坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2019年6月16日 主日礼拝説教「同じ霊が与える、一人一人の賜物」

聖書 コリントの信徒への手紙( 一)12章4-11節
説教者 野澤幸宏神学生

12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
12:7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
12:9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
12:11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

 


「同じ霊が与える、一人一人の賜物」

聖霊降臨祭(せいれいこうりんさい)ペンテコステの翌日曜日である本日は、教会の古くからの暦では三位一体主日(さんみいったいしゅじつ)と呼ばれています。世界の全てを創造された、初めからおられる父なる神。クリスマスにお生まれになり、わたしたちのために十字架にかかり、イースターに復活された子なる主イエス。そして、その主イエスが約束された通りにペンテコステに現れ、教会が誕生する影響力を与えてくださった聖霊なる神。三位一体、神さまの三種類の顔が揃ったことを記念する日、というわけです。先ほど歌いました讃美歌21の204番の2節の歌詞は、父なる神による創造の始めに光が作られた日、子なる主イエスが復活された日、そして聖霊なる神が弟子たちのところへ降った日が、すべて日曜日だったことを歌っています。
そして、聖霊降臨節と呼ばれる11月までのこの長い期節(きせつ)は、クリスマス、イースター、ペンテコステという祭りの続く12月から5、6月までの半年間に対して、「教会の半年」という呼び方もあります。この半年間を、教会に集うわたしたちは、聖霊の導きを祈り求めつつ、信仰の共同体である教会を作り上げる大事なひとつひとつの部分であるという自覚をもって教会生活を歩んでいきたいと願います。

ところで、この三位一体の神という言葉自体は聖書には登場しない表現ですが、いま読まれたコリントの信徒への手紙(一)の御言葉の中には、その元になったと思われる表現が出てきました。4節から6節にかけて、「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」と記されています。同じ霊、同じ主、同じ神、と並列的に語られているのです。主は当然、主イエス・キリストの事であると考えられます。わたしたちに現れるお姿としては三様に見えても、その本質は一つである神さまが表現されているのです。そしてそれに続いて、その同じ神さま、同じ霊が与えてくださる賜物が列挙されています。わたしたちの教会の今年度の奉仕分担表も今日張り出されましたが、教会はそのように、そこに集う皆それぞれが神さまから与えられた賜物を持ち寄って互いに用いないと成り立ってゆきません。今日の聖書の御(み)言葉の中で賜物(たまもの)として記(しる)された一つ一つの言葉を確認していきましょう。「知恵の言葉」「知識の言葉」これらは、他の聖書の個所を見ると、神さまのことを知るために必要であるものとも、それに依り頼むことで神さまから離れてしまいかねないものとも記されています。良い面と悪い面の双方が語られています。「霊を見分ける力」聖書には、神さまの聖霊についてだけでなく、悪霊という存在が語られています。聖霊はわたしたちと神さまを結び合わせてくださるもの、悪霊は逆にわたしたちを神さまから離れさせようとするものです。わたしたちに働きかける霊の力がどちらなのか、わたしたちには判断が難しいのです。だから、それを見分けられる力もまた聖霊から与えられる大切な賜物の一つであると言われているのです。「異言」と「預言」これは少し説明が必要な言葉です。「預言」は、音だけ聞くとかつて流行ったノストラダムスの大予言の「予言」を思い浮かべる方もあるかもしれませんが、予(あらかじ)め、という字を使うそちらとは違います。預(あず)かる、言葉、と書きます。未来のことを言い当てるのではなく、神さまの言葉を預かってそれを人に伝えるのが「預言」です。「異言」とは、人間には理解できない不思議な言葉で、天使や神さまの言葉と言われています。それだけでは、何を言っているのか誰にも分りません。話している本人にさえ、何を言っているのか分からないのです。だから、その「異言を解釈する力」もまた大切な賜物として挙げられています。これは今のわたしたちの状況に合わせて言い換えるなら、神さまの言葉である聖書はそれをただそのまま読むだけでは神さまの御(み)心はとらえきれない、だから牧師のようにそれを解釈して解き明かす賜物を与えられた人が説教者として立てられることに似ているかも知れません。

