト者であるがゆえの苦しみが起こってきます。「キリストの名のために非難される」(14節)という苦しみが起こって来ます。反対され、迫害されるという苦しみが起こって来ます。
 けれども、そのように人々から非難され、反対され、迫害される時こそ、喜びなさい。「キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい」(13節)とペトロは言います。普通は喜べません。辛くて、苦しくて仕方のないことです。けれども、そこに「幸い」(14節)が隠されている、「栄光」(13節)が隠されているとペトロは言います。苦しみは幸いへと、栄光へと続く道なのです。
 イエス・キリストが十字架に架けられ死なれた後、復活されたと、福音書は書き記しています。手紙も含め新約聖書全体が、イエス・キリストの復活を語っています。復活とは、神の御心に従って生きる苦しみの道が、最後には神のお褒(ほ)めにあずかり、勝利するというしるしであり、私たちに対する約束なのです。それは、この世の栄光ではありません。あの世の栄光、万物の終わりの時の栄光です。この世で得る名誉とか、栄華とか、富といったものではありません。けれども、私たちは、神の栄光を目指して、終わりの時の勝利を目指して、苦しみを納得して生きるのです。キリスト者として生きようとしたら、誤解される、この世の反対に遭う、場合によっては迫害される。でも、それは当然のこと。キリストのように、相手を憎(にく)まず、恨(うら)まず、ののしらず、愛と善に生きて、人生の終わりの時の勝利、神の栄光、復活(永遠)の命を目指して生きる。それが、キリスト者の救いの生き方です。

 だから、キリスト者として苦しむことを恥じる必要はない。キリスト者として犯罪者扱いされ、非難され、迫害されても、何ら恥じることはない。もちろん、「人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者」(15節)という、いわゆる犯罪者であるならば、これは大いに恥じなければならない。けれども、キリスト者として犯罪者扱いされ、苦しみを受けるのなら、恥じる必要はない。「むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで」、つまり、あいつはキリスト者だと悪口を言われることで、「神をあがめなさい」(16節)とペトロは言います。なぜなら、それは、その人が、キリストの従う道を、神の栄光と勝利という救いの道を歩んでいる確かなしるしだからです。
 日本にもキリスト教迫害の時代がありました。豊臣秀吉の時代から江戸時代にかけては、キリシタン禁制でした。長崎の十六聖人をはじめ、多くの殉教者(じゅんきょうしゃ)が出ました。明治維新により日本が開国して、海外からプロテスタントの宣教師が入って来て、キリスト教は盛んになりました。けれども、太平洋戦争の戦前、特に戦中は厳しい迫害の時代でした。坂戸いずみ教会を生み出した川越の初雁教会も、戦時中に迫害され、教会を解散させられた教会の一つです。天皇よりもキリストがこの世の支配者として上だとしたからです。
 私たちの教会にも、そんな、キリスト者としての苦しみを経験された方が何人かおられます。お名前を出して恐縮ですが、昨年の5月に、子どもチャペルの礼拝で、S.Sさんが、ご自分の子どもの頃のことを証ししてくださいました。会報『流のほとり』79号にその証しの文章を載(の)せましたが、白石さんが2年生ぐらいの時に、時計屋さんに、修理に出した時計を取りに行ったとき、“アカとヤソじゃ、大変だなあ”と言われたそうです。たぶん太平洋戦争が始まった頃のことではないかと思います。アカ(赤)とは共産主義の思想を持つ者、そしてヤソ(耶蘇)とはキリスト者のことです。家に帰って白石さんは、どうしてヤソが大変なのか、お母さんに聞きました。すると、お母さんは、自分で考えてごらん、と言って、家中あちこちに貼(は)ってある、亡くなったお爺さんが書いた聖書の言葉を見せて歩いたと言います。小さな白石さんには、草書で書かれた聖書の言葉は読めなかったと言いますが、最後に必ず“ヤソ 橋本”というサインがしてあって、それをいくつもいくつも見ていたら、何だかお爺さんが喜んでいるような感じが伝わって来たと言います。
 「わたしはヤソですぞ、神様を知って、聖書を読めて、お祈りまで出来て、嬉しくてならないのですぞ」と言っているように思えて来ました。たぶんその頃‥‥‥ヤソという言葉には、ある程度の侮蔑(ぶべつ)、侮辱(ぶじょく)の意味が込められていたと思います。でも「人がなんと言おうと、私はヤソです!」という感じが出ていましたね。‥‥‥そうか、ヤソは大変ではなくて、嬉しいんだと思いました。
 そんな家庭で、教会で育ったSさんは、
  苦しいことも楽しいこともみんなひっくるめて、イエス様の言葉から神様の愛を知って、みんなと共に生きていく嬉しさをしっかりといただきました。
と子どもたちに証しをしてくださいました。「むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい」との御言葉どおりに生きる姿が、そこにあると感じました。

 私はキリスト者として何を苦しんでいるだろうか?ふと自分の信仰生活のぬるさを感じずにはおられませんでした。もちろん、今は迫害の時代でもありません。また、わざわざ自分から求めて苦しみに生きるのも違うと思います。けれども、自分の中に、私はキリスト者ですと明らかにすることで、誤解を受けたり、偏見の目で見られることを恐れる気持があるように感じます。人の目を気にし過ぎているのです。
“人が何と言おうと、私はヤソです”と喜んで言えるようになりたい。最後の19節にある、「真実であられる創造主(そうぞうしゅ)に自分の魂(たましい)をゆだねる」とは、そういうことだと思うのです。人ではなく、神との“救いの絆(きずな)”に生きるとは、そういうことだと思います。


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