坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2019年10月20日 主日礼拝説教「預言者の覚悟」

イザヤ書6章1-10節
説教者:野澤幸宏神学生

◆イザヤの召命
6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
6:8 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。
6:10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」

 

 

                    「預言者の覚悟」

わたしたちの坂戸いずみ教会では、サムエル・ナイトというイベントをここ数年開催しています。皆さんもうよくご存じだと思いますが、中学生や高校生、大学生年齢くらいの青年たちを対象に、教会堂に泊まるものです。これは坂戸いずみだけなく、他教派の教会を含め、いくつかの教会で催されているものです。もちろんただ泊まってワイワイ楽しむだけではありません。たいてい月曜日が祝日の時に、日曜日の夕方に集まって、食事を作り、食べ、短い時間の読書会やみ言葉の分かち合いなどを行い、夕礼拝に出席します。そして会堂の長椅子をベッドにするなどして休み、翌朝は教会堂の掃除や外回りの草むしりなどの奉仕活動をするのです。9月に開催した際には、この礼拝堂のポリッシャー掛けとワックス掛けをしました。ワークミニキャンプとでも言うべきイベントですが、なぜ、これをサムエル・ナイトというのでしょうか。これは、サムエル記上においてサムエルが祭司エリに仕えて神殿で眠っていた時に、神さまからの声を聴き、神さまから召命を受けたことに由来するネーミングです。
そして、聖書にはもう一人、神殿で召命を受けた人物がいます。それが今日のお話の主役、イザヤです。

イザヤという名前は、ヘブライ語で「主は救う」という意味です。彼が預言活動をしたのは、紀元前8世紀、イスラエルの国が南北二つに分かれていた時代の南王国ユダ。アモツの子、エルサレムの貴族階級出身でした。おそらくイザヤも祭司だったのでしょう。若い時のある日、いつものように祭司としての仕事を果たすためにでしょうか、神殿にいた時に、天におられる神さまの玉座を見たのです。その衣の裾が神殿いっぱいに広がっていたというのは、神さまのおられる天上と、地上の神殿とが結び合わされていることを示しています。神殿の敷居が揺れ動くことと、神殿が煙で満ちたことが記されていますが、これは神さまが顕現(けんげん)されること、つまりその姿を人間の前にお示しくださることを表現しています。シナイ山でモーセが神さまから十戒を授けられた時にも、エルサレム神殿が完成した際の奉献祭(ほうけんさい)でソロモン王が祈りをささげた時にも、雲がその場を覆(おお)ったとありますが、ここでの煙はその雲と同じく、神さまがそこにおられることを表現しています。
そしてその周りを、セラフィムという天使のような存在が飛び回っている様子を目にします。セラフィムは、二つずつ対になった六つの翼を持っています。そして、「聖なる」と三度繰り返して神を賛美しています。これは神さまが聖なるお方であることを最大限に表現する賛美の歌なのです。キリスト教会では、古くから教派を越えてこれに由来する「聖なるかな」の三栄唱(さんえいしょう)の賛美歌を歌っています。「万軍の主」という表現も旧約聖書によく出てくる表現ですが、これもまた神さまの栄光を表す表現です。

