聖書 ルカによる福音書22章24〜27節
説教者 山岡創牧師
◆いちばん偉い者(2)
22:24 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。
22:25 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。
22:26 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。
22:27 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。
「いちばん若い者のように、仕える人のように」
「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(26節)。 教会のこどもチャペルに出席している子供たちは、10月の間1ヶ月間、今読んだ26節の御言葉を暗唱して来ました。特に弟子組の子供たちには、26節の御言葉が印刷されたカードを、テーブルや机の上に置いて毎日読むことができるように、木彫りの羊の台でできたスタンドを分級で渡しました。それを見て、毎日読んで暗唱した人は、もうバッチリ覚えたことでしょう。弟子組の人、言えるかな?
この御言葉は、イエスさまが、自分に従うお弟子さんたちに教えた大切な教えの一つです。これをしっかり覚えたら、すばらしい。でも、その教えがどういう意味かを分かって覚えたら、もっとすばらしい。さて、どういう意味か分かるかな?
簡単に言えば、“偉そうにするなよ”ということでしょう。もう一つ加えると、“人のためにできることをしよう”ということです。そして、“人のために何かをする人ほど、本当に偉いんだよ”とイエスさまは教えているのです。
みなさんは、偉くなりたいと思ったことがありますか? イエスさまのお弟子さんたちは皆、偉くなりたいと思っていました。でも、それはイエスさまが教えたように、人のために何かをするため、ではありませんでした。むしろ反対に、自分のために、人に何かをさせるため、でした。(弟子失格だね!)
お弟子さんたちは、偉くなって、偉そうにしたかったんだ。威張りたかったんだ。“お前、それをやれ”“お前、あれを持って来い”。そんなふうに自分がやりたいように人に命令して、“みんな、自分の命令を聞く。自分は偉いんだ!”って良い気持になりたかったのですね。(でも、そういう人って、嫌だよね)
だから、自分たち12人の弟子の中で、だれがいちばん偉いだろうか、だれが何番目に偉いだろうかと、いつも言い合っていたようです。やがてイエスさまが王様になったら、だれが大臣にしてもらえるかと、いつも考えていたようです。
イエスさまは、そんなお弟子さんたちの言い合いを聞いては悲しく思い、ハーッと、ため息をついていたかも知れませんね。わたしの教え、わたしの心が、まだちっとも分かっていないなあ、って。それでも、イエスさまは気を落とさずに、最後にもう一度、お弟子さんたちに教えたのが、あの26節の教えなのです。
「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」。
偉い人になりたいのか? いちばん偉い人になっても、偉そうにしちゃダメだぞ。威張っちゃダメだぞ。いちばん下っ端(ぱ)の偉くない人のように、いちばん若い者のように、みんなのためにお世話をするんだよ。上に立つ人になったら、自分中心に命令したり、自分が何もしないで人をこき使ったりしてはだめだよ。むしろ、周りの人のことを考え、自分が真っ先にみんなのために動く人になるのだよ。それが、本当の意味で“偉い”ということだよ。神さまが喜ばれる“偉さ”だよ。
イエスさまは、そういうふうに弟子たちに懇懇(こんこん)と教えました。教えただけじゃない。イエスさまは“わたしを見てごらん”と言われました。そして、“わたしの真似をして、わたしのようにしなさい”と模範を示されたのです。これ、大事なことだね。
いくら良いことを言われても、言っている本人がそれをしていなかったら、“自分はやってないじゃないか”と思っちゃうよね。例えば、お父さんが“お手伝いをしなさい”って子供に言っても、自分がやってなかったら、“お父さんはやってないじゃないか”と思うし、お母さんが“テレビばかり見ていないで勉強しなさい”って言っても、自分がテレビばかり見ていたら、“お母さんもテレビばかり見てるじゃないか”と言いたくなるでしょう。もしも学校の先生が“廊下を走るな”と注意しても、その先生が走っているのを見たら、“先生だって”と思ってしまうね。つまり模範にならない。
ところが、イエスさまは、お弟子さんたちに「仕える者のようになりなさい」と教えて、自分が“仕える人”にちゃんとなっていたんだね。イエスさまはお弟子さんたちの先生だ。それなのに、汚れたお弟子さんたちの足を洗っていた。お弟子さんたちがご飯を食べる時、いつもお世話をしていたんだね。イエスさまは、自分のため、ではなくて、人のため、を考えて、いつも生きていたんだね。そして最後には、人の罪のために、お弟子さんたちやみんなの罪のために十字架に架かって死んでしまったんだ。イエスさまは、みんなの罪の身代わりになって、みんなの罪を神さまに赦してもらえるように、自分の命を差し出したんだね。もちろん、“みんな”の中には“わたし(たち)”も含まれている。イエスさまは、私たちのためにも十字架に架かってくださったんだ。
そういうイエスさまが、お弟子さんたちに、そして私たちに言われた教えが、
「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」。
いちばん若い者のようになる、仕える者のようになる、って、どうすることだろう? 人が嫌がることを、することもその一つじゃないかなと思います。例えば、みんながさぼりたくなるような掃除や片付けを、みんなのために自分からするとか。(シスター渡辺和子氏の言葉:面倒だから、する)人の話を聞く。自分が話したいんだけど、それをちょっと我慢して、相手の言葉をよく聞いてあげる。それも“仕える”ことだと思います。
人のために仕える、人のために何かをする時は、ちょっと嫌だな、損だな、と思うことがあるかも知れません。でも、それがイエスさまが喜ばれる本当の偉さです。本当の偉さを目指しましょう。
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