坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2019年5月12日 主日礼拝説教 「神からの誉れと人からの誉れ」

聖書 ヨハネによる福音書12章36~43節
説教者 山岡 創牧師

◆イエスを信じない者たち
イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。
12:37 このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。
12:38 預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」
12:39 彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。
12:40 「神は彼らの目を見えなくし、/その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、/心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」
12:41 イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
12:42 とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。
12:43 彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。

          「神からの誉れと人からの誉れ」
 皆さんは、自分がクリスチャンだということを、だれかに話したことがありますか?それは、立派なキリストの証しであり、伝道だと思います。もちろん、何の話の流れもないところで、いきなり“自分はクリスチャンです”と言うのはおかしなことかも知れませんし、波風の立ちそうなところで、徒に表明するのもどうかと思います。けれども、話の流れがそうなった時に、皆さんは、“自分はクリスチャンです”あるいは“教会に通っています”と人に伝えているでしょうか?案外、難しいものと感じたことはないでしょうか?
 数年前まで、私は、高麗川の向こう側で畑を借りて、家庭菜園をしていました。周りで家庭菜園をされている“先輩”たちに色々と教えていただき、親しく話もするようになりました。
 ある時、話の流れで、“お仕事は何をしているのですか?”と聞かれたことがありました。“キリスト教の牧師をしております”。そう答えればよいのに、“川の向こうで自由業を営んでおります”と答えました。何かがはばかられたのです。たぶん、私が牧師だと伝えることで、隣で菜園をしているその人と、明日から気まずい関係になったらどうしよう、と思ったのでしょう。今になって考えると、残念、後悔していますが、今更その人のところへ行って、“実は私は‥”と言えるようなことでもありません。皆さんは、そのような経験、ないでしょうか?

 さて、主イエスの話を聞くと、群衆は主イエスを信じなくなりました。主イエスが語る十字架の死と、一粒の麦のような愛の生き方が、群衆が期待していた救世主、自分たちのためにユダヤ王国を復興し、繁栄させる英雄のような生き方ではなかったからです。
 けれども、信じない群衆がいる一方で、信じる人々もいました。それは議員たちでした。「とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった」(42節)と書かれているとおりです。彼らは、ユダヤ人の最高法院、日本で言えば国会のようなものですが、その議員でした。ユダヤ人の指導者層にも、主イエスを信じ、支持する人が少なくなかったのです。
 ただし、彼らは自分の信仰、自分の態度を公には表明しませんでした。なぜなら、「会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって」(42節)いたからです。
 ユダヤ教の中で最大の派閥はファリサイ派でした。彼らは、神の掟である律法を熱心に守る人々でした。掟を守れば、神さまに認められ、神の王国に迎えられる、と信じていたからです。そのような彼らの目から見ると、主イエスの言動は、神の掟をないがしろにしているように見えました。だから、ファリサイ派の人々は、主イエスに反対し、敵対しました。
 最高法院の議員の中にも、ファリサイ派の人がたくさんいました。もっとも、そのファリサイ派議員の中にも、主イエスを信じる者がいたわけですが、彼らは主イエスを信じる者は、ユダヤ人の会堂から追放と決定しました。これはつまり、ユダヤ人社会から追放されることを意味します。いわゆる“村八分”です。だから、主イエスを信じている議員たちも、その信仰と態度を公にはできませんでした。
 信仰の事柄だけではなく、自分の考えや意見を、自分の気持を、何かを恐れ、だれかをはばかって、はっきりさせられないということが、私たちの人間関係においても、大なり小なりあるのではないでしょうか。そのために悩み、ストレスを溜め、不自由な思いをしていることが少なからずあるのではないでしょうか。
 そのような私たちの態度を、「彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである」(43節)と言われるのは、ちょっときついなあ、という気がします。いや、好んでそうしているわけではないよ、相手が自分の話を聞いて、受け入れてくれるなら、そうするよ‥‥と言いたくなります。
 主イエスを信じていた議員たちも決して、好んでそうしたわけではないでしょう。何を、どのように信じてもよい信教の自由があったら、自分は主イエスを信じると公にしたかも知れません。会堂から追放され、社会とのつながりを断たれるのでなければ、それによって議員の地位をはく奪されるのでなければ、彼らは、主イエスへの信仰を表明したに違いありません。ファリサイ派の人たちにどう思われるかを気にしなければ、喜んで、“私は主イエスを信じます”と告白していたはずなのです。

