坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2019年9月15日 主日(慶老)礼拝説教「人に背負われる神と、神に背負われる神」

聖書 イザヤ書46章1~4節
説教者 山岡創牧師

◆バビロンの偶像
46:1 ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。
46:2 彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く。
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。
46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
46:5 お前たちはわたしを誰に似せ/誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか。
46:6 袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は/鋳物師を雇って、神を造らせ/これにひれ伏して拝む。

 

                           「人に背負われる神と、人を背負う神」
「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(4節)。
 イスラエルの人々は気づいたのです。主なる神が、天地を創造し、自分たち人間を造られたことに。主なる神が、自分たちを担(にな)い、背負い、救い出してくださることに。イスラエルの人々は気づいたのだと思います。
 彼らはバビロニアにいました。紀元前の時代に、メソポタミア地方(現在の中近東)を支配した広大な帝国です。イスラエルもバビロニアとの戦争に敗れました。多くの人々が捕虜としてバビロニアに連れて行かれ、その地で生活することを強制されました。そんな時代が50年も続いたのです。支配している他民族を、バビロニアの文化・宗教の色に染めよう。それが強制移住の狙いだったのかも知れません。
 けれども、イスラエルの人々は、その地で気づいたのです。天地を創造し、人間を造られたのは、主なる神だ、と。そして、主なる神こそが、この世界を治め、自分たちを担い、背負い、救い出してくださると信じたのです。
 彼らはバビロニアで、当時の最高峰の建築を目の当たりにします。天に届くかのような高い塔を見ます。バビロニアの人々が信じているメソポタミアの神々の巨大な像を見ます。最初は、その技術、その力に圧倒されたかも知れません。
 イスラエルの人々も、そのような建物や神々の建築のために働かせられたことでしょう。けれども、彼らはそこで見たのに違いありません。神の像が道端にかがみ込み、みじめに倒れ伏している様を。人の手によって、あるいは動物に引かれて、荷車か何かで運ばれていたメソポタミアの神々の主神であるベルが、ネボが、荷車が倒れたか壊れるかして、その場に倒れ伏す様を、イスラエルの人々は見たのでしょう。倒れた神々の像は重くて助け起こすことができない。倒れたままで、動物に担われ、引かれて行く。それはまるで、かつて戦争に敗れた自分たちが、捕らえられて、捕虜として引かれて行く光景を見ているかのようでした。その時、イスラエルの人々は、ハッとしたに違いありません。これが、果たして本当に“神”なのだろうか?と。
確かに、自分たちは戦争でバビロニアに敗れた。当時の考え方としては、戦争で負けた方の国の神は、天上で相手の神に負けたということになります。神が負けたから、自分たちも負けたのだと考えたのです。
 けれども、倒れ伏しているバビロニアの神々の像を見た時、この神に、自分たちが信じている主なる神は負けたのだろうか?と疑問を感じたに違いありません。この神より、自分たちの神は劣っているのだろうか?いや、そんなはずはないと感じたに違いありません。そのような驚きと疑問から、果たして神とは、自分たちの手で造られ、運ばれるようなものだろうか?むしろ、自分たち人間を造り、担い、背負うお方こそ、神ではないかという思いが生まれたでしょう。そして、我々の主なる神こそ、そのような神だという信仰を、イスラエルの人々は、バビロニアの宗教の中で取り戻したのです。その信仰はやがて、彼らの中に「我々の神、主は唯一の主である」(申命記6章4節)という唯一の神の信仰を、そして人の手で造られた偶像は神とは認めないという信仰を育んでいったのだと思われます。

 時を経て、空間を経て、現代のクリスチャンである私たちも、この信仰へと招かれています。
「わたしがあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(4節)。
人が手で作った偶像の神を信じるのではなく、人を造り、人を救う神を信じなさい、と私たちは呼びかけられています。
 ところで、偶像信仰、偶像礼拝とはいったい何でしょうか?教会の前の県道を西に向かうと、すぐに高麗川を渡る橋に出ます。その橋のたもとの土手際に、お地蔵さんが安置されています。ある朝、私は、そのお地蔵さんの前で、手を合わせて祈っている人の姿を見ました。その姿を、ただ単に偶像信仰だと、私は否定する気にはなれませんでした。その人は、そこにある像そのものを神だと信じて祈っていたのではないでしょう。お地蔵さんという像に象徴される何か、その像の背後にある、見えない何かに向かって手を合わせていたのだと思うのです。そしてそれは、聖書が戒(いまし)める偶像崇拝とは少し違うと私は思います。
 単純に、像の前で祈る宗教が偶像崇拝ではありません。本来、神でないものを神とするのが偶像崇拝です。そして、現代において偶像崇拝とは、自分たちの宗教の“外”に(他宗教に)見つけようとする問題ではなく、自分たちの信仰の“内”に潜む偶像崇拝に気づくべき課題だと思われます。
 私たちは、主イエス・キリストとその父なる神、主である神を信じています。信じようとしています。その私たちの信仰の内に、偶像崇拝が隠れているとしたら、それはいったい何でしょうか?それは、神さまが私たちを造られ、担われ、背負われ、救い出してくださることを信じようとせずに、自分で自分の人生を担っていこうとする、自分の知恵や力だけを当てにして生きていこうとする生き方ではないでしょうか。自分の知恵や力がある意味で、偶像となっているのです。
 神は言われました。
「あなたたちは生まれた時から負われ、胎(たい)を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負っていこう」(3~4節)。
私たちの命は、生まれた時から、老いて白髪になるまで、神に担われ、背負われていると聖書は語りかけています。生まれたばかりの頃、小さい頃を思い出せば、自分が家族、保護者をはじめ、周りの人たちによって世話をされ、まさに担われていることに思い当ります。けれども、成長するにつれ、私たちは知恵を身に付け、力を身に付け、やがて自立していきます。自立するのは生きていくために必要なのですが、その時、私たちはともすれば、大切なものを見失っていくかも知れません。それは、私たちが造られ、担われ、背負われているという命の真理、人生の本質です。一言で言えば、“生かされてある”という恵みです。それを見失って、自分の力で生きていると思い込み、自分の力だけをあてにしているものですから、時に自分の力を誇り、過信し、時に不安になり、落ち込み、絶望しながら、金だ、名誉だ、肩書だ、行いだ、結果だと、まるで自分の力がすべてであるかのように錯覚して生きているのです。人間だから、現実に対して心が揺れ動くのは仕方のないことだと思います。けれども、その時に、自分は自分の力だけで生きているのではない。むしろ、神によって担われている、背負われている。愛されている、生かされてある、ということを知っているかどうか。その信仰を、私たちが人生の根底に持っているかどうか。それによって私たちの生きる姿勢は大きく変わって来ます。

