坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2007年4月29日 主日礼拝「再出発」

聖書 マタイによる福音書28章1〜10節
説教者 山岡創牧師

◆復活する
28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
28:2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
28:3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
28:8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」



          「再出発」
「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(10節)


復活した主イエスは、ご自分の弟子たちに、特に男の弟子たちに、このように告げるようにと、墓へやって来た婦人たちに命じました。十字架に架けられて死んだはずの主イエスと、ガリラヤで再会できる、復活した主イエスともう一度会うことになる、と言うのです。


先日4月8日、私たちは主イエス・キリストの復活祭イースターを祝いました。改めて考えさせられます。主の復活とはどういうことなのか、と。


マタイによる福音書をはじめ、4つの福音書は、主イエスが"生き返った"かのように復活物語を描いています。しかし、復活とは生き返ることではありません。もし生き返ったのであれば、その後、主イエスは寿命の来るまで生きて、弟子たちと宣教活動を共にされたことでしょう。しかし、そうではありません。使徒言行録1章は、復活した主イエスが40日間("40"は象徴的な数、聖書の完全数)、弟子たちと共におられた後、天に昇ったと報じているからです。そういう意味では、聖書も主イエスの復活を生き返ることとは考えていないのです。これは、婦人たちや弟子たちの復活体験が、まるで主イエスが生き返って現れたかのようにリアルで、衝撃的だったということではないでしょうか。そして、それ故に弟子たちは心を燃やされ、再び宣教に立ち上がったのです。


私たちにとっても、主イエスの復活を信じるということは、心を燃やされ、再び立ち上がる体験であるはずです。主イエスが生き返ったかどうかを問題にしていたり、ただ単に、聖書の復活物語の内容を頭で知っているということでは、主イエスの復活を信じたことにはなりません。主イエスの復活とは十字架からの復活です。一度死んだ者が息を吹き返すような出来事です。そしてそれが、私たち自身の体験になるのです。聖書を通して主イエスの御言葉を聞き、心を燃やされる時、"もう一度がんばろう"" もう一度生きてみよう"という勇気と希望を与えられる。そして、立ち上がり、人生を再出発する。その時、私たちは、主イエスの復活を信じている、復活の恵みを体験したと言うことができる。それこそが、主イエスの復活の真相です。



ところで、マタイによる福音書は、ルカやヨハネ福音書のように、復活した主イエスとのエルサレムでの再会物語を描いてはいません。ガリラヤで会うことになると言い、ガリラヤでの再会物語を描いています。キーワードは「ガリラヤ」です。「ガリラヤ」とは、弟子たちにとって一体どんな場所だと言うのでしょう?。


それをお話しする前に、一つ踏まえておかなければならないことは、この時、弟子たちは挫折し、絶望していたということです。自分たちの師である主イエスが、十字架に架けられて殺されてしまった。主イエスに従って、共に宣教してきた活動も、主イエスに賭けて来た望みも、プッツリと断たれてしまった。後に残ったものは、主イエスが捕らえられる時、見捨てて逃げたという苦々しい後悔だけだったでしょう。


そういう弟子たちが"ガリラヤに行け。そこで私に会うことになる"と言われているのです。そこで改めて、「ガリラヤ」とはどういう場所か、ということですが、ガリラヤとはガリラヤ湖の西側一帯の地域を指す地方の名称でした。そして、そこには主イエスの故郷ナザレがあり、弟子たちの故郷があり、そこで弟子たちは初めて主イエスと出会い、主イエスに召されて弟子となり、主イエスに従って初めて宣教したのです。


そういう場所へ弟子たちが帰って行くと、例えばガリラヤ湖畔を通りがかった時、ペトロやアンデレは、この湖で漁をしていたときにイエスさまから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4章19節)と言われて弟子になったのだったなあ、と、ヤコブとヨハネも、この岸で網の手入れをしてたときに、イエスさまに召されて弟子になったのだったなあ、と思い出すことでしょう。マタイも、カファルナウムの町の通りにある収税所に座って仕事をしていたときに、「わたしに従いなさい」(9章9節)と声を掛けられて弟子になったのだったなあ、と思い出すことでしょう。そして、この家でイエスさまは中風の病の人を癒されたのだった、あの家でイエスさまは大勢の徴税人や罪人たちと食事を共にし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(9章13節)と言って、彼らを神の恵みへと招かれたのだった、この広場で出血の止まらない女性を癒された、あの山で教えていただいた、この湖で嵐の舟の中で助けていただいた……と、主イエスと共に宣教した日々の様々な出来事を思い出したことでしょう。


ただ思い出に浸るだけではありません。主イエスに赦され、受け入れられ、必要とされて弟子となった時の喜び、主イエスに従って宣教した時の情熱が呼び覚まされたことでしょう。そして、主イエスの御心が何であったかを改めて、否、新たに思い直したことでしょう。彼らはきっと感じたはずです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と主イエスがもう一度招いておられる、と。そのように、ガリラヤで心に熱いものを感じた弟子たちは、挫折と絶望という自分たちの十字架から立ち上がり、弟子として再出発したのです。主イエスはもういないけれど、主イエスの姿を脳裏に思い描きながら、主イエスが霊となって自分たちと共にいてくださることを信じて(28章20節)、もう一度主イエスの福音を宣べ伝え始めたのです。


それが、復活した主イエスに会うということでした。弟子たちは確かに、リアルに、極めて現実的に、復活を体験したのです。


「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(10節)


