坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2007年3月25日 主日礼拝「相続財産はだれのものか」

聖書 ルカ福音書20章9〜19節
説教者 山岡創牧師

◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
20:9 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
20:10 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
20:11 そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
20:12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
20:13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
20:14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
20:15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
20:16 戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
20:17 イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』
20:18 その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
20:19 そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。


         「相続財産はだれのものか」
もしも私たちがそのシーンを見ていたら、きっと"ちょっと待て"と止めに入ったに違いありません。場所はぶどう園です。見渡す限り、ぶどうの枝が棚を行き渡り、ふさふさとしたぶどうがたくさんなっている。そのぶどう棚の下で、このぶどう園に雇われ、働いている農夫たちと、このぶどう園の持ち主の息子が向かい合っているのです。


持ち主の息子は農夫たちに言いました。"私のお父さんから言われて来ました。ぶどうを収穫する季節になりました。収穫したぶどうを売って手に入れたお金をこちらへ渡してください"。すると、農夫たちはニコニコしながら、"分かりました。それでは、向こうの小屋へ行って、お金をお渡ししましょう"と言って、ぶどう園の息子を連れて行きました。けれども、心の中ではとても悪いことを考えていたのです。「これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる」(14節)。農夫たちは皆、この持ち主の息子を殺してしまえば、ぶどうを売ったお金も、そしてぶどう園そのものも自分たちのものにすることができると考え、息子を殺す計画を立てていたのです。


そして、うまいことを言って息子を人のいないところへ連れ出し、殺してしまったのです。もし私たちが、騙されて、殺されようとしているぶどう園の息子のそばにいたら、"行ってはだめだ"と止めに入ったでしょう。それとも、見て見ぬふりをしてしまったでしょうか?。



ところで、このぶどう園の持ち主の息子とは誰のことを指しているか分かりますか?。


そうです、この息子とは神さまの息子、神さまの独り子であるイエスさまのことを指しています。だから、この息子のお父さんであり、ぶどう園の持ち主というのは父なる神さまのことになります。


神さまはご自分のぶどう園を自分のものにしようとする人々のところに、ご自分の愛する息子であるイエスさまを送ることにしたのです。ご自分の息子、神の子イエスさまの言うことなら、人々が聞くに違いないと思ったからです。


ところが、今日の聖書の中に書かれていたように、イエスさまは殺されてしまいました。十字架に架けられて殺されてしまったのです。主人のぶどう園を農夫たちが自分のものにしようとしたように、神さまのものを奪って自分のものにしようとする人の罪が、イエスさまを十字架に架けて殺してしまいました。


ぶどう園の息子を殺してしまった「農夫たち」とは一体だれのことでしょうか?。今日の聖書を読むと、それは「律法学者たちや祭司長たち」(19節)だと書かれていました。律法学者や祭司長というのは、イスラエルのリーダー、指導者でした。でも、その指導が間違っていたので、イエスさまは何度も、"神さまのお気持は罪深い者を憐れむことだよ""神さまのお考えは人を愛することだよ""神さまが喜ばれるのは、心から悔い改めることだよ"と伝えました。けれども、律法学者や祭司長たちは、そういうイエスさまのことをうるさく感じました。邪魔だと思いました。イエスさまの方が間違っていると思い込みました。イエスこそ神さまに背いて罪を犯していると言いふらしました。そして、イエスさまの言葉を受け入れず、十字架に架けて殺してしまったのです。だから、今日の聖書のお話に出てきた「農夫たち」とは、当時の律法学者たちや祭司長たちのことを指しています。


けれども、ここにいる私たちも、イエスさまを十字架に架けた「農夫たち」のようになってしまうかも知れません。なぜなら、私たちも神さまのぶどう園を奪って自分のものにしようとすることがあるからです。


神さまのぶどう園とは何だと思いますか?。それは、私たちの"命"のことです。その"命の舞台"である"人生"のことです。私たちの命は、私たちが自分でつくったものではなく、神さまからいただいたもの、もらったものです。いや、もらったと言うよりは、"貸してもらった"と言う方が正しいでしょう。なぜなら、ずーっと持っていられるわけではないからです。後で"もう返して"と言われて、返さなければならない時が来るからです。だから、命は私たちのものではなく、神さまのものです。神さまのものである命を、私たちは貸してもらっているのです。


人から何かを貸してもらった時、私たちはそれをどのように使いますか?。図書館で本を借りたら、友達からおもちゃやゲームを貸してもらったら、どのように使うでしょう?。きっと大切に、壊さないように使うことでしょう。


神さまから貸してもらった命も大切に、壊さないように使わないといけません。命を大切に、壊さないように使うということは、イエスさまの言葉を聞いて、神さまの御心に従って自分の命を使うということです。自分のことばかり考えて、自分勝手に、自分のためだけに使うのではなく、神さまとイエスさまのためにも、だれか人のためにも使うということです。それが、神さまのものである命を奪わないということです。イエスさまの言葉を聞かず、神さまに従わず、自分勝手に、自分のためにだけ命を使うならば、あの農夫たちのように、律法学者や祭司長たちのように、私たちもイエスさまを十字架に架けているのと同じことになってしまうでしょう。



神さまとイエスさまを信じているクリスチャンのお医者さんで、日野原重明さんという人がいます。もう95歳にもなる人です。この日野原先生は、日本中の小学校に行って、小学生に"命"について授業をしています。その命の授業が、『いのちのおはなし』(日野原重明・著、講談社)という絵本になりました。


日野原先生は授業に行くとき、聴診器をたくさん持って行って、子供たちに二人組みになってお互いの心臓の音を聞かせるそうです。そして、先生は子供たちに尋ねます。"いのちは、どこにあると思いますか"。子供たちが"心臓!""頭!""からだ全部!"などと答える。すると、先生は"いのちは、きみたちの持っている時間だと言えますよ"と答えます。

心臓は大切ですが、いのちそのものではありません。いのちを動かすモーターです。心臓が止まったら、人間は死んでしまい、つかえる時間もなくなるのです。今きみたちは、どのようにでもつかえる自分の時間を持っている。時間をつかうことは、いのちをつかうことですよ。

そして、この本の最後(後書き)に、日野原先生はこう書いています。

人が生きていくうえで、もうひとつ大事なことがあります。それは「こころ」です。おたがいに手をさしのべあって、いっしょに生きていくこと。こころを育てるとは、そういうことです。自分以外のことのために、自分の時間をつかおうとすることです。

きみたちは昨日から今日までの1日で、自分の時間をほかの人のために、どれくらいつかいましたか?。きみたちの時間を、きみたちは自分のためだけにつかっていませんか?。朝起きて顔を洗う。朝食を食べる。学校にいき、勉強をして、遊ぶ。夜になると眠る。これらのことはみんな自分のためですが、お母さんのおてつだいをしたり、道をきれいにするなど、ほかのことのためにも時間をつかってください。‥‥


日野原先生の、この『いのちのおはなし』を読みながら、私はふと、イエスさまが「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ福音書13章34節)と教えられた言葉を思い出しました。だれかとお互いに愛し合う。お互いに相手のために自分の時間を使う。その時、私たちは命を自分のものではなく、神さまのものとして、イエスさまのものとして生きているのです。

そして、そのように生きるとき、十字架の上で私たちのために命と時間を使ってくださったイエスさまが、私たちの命の「親石」(17節)に、命の土台になっています。



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