坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2007年6月17日 主日礼拝「二つの驚き」

聖書 マルコによる福音書6章1~6節
説教者 山岡創牧師

◆ナザレで受け入れられない
6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。



        「二つの驚き」
今日の説教の題を〈二つの驚き〉としました。その一つは、主イエスの故郷ナザレの人々の驚きであり、もう一つは、主イエスご自身の驚きです。


ガリラヤ湖畔の町々での福音宣教の活動を一区切りして、主イエスはガリラヤの山手にあるご自分の故郷ナザレにお帰りになりました。


余談ですが、実は今日の聖書箇所の本文の中には、主イエスの故郷がナザレだとは一言も書かれていない。けれども、見出しには〈ナザレで受け入れられない〉とある。どうして主イエスの故郷がナザレだと分かるのだろうか?と疑問に思われた方もいらっしゃるかも知れません。ちなみに、それは、この箇所と同じ内容の箇所がマタイ福音書にもルカ福音書にもありますが、ルカの方に主イエスの故郷がナザレだと記されているからなのです。


主イエスは故郷ナザレにお帰りになりました。けれども、その際、一人でお帰りになったのではなく、ガリラヤ湖畔の町々、カファルナウムなどでお召しになった弟子たちも主イエスに従って行ったと言います。ナザレの人々にしてみれば、主イエスが弟子を引き連れて歩いているだけでも驚きだったことでしょう。その主イエスが、安息日に故郷の会堂で、集まった人々に、聖書の言葉を説き、神の御心を教え始められたのです。そして、その言葉を聞いたナザレの人々はすっかり驚いてしまいました。

「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工の子ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」(2〜3節)

自分たちの村で育った、氏素性もよく知っている一人の男が、まるで預言者のように、目の覚めるような神の御言葉を語る。自分たちのよく知っていた主イエスとはあまりにもかけ離れているのです。そのあまりのギャップに、人々は驚いてしまいました。


問題はその後です。人々は主イエスの語る神の言葉に驚き、そしてその言葉を受け入れて神の恵みを信じたのか。そうではないのです。人々はつまづきました。主イエスの語る教えを“神の言葉”と受け止めることができませんでした。語られている説教の知恵に溢れたすばらしさ、深さと、自分たちが抱いていたイエスのイメージとが、どうしてもマッチしなかったからでしょう。



神の恵みを伝えようとする時、相手の育ちや日常をよく知っている、また自分のそれが知られている、というのは難しいものです。中でも、家族伝道というのは一番難しいでしょう。こちらが聖書のことを語る、信仰のこと、神の恵みのすばらしを語り、ぜひとも家族にも神さまを信じてもらいたいと思う。けれども、こちらのことは家族ですから家庭の内からよく知られているわけです。“それじゃあ、神さまを信じているあなたの普段のふるまいは何なのよ!”と言われた日には、何も言えなかったりすることもあるでしょう。


ナザレの人々の中にも、主イエスに対して、子の村で育った氏素性もよく知っている人物というイメージがありました。それが先入観として頑とあるのです。だから、主イエスのことを、神の言葉を語る預言者と認めることができない。その教えを、神の言葉として聞くことができない。主イエスの言葉を通して、神の恵みを信じることができない。人々は、主イエスにつまずいているのです。


その様子を見て、主イエスは言われました。

「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(4節)


主イエスは何も、ご自分が敬われたくて、敬われないことに腹を立てて、こう言っているのではありません。人間的な見方のために、神の言葉が神の言葉として聞かれない虚しさを嘆いておられるのです。
神の言葉が神の言葉として聞かれ、心に受け入れられるということ。それが信仰です。そして、直前の5章34節で、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われているように、信仰によって救いは起こります。安心が与えられます。聖書によって語られる言葉が、自分の心にとどいてくる。染み渡る。そして、その言葉を通して、自分を導き支える大きな力が見えてくる。自分を憐れみ、あたたかく包み込む深い愛が見えてくる。すなわち、御言葉の背後に“神の存在”が感じられるようになって来る。そして、その言葉にハッと大切なことに気づかされて、自分の生活が正されたり、ホッと安心を与えられて、自分の心が癒されたりする。その時、私たちは聖書を、説教を神の言葉として聞いているのです。信仰をもって聞いているのです。


けれども、ナザレの人々にはそれがなかった。信仰が養われず、神の恵みによって救いが起こらなかった。主イエスは、その現実を悲しんでおられるのです。人々のその不信仰な有り様に驚いておられるのです。今日の聖書箇所の終わりに「そして、人々の不信仰に驚かれた」(6節)とありますが、それが今日の説教題の二つ目の驚きです。私たちも主イエスを驚かせているようなことはないでしょうか?。
神の言葉を語る人の氏素性、人間的な部分を知っていると、その先入観が邪魔をして、語られる言葉を“神の言葉”として聞くことができない場合があるのです。それでは、信仰が養われず、教会が神の言葉に聞き従う信仰の群れになりません。


