坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

 2022年5月22日 主日礼拝説教 

              「愛の光になろう」      

聖 書 ヨハネによる福音書13章34~35節
説教者 山岡 創牧師

 34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 
35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

「愛の光になろう」
 “キリストの愛とともに歩もう”。1992年に始まった私たちの教会が、2016年度に、それまでの歩みを踏まえ、3年間の協議の末に定めた坂戸いずみ教会の“願い”です。そして、この願いの基になったのが「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)との御言葉(みことば)です。私たちは、この願いと御言葉に立って教会を造り上げていくことを目指しています。まず意識をすることから。そのために、礼拝堂の正面右手にこの願いと御言葉を掲げています。また、礼拝の終わりに、派遣と祝福において、私が主イエスに代わって、互いに愛し合うように命じ、皆さんが“主よ、わたしたちをキリストの愛とともに歩ませてください”と応答する形を取っています。教会の交わりにおいて、また普段の生活の中で、この願いと御言葉を心に留めて歩んでいただきたいのです。
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「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。これは「新しい掟」(34節)として、主イエスが弟子たちに命じたものです。新しい掟があるということは、古い掟があります。それは、律法(りっぽう)と呼ばれ、十戒を中心にした掟であり、旧約聖書の創世記からエステル記までの前半部分に当たります。
主イエスはある時、律法学者から、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(マルコ12章28節)と問われたことがありました。その問いに主イエスは、心を尽して神を愛することと、隣人を自分のように愛することだ、とお答えになりました。それが律法の真髄だ、神さまの御心(みこころ)だと主イエスは汲み取っておられたのです。
そして、主イエスは、この律法の真髄から、新しい掟を、古くて新しい掟を、弟子たちのため、教会のためにお与えになりました。それが、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という掟です。
 父なる神は、犠牲を払い、無償で、見返りを求めずに、あなたがたを愛しておられる。この神の愛を信じて受け止め、愛に応えて神を愛し、隣人を愛する。喜び、感謝して、互いに愛し合うようにと主イエスは弟子たちに、私たちに命じています。
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 そして、「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と主イエスは言います。つまり、“教会の人たちっていいわね。何だか優しい空気があって、愛が溢(あふ)れている感じがするわ。きっと信じている神さまがすばらしいのね”と、教会の外の人たちに少しでも思ってもらえたら、それは私たちが神の栄光を表わしていることになります。互いに愛し合う交わりの中に、目には見えないけれど“神”を感じてもらえたら、私たちは神の愛を証ししたことになります。
 5月1日の説教でもお話しましたが、最近『ディズニー、サービスの神様が教えてくれたこと』(SBクリエイティブ)という3巻本のシリーズを読んでいます。著者の鎌田洋さんは、ゲストとキャストの間で「心を動かす何か」が生まれたとき、そこには必ず“サービスの神様”があらわれる(前掲書4頁)と言います。人と人との間に、心を動かす愛が生まれる時、人はそこに神を感じ、“神”と呼ぶのだと思います。聖書においても、ヨハネの手紙ははっきりと“神は愛である”と語っています。
 このサービスの心、愛の心は、ディズニーランドで日常的に培(やしな)われているものです。たとえば、こんな話があります。ディズニーランドのお掃除のキャストをしている若い女性が、孫の職場がどんなところかを知ろうとして内緒でやって来た祖父と、一緒に園内を回ることになります。そして、目の悪い祖父がある場所で、花の香りに気づき、近くにオレンジ色の花はないか?と尋ねます。それは亡くなった祖母がいつも工場に飾ってくれていた花の香りだといいます。その花の名前を知りたいという祖父の願いに、彼女は近くにいたキャストに、オレンジ色の花の名前を尋ねます。キャストは答えられませんでしたが、少しお時間をくださいと言って離れて行きました。その後、キャストの交代時間が来て、彼女はやっぱり無理だったのだと思いましたが、ダメ元で他のキャストに聞いてみてくれと祖父に言われ、彼女はその花の近くにいた別のキャストに尋ねます。すると、“もしかして、先ほどこのお花の名前を聞かれた方ですか?”と言います。どうして?と驚く彼女にキャストは、“申し送りのノートに、お客さまのことが書いてあったからです”(上掲書63頁)と答え、その花の名前がガザニアというキク科の花であること、ちなみに花言葉は“あなたを誇りに思う”という意味だと教えてくれました。祖母に苦労かけたと悔やみ続けていた祖父は、花に込めた妻の思いを知り、キャストの手を握って感謝し、その後、涙で顔をしわくちゃにしたということです。
 私はこの話にとても感動しました。1日だけで何万人といるゲストの中のたった一人の言葉を真摯(しんし)に受け止めている。もちろん、相手の事情や気持ちなど分からないままに、です。そして、それをきちんと申し送りをして、しかもそのゲストにもう一度会えることなんてほとんどあり得ない、無駄に終わるかも知れないのに、その花のことをきちんと調べている。もちろん“そこまでしなさい”という具体的なマニュアルはディズニーランドにもありません。でも、キャストたちはディズニーランドのマニュアルの真髄を汲み取って、その時その場の判断で動いているのです。そして、このように日常的な、でも決して表には見えない“小さな愛の積み重ね”が、人の心を感動させる元であり、サービスの神さまを呼び寄せるのだと思います。
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 ディズニーランドはお金儲けのために始めたのではない。愛のために始めたのだ。(『ディズニー、ありがとうの神様が教えてくれたこと』見開きより)。創始者であるウォルト・ディズニーはそう語ったといいます。
 もしも主イエスがこの言葉を借りたとしたら、こう言うのではないでしょうか。教会は人を支配し、権力をふるうために始めたのではなく、お金儲けのために始めたのでもない。愛のために始めたのだ。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも、すべての人の僕(しもべ)となり、隣人に仕え、互いに愛し合うために始めたのだ、と。
 この主イエスの御心、真髄を汲み取って生きる私たちでありたいと願います。主イエスの愛に基づいて教会を共に造り上げる私たちでありたいと願います。
 そのために一つだけ提案をします。教会につながる仲間のために、お互いに祈り合いましょう。普段の生活の中で祈り合いましょう。決して表には見えないし、ある意味で無駄に思うかも知れませんが、これは“小さな愛の積み重ね”なのです。「互いに愛し合いなさい」という主イエスの教えを実践する大切な基礎だと思います。お互いに祈り合う心が、その時その場での“愛”になることが必ずあります。
 今日、今年度の『祈りの名簿』を皆さんに配りました。私はこの名簿を6日間に分けて、少なくとも1週間に一度は、一人ひとり、名前を挙げてその人のために祈るようにしています。皆さんも知っている仲間のために、また知らない仲間のためにもぜひ愛と祝福を祈ってください。知らない人のために祈るのは難しいかも知れませんが、いつかその人がだれなのか分かった時、“自分はこの人のために祈って来たのだ”と関係を深めることができるでしょう。そのように祈り合うことが、愛し合うことの土台になります。
 教会は愛のために始めたのだ。この主イエスの御心を思い、「互いに愛し合いなさい」との御言葉の真髄を汲み取って、今年度もキリストの愛とともに歩んでいきましょう。

 

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会

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