今年度、私たちの教会は〈主の家を整えよう〜教会とは何か〉という標語を掲げ、年度聖句として、この御言葉を選びました。私たちの教会が挫折し、絶望したというわけではありません。むしろ、大きな希望を持って前進しています。けれども、教会開設16年目、大きな節目を迎えて、ある意味で私たちの教会も"再出発"だと感じるからです。その大きな節目とは、私たちの教会が宗教法人を設立したということです。それによって、教会を生み出す開拓伝道の業が完成したからです。


私たちの教会は、川越にある初雁教会が、坂戸の町に教会を生み出そうと願って始めたものです。元々は埼玉地区が始めたことでした。しかし、地区が教会を生み出すという業はすぐに挫折しました。それを、責任を感じた初雁教会が受け継いで、開拓伝道を始めたのです。まさに十字架から復活の出来事であり、体験でした。


1978年に、I.S兄/S.S.姉宅で、月1回の集会が始まりました。近所の人たちも集まりました。K.M.姉が受洗者第1号でした。1984年には溝端町の線路際に一軒家を借りて、毎週金曜日の礼拝と土曜日午後の教会学校(子供活動)が行われました。その後、1990年に、泉町4番地15、高麗川際にあった中古家屋を購入して会堂としました。1991年に坂戸伝道所開設が日本基督教団から認可され、1992年4月より初雁教会から分かれ、独立した宣教活動が始まりました。それから10年後、2002年に伝道所から第2種教会・坂戸いずみ教会を設立、経済的にも初雁教会から自立しました。2005年にはこの会堂を建てて移転、そして今回2007年3月に宗教法人を設立し、社会的にも認知され、法的に保護される教会となりました。今後直ちに初雁教会名義になっている会堂土地建物を名義変更します。


振り返ってみると、初雁教会によって始められた坂戸に教会を生み出す業が、ここに完成したと言ってよいと思います。私たちの教会は名実共に、独立した一つの教会となったのです。教会の歩みにおいて、これは大きな節目に違いありません。


けれども、これで教会が終わるわけではありません。むしろ、ここから、新たな志を持って宣教活動を展開していく大切な時であります。言わば教会の外側の形が完成した今、教会の内側を、内容を見直し、神さまの御心に叶う、より良いものを共に造り上げていくスタート、すなわち教会の"再出発"の時です。そのために〈教会とは何か〉を、皆さんと共に問い直し、考えていきたい。そのように願って、再出発にふさわしい御言葉、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」を選びました。



溝端町の線路際を通りかかると、"この家で開拓伝道をしていたなあ"と、かつての日々を思い出します。当時、私は初雁教会の神学生でした。土曜日の午前中まで東京の神学校に通い、すっ飛んで帰って来て、3時からの教会学校小学生の部、夕方から夜にかけて私一人で中学生の部をやりました。そして、日曜日は初雁教会の教会学校、礼拝、諸活動、夕礼拝‥‥‥我ながら、よくやったなあ、若かったなあ、と思います。私も今年で42歳になりましたが、今、30代前半になる子供たちと、その家の庭にタイム・カプセルを埋めました。あの頃、みんな一体どんなことを書いたのだろうかと、ちょっと庭に入らせていただいて、掘らせてもらえたらなあ、と思います。


高麗川の土手を通って、かつての会堂だった家を見ると、やっぱり色々なことを思い出します。バブルの絶頂期、苦労してあの家を見つけ、みんなで祈って献金して、あの会堂を買った喜び。そして、伝道所の開設式。その時の集合写真に写っているのは、わずかに16名です。教会員19名でスタートした教会でした。


1年目、大きな事件が起こりました。若い教会員が天に召されました。そのことをきっかけに教会が揺れました。私の牧会の失敗でした。けれども、その時の苦い経験が今も折々に、教会とは何かということを私に問いかけてきます。


旧会堂を増築し、玄関に小さな十字架塔ができて、夜のスポット・ライトに十字架が映えたときは嬉しくて、毎晩のように土手から十字架を眺めました。


やがて教会墓地ができました。それは、教会の慰めとなりました。


伝道所から第2種教会設立を目指して、皆で祈り、歩みました。教会設立がなって、皆で候補を出し合い、名前選びをした時のことを、楽しく思い出します。

続いて、会堂建築。先立つものがほとんどない状態から、それでも広い会堂が必要だと思いを一つにして、信じて祈りを合わせ、献げ、土地を買い、この会堂を建てました。改めて振り返ると、よくやった、そしてそれは私たちの力である以上に、祈りと願いに応えてくださった神さまの恵みの御業と考えずにはいられません。


そして、この新会堂に移って2年。先日のイースターには、3名の兄弟姉妹が同時に洗礼をお受けになりました。同時に3名も受洗されたのは初めてのことです。


振り返って、一つ一つのエピソード、思い出を挙げて行ったら、とても時間が足りません。しかし、その一つ一つを思い出す度に、熱い思いがよみがえってきます。反省がよみがえってきます。感謝がよみがえってきます。皆さんそれぞれ、この教会に属することが長い方も、短い方も、間もない方も、振り返ればよみがえってくる熱い思いがあるのではないでしょうか。


だから、私たちの教会の今日までの歩み、歴史、それが私たちにとって共通の「ガリラヤ」なのだと思います。一人一人がこの教会に関わって歩んだ。そのことを思い起こす時、単なる思い出としてだけではなく、主イエスに救われ、主イエスに従って歩んだ喜び、悔い改め、感謝といった熱い思いがよみがえってくるでしょう。私たちがガリラヤに行き、復活した主イエスと出会うということは、そういうことだと受け取っても良いでしょう。その思いを胸に"これからの教会"を共に造り上げていきましょう。


記事一覧   https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive
日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/