  毎日見ていた空が変わった。
  涙を流し友が祈ってくれたあの頃、恐る恐る開いたマタイの福音書
  あの時から空が変わった。空が私を見つめるようになった。(『鈴のなる道』より)
 事故によって首から下の体が麻痺して動かなくなってしまった星野富弘さんの詩の一つです。“自分が”空を見ていた。それが今までの星野さんの人生でした。けれども、“空が”自分を見つめるようになった、と人生の見方が逆転します。それは、造られ、担われ、背負われている人生であること。愛され、生かされている命であることに気づいた人の言葉だと思います。
 『たった一度の人生だから』という、星野富弘さんと、聖路加国際病院の院長、理事長を務められた日野原重明先生の対談集があります。その中で星野富弘さんは、こう語っています。
  私は24歳で大怪我をして、そこから人生が変わったと思います。初めは、こういう何の役にも立たない人間が生きていてもいいのかなと思った時期もあったのですが、どんな人間でも、どんな状態でも、人は神さまに必要とされている、大事にされている。聖書を読んでそう気づかされた時、「生きていてほんとうによかった!」と思いました。(『たった一度の人生だから』50頁)
 その対談相手である日野原重明先生は、59歳の時に体験した“よど号ハイジャック事件”が人生の転機だったと言います。人質から解放されて、飛行機のタラップを降り、空港の土を踏んだ時、日野原先生は、こう感じたと言います。
‥私の命は与えられたものなんだとつくづく感じました。あの時の、大地を踏んだ足の裏の感覚を、私は生涯忘れないでしょう。
そして、日野原先生は続けます。
  その経験が、私の生き方を変えたのです。今までの自分は、有名な医者になり、いろいろな仕事をやるのが目標だったけれど、こうして助けられたんだから、これからは自分中心ではない、もっと外に向いた、人のためになるような生き方に転換したいと強く思うようになりました。(『たった一度の人生だから』49頁)
 星野富弘さんや日野原重明先生のような“大事件”ではないかも知れませんが、転機は私たちにも訪れます。その転機の一つは、“老い”を迎えた時だと思います。その時に、「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負っていこう」(4節)という神の御(み)言葉を、心の内に大切に抱きしめている私たちでありたいと思います。神さまに愛され、生かされてある恵みを思う私たちでありたいと思います。
 もう一人、カトリックのシスターであった渡辺和子さんの言葉を紹介します。
 誰しも歳は取りたくないと思いがちですが、ある時、次のような言葉に出会いました。「私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから」。この言葉に出会って以来、私の心には、「財産となるような歳を取りたい」という思いが芽生えました。‥‥‥‥肉体的成長は終わっていても、人間的成長はいつまでも可能であり、すべきことなのです。その際の成長とは、伸びてゆくよりも熟してゆくこと、成熟を意味するのだと言ってもよいかもしれません。不要な枝を切り落とし、身軽になること、意地や執着を捨ててすなおになること、他人の言葉に耳を傾けて謙虚になることなどが「成熟」の大切な特徴でしょう。
  世の中が決して自分の思いどおりにならないこと、人間一人ひとりは異なっていて、お互い同士を受け入れ許し合うことの必要性も、歳を重ねる間に学びます。そして、これらすべての中に働く神の愛に気づき、喜びと祈りと感謝を忘れずに生きることができたとしたら、それはまぎれもなく「成長」したことになり、財産となる歳を取ったことになるのです。(幻冬舎『置かれた場所で咲きなさい』100~101頁)
 造られ、背負われている自分であること。愛され、生かされている“私”であることに気づく時、私たちは救い出されたと言えます。そこから、喜び感謝して、自分らしく、また人のために生きよう、祈ろうとする生き方が生まれます。
「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(4節)。
神の言葉を受け取り、信じて進みましょう。

 

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