自分には何も奉仕できるような能力・才能はない、賜物がないと思っている人にも、逆に人間の目から見ると羨(うらや)ましく感じられるような多くの才能に溢れているように見える人も、皆等しく神さまから聖霊によって与えられている賜物があるのです。その源が神さまであるということが大切なポイントです。今日のみ言葉は、源が一つであることを語っています。そして、与えられた目に見える結果は多様です。多様性の根拠は神さまなのです。天地万物の全ての造り主である神さまからのものなのだから安心できます。人からの評価はすぐに変わってしまうものですが、創造されたその時からわたしたちを「極めて良かった」と言ってくださった神さまのわたしたちへの評価は変わることがありません。

そして今、ペンテコステにわたしたちに働きかけられた聖霊により、わたしたちは、「様々な国の言葉」で語ることが出来るようになりました。それはある面においては、わたしたちひとりひとりの個性が芽生えた時だったとも言えるのではないでしょうか。そのそれぞれを個性によってどうすることが求められているのか。「全体の益」つまり教会の共同体を作り上げていくための働きに奉仕することです。
最高の奉仕は神さまを信じることです。ドイツ語で礼拝を表す言葉は、直訳すると「神奉仕」となります。神さまを礼拝(れいはい)することそのものが奉仕なのです。神さまを信じるところに、わたしたちの一致があり、教会という信仰の共同体を作り上げていくことが出来るのです。
キリストの名によって信仰を告白し、洗礼を受けて、キリストの一つの体、つまり教会とされていくのです。

ところで、キリスト教は一神教のはずなのに、三位一体の神を礼拝しています。礼拝する対象が三種類あるように思えます。それって、三神教なんじゃないの?という疑問を持ってもおかしくありません。三位一体は、人間の言葉で神さまの偉大さを表現しようとしたものです。だから、限界があります。理解しにくいのも当然でしょう。
しかしそれは、神さまが様々な仕方で私たち人間を救おうとしてくださった働きかけを表そうとしたものです。時には父親のように励まし叱る神さま、またある時には、ご自身の身を犠牲にしてでも、わたしたちを赦(ゆる)す神さま、そして別のある時には、あらゆる場面で心に直接働きかけ、導いてくださる神さま。神さまは手を変え品を変え、何とかしてわたしたちを救おうとしてくださっているのです。「何とかして何人かでも救うためです」とコリントの信徒への手紙(一)を記したパウロは言いました。この表現はその神さまの愛に触れたから出てきたのです。神さまの想いを、何とかして伝えたいと願ったのです。
ジャニーズのアイドルグループHey!Say!JUMPの歌に「愛よ、僕を導いてゆけ」というのがあります。「もし100万回君にアイシテルを届けても ついに君が僕にYESをくれなくても また100万回君にアイシテルを届けに行こう」という歌詞。もちろんこれは、現代日本のアイドルが歌っている歌ですから恋愛の歌ですけれど、神さまがわたしたちを救おうと愛を注いでくださる姿にも重なるように思えます。そう感じられる感性もまた、聖霊なる神様が働いてくださっているのです。
その神さまの大きな愛、救いの恵みは、わたしたち人間の言葉では表せないものです。理解できなくてよいのです。神さまは人間を遙かに超えたお方なのだから、人間の言葉では表現しきれない。いや、むしろ、いくら理解しようと努力しても理解しきれないお方だからこそ、本物だと信じられるのです。もし人間の言葉で語ることのできてしまう存在であれば、それは人間の作り出した神でしょう。偽物の神です。そうではなく、人間のみならず世界の全てをお造りになり支配しておられる神さまなのだから、人間の理解を遙かに超え、適切に表現できない方が本物であるはずです。理解しきれない神さまを、だからこそ信じるに値すると、知ろうとするのではなく、頼り、委(ゆだ)ね、信じていきましょう。
ペンテコステからアドベントまでの「教会の半年間」、それがわたしたちに求められている歩みです。

 

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