 パードレよぉ、おれはパードレをずっとだましていました。‥‥パードレが、おれを蔑まれたから、おれはパードレも門徒衆も憎らしく思っていました。おれは、踏み絵を踏みましたとも。モキチやイチゾウは強い。おれはあんなに強くはなれません。
 けど、おれにはおれの言い分があります。踏み絵を踏んだ者には、踏んだ者の言い分があります。踏み絵を、おれが喜んで踏んだと思いますか。踏んだこの足は痛い、痛いです。おれを弱い者に生まれさせておきながら、強い者のまねをしろと神さまは言われる。それは無理なことです。
 パードレ。なあ、おれのような弱虫はどうしたら良いのでしょうか。金が欲しくて、あの時、パードレをお役所に告訴したわけじゃありません。おれはただ、役人たちに脅かされて‥‥
 これは、カトリックの小説家・遠藤周作さんが書いた『沈黙』に登場するキチジローのセリフ(146頁)です。『沈黙』の中では方言で言われているのを、私が現代語風にアレンジしました。江戸時代、キリスト教迫害が強まる中で、信者であったキチジローは、パードレ(司祭)のロドリゴを、お役所に訴え、逮捕の手引をしました。ロドリゴが捕まって連れて行かれる時、キチジローは後ろから追いすがって、自分の気持を吐露しました。喜んで、好んでそうしたわけではない、と。
 私たちの行動は、人間からの誉れを、この世の栄誉を求めて、自分にとって利得だから、快感だから、好んでそれを求める場合もあるでしょう。けれども、大抵の場合は、自分が失うものを恐れ、人からどのように思われるかをはばかって、自分の考えや態度をはっきりさせられない。自分の信仰を言い表せないことが多いのではないでしょうか。

 私たちは、何かを恐れ、だれかをはばかりながら、自分の考えや態度、気持をはっきりさせられないまま、悩み、ストレスを溜め、不自由な思いで生きています。必要なものがあるとしたら、それは“勇気”です。今日の聖書の言葉を借りて言うならば、神からの誉れを求める勇気、人からの誉れを手放す勇気、でしょう。
 私は、アルフレッド・アドラーの心理学を分かりやすく書いている『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)という本を愛読していますが、その中で、登場する青年と哲学者の対話で、次のような下りがあります。


哲人 ‥‥われわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。‥‥ここまえ考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。
青年 なんですか?
哲人 すなわち「自由とは、他者から嫌われることである」と。
青年 な、なんですって!?
哲人 あなたがだれかに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
青年 い、いや、しかし‥‥
哲人 確かに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由極まりない生き方であり、同時に不可能なことです。

 自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。‥‥
 他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかも知れないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。
青年 ‥‥先生は、わたしに「他者から嫌われろ」と?
哲人 嫌われることを怖れるな、といっているのです。(『嫌われる勇気』162~163頁)


このような勇気はどのようにして湧き上がってくるのでしょうか?神さまを信じる時に湧き上がってくるのです。人に認められなくても、神さまに認められている、何ができなくても無条件に認められていると信じる時、湧き上がってきます。この神さまとの関係を大切にし、人がどう思うかではなく神さまが喜ばれることを考え、努めていく時、つまり「神からの誉れ」を求めていく時、自由に生きる勇気は与えられるようになるのです。

 後になって勇気を出した人がいました。アリマタヤのヨセフです。彼は議員でありながら、主イエスが十字架で処刑された直後、主イエスの遺体を引き取り、墓に葬ったことが、ヨハネによる福音書19章38節以下に記されています。そんなヨセフの行動を、マルコによる福音書は、「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た」(15章43節)と記しています。彼は、勇気を出したのです。それは、人間関係を恐れず、はばからず、「神からの誉れ」を求める勇気だったと私は思います。
 また、ファリサイ派に属する、やはり議員で、ニコデモという人も、主イエスの遺体に塗る没薬を持って来て、ヨセフの埋葬を手伝いました。彼をも主イエスを信じていましたが、人目をはばかり、かつて夜こっそりと主イエスを訪ねることしかできませんでした。(ヨハネ福音書3章)。けれども、ニコデモも勇気を出したのです。
 この二人の姿に、私たちも、救われるものを感じるのではないでしょうか。今は、そのような態度を取ることができないかも知れない。けれども、いつか後になって、この二人のように変えられる時があるのではないか。主イエスの愛とその生き様、死に様が、私たちの心に強く影響し、私たちも勇気をもって、愛をもって行動できる時が来るのではないか。私たちにはそんな力はないかも知れませんが、神の聖霊が私たちの内側で働いてくださり、勇気が与えられる時が来るのではないか。その時を信じて、私たちは信仰の道を前進しましょう。

 

記事一覧         https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive
日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/