旧約聖書の世界観では、このような神さまの栄光のお姿を直接見ると死んでしまうと考えられていました。それは、罪深い人間は、絶対的に聖なる神さまとは相いれない、滅ぼされるほかないと考えられていたからです。人間の罪深さ、それは直前の5章に記されているように、「むなしいもの」を追い求めてしまう姿です。富と権力を不正に振るう、現代の情勢不安や環境破壊にも通じる姿です。だからイザヤは「わたしは滅ぼされる」と言っているのです。ヘブライ語の原典のニュアンスにより近付けるならば「もうわたしは滅ぼされてしまった!」というぐらいの表現です。
しかしそのように不安と恐怖におののくイザヤに、セラフィムが燃える炭火を火ばさみで持って近づきます。その炭火をイザヤの口に押し当てるのです。セラフィムという言葉は、そもそも火や炎を表す言葉です。そしてその炎は罪を浄化する力を持つと考えられていました。金属が強い炎によって精錬されるように、預言者の唇は神さまの遣わした炎によって罪清められ、神さまの言葉を告げ知らせる者とされていくのです。
このように神さまは不安を抱く私たちに自ら近寄ってくださり、会いに来てくださり、不安を取り除いてくださいます。ご自身が決してわたしたち人間と完全に隔絶しておられるのではないということを自ら示してくださるのです。それはイザヤの時代より700年の後に、主イエスが人間として肉体を持ってこの世に生まれてくださったことによって、より具体的に実現されていくのです。
イザヤは、神さまのお声を聴きます。「誰を遣(つか)わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」イザヤは間髪入れずに答えます。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と。この言葉通り、イザヤは預言者として、神さまの言葉を世の人々に伝える者としての生涯を歩むことになっていきます。

ここまでなら、前途有望な青年が神さまのお召しに応えて、預言者としての新たな第二の人生を歩みだすという清々(すがすが)しく分かりやすい物語です。しかし、聖書はそれだけでは終わってくれないのです。神さまが民に告げよと言われた内容は、「この民の心をかたくなにせよ、悔い改めて癒(いや)されることのないために」というものです。「悔い改めて癒されなさい」ならば分かりやすいのですが、反対のことが言われているのです。なんとも不可解な言葉です。
しかしそれが、まごうことなき現実です。わたしたちは、自分が間違っていることが自分自身で分かっている時、その間違いを指摘されるとかえってそれを認めたくなくなるという経験を誰しも持っているのではないでしょうか。神さまがわたしたちに告げられる内容は、それほどに明確なのです。どこまでもわたしたち人間は神さまに対して忠実にあることが出来ず、その告げられる内容が真実であればあるほど、かたくなな心にされてしまうのです。
理解するな、悟るな」と告げている9節を素直に読むと、いや、神さまのことを理解できた方が良いではないかと反論したくなります。しかし、そもそも、人間の身では、神さまの全てを理解することなど絶対に出来ません。神学校での3年半の学びで、私がなによりも学んだことは、神さまはわたしたち人間の理解を超えたお方だということでした。聖書を学び、神さまのことを知ろうとすればするほど、神さまの果てしなさを思い知らされるのです。謙虚にされていくのです。「悟るな、理解するな。」という言葉は、人間の限界を忘れることなく、そのように謙虚でありなさいという神さまの忠告なのではないかと思います。
神さまの招く声に応えて歩む道は自分の思い通りには決してならない歩みです。目には見えない神さまに全てを委(ゆだ)ねる、正直言って不安な歩みです。今日のみ言葉の9節以下のように、こうなったらいいなと望んでいることと逆の現実が目の前に迫ります。しかし、イザヤの唇をセラフィムの炭火で清めてくださったように、咎(とが)を取り去り、罪を赦(ゆる)してくださる神さまが共にいてくださる歩みです。ましてわたしたちは新約聖書を知っています。父なる神さまだけでなく、その神さまの言葉が肉となった主イエスのご生涯の歩みと、聖霊となって降り、わたしたちの心を照らしてくださる神さまが、共にいてくださることを具体的に示されています。そこに希望があります。

 神さまの言葉を預かり、告げ知らせる役割を持つのは、決して牧師や牧師を志す神学生だけではありません。現代の教会においては教会に集うわたしたち一人一人の役目です。今聖霊となって共におられる神さまに信頼して、イザヤのように勇気づけられ、それぞれの置かれた場所で、わたしたちの全身全霊を持って、神さまを宣(の)べ伝えていきましょう。

 

記事一覧   https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive
日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/
インスタグラム http://www.instagram.com/sakadoizumichurch524/