私が15年前に、牧師としてこの坂戸いずみ教会(当時、坂戸伝道所)に赴任する際に、一番恐れたのも、そのことでした。私たちの坂戸いずみ教会は、ご存知のように川越市にある初雁教会が開拓伝道によって生み出しました。私は、その初雁教会で育ち、神学生時代を過ごしました。坂戸が初雁から独立することになって、その時期が、ちょうど私が神学校を卒業するタイミングと重なって、坂戸宣教委員会から私の許に牧師としての招聘が来た時、私は非常に迷いました。と言うのは、坂戸が独立するに当たって、初雁教会の信徒10数名が株分けをして坂戸の教会員になるわけですが、その方々は私のことをよく知っているわけです。私の親のような年齢の肩も少なくありませんし、私の子供の頃を知っている方もいます。そういっては失礼ですが、そういう方々が、私のことを牧師として立て、私の語る言葉を“神の言葉”として聞くことができるのか。“あの創くんが立派になって!”では困るのです。それは何も、信徒の方々だけの問題ではありません。逆に言えば、私もまた株分けする信徒の方々をよく知っているわけですから、私自身、甘えが出ないかということが心配でした。


そんなことを考えて、この招聘をお断りしました。これで終わったと思っておりましたら、しかし、しばらくして2度目の招聘がありまして、私も改めて聖書の御言葉に聞き、祈り考えて、坂戸いずみ教会の牧師となることを承諾しました。


以来15年、私の語る説教は“神の言葉”として聞かれてきたのか、私自身に甘えはなかったのか、人が判断するのは難しいかもしれません。神さまだけがよくご存知でありましょう。ただ、私は、そのような反省の目を持って、自分自身を省みることを失ってはならないと思っています。
そして、そのことは坂戸いずみ教会開設以来の教会員の方々だけの問題ではなく、ここに集うすべての方々の課題です。一面で、私の説教は私の言葉です。私の信仰、私のカラーが出ます。そういう意味で、“人間の言葉”です。絶対化する必要はありません。間違うことだってあるかも知れない。そういう時は、正すこともできるのです。
けれども、同時に、その説教を“神の言葉”として聞くのです。牧師・説教者という一人の人間を通して語りかけられている、神さまの言葉として聞くのです。その時、救いが起こるのです。魂の奇跡が起こるのです。私たちの心に、神さまを信じ、神さまに従い、神さまにお委ねする勇気と安心が湧き起こってくるのです。



先日、旧会堂以来、久しぶりに読書会を復活させました。その際に、以前から読み続けてきた『教会生活の処方箋』の中の〈教会のいのちは説教である〉という章を読みました。その中で、今は亡き辻宣道牧師が、次のようなエピソードを紹介しています。

むかし私の牧する教会にNという老人がいました。私はNさんを好みませんでした。むこうも同様に私を好いてはくれませんでした。


……前任牧師遺族の住居を教会構内に建てる件をめぐり、私たちは激しく対立しました。役員会は激突につぐ激突でした。Nさんは私を「不人情」とののしりました。こちらは「公私混同」と切りかえします。あわや茶碗が飛ぶかと思われる場面が2度、3度。その席にいた婦人役員は胃をわるくしてしばらく休養してしまうほどでした。


役員会を土曜の夜にしたときなどみじめでした。次の日が日曜です。どうかNさんが休んでくれるように何度願ったかしれません。ところが休むどころか日曜の朝になると、定刻きっちりに定席に座っているではありませんか。


私は砂をかむような思いで説教しました。(ところが)Nさんは献金を集め、じつにすばらしい祈りをしました。私は「負けた!」と思いました。Nさんは説教者が説教職として召されていることの重さを、しっかりと受け止めていたのです。説教者が気にくわんといって礼拝をボイコットするようなことはしませんでした。…Nさんは、講壇に立つ説教者の中に、年齢、経歴、個性、それらを見ませんでした。見つめるべきは神の主権であり、行うべきは御言葉への聴従であるとわきまえていたのです。この堂々たるふるまい。御言葉の支配の厳粛さに打たれた私は、説教者が育てられるとはこれだったかと、しみじみ思った次第です。(『教会生活の処方箋』26頁)

説教が神の言葉として説教者によって語られ、神の言葉として出席者に聞かれる。説教者が人間的な思想を語るのではなく、教会員が人間的な見方で説教を聞くのでもない。礼拝説教という場を通して、神さま御自身が私たちに語りかけてくださる。そのことを信じて聞く。その時、教会は教会となる。神の恵みを心に受け入れて、感謝し、神さまの御心に従う私たちとなる。そのような集まりでありたい、そのような集まりであることを目指して進みたいと願います。


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