坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2019年12月29日 主日礼拝説教 「わたしたちを照らす光」

聖書 ルカによる福音書2章22~38節
説教者 山岡創牧師

       

                     <神殿 で 献 げ られる>      

    22 さて、 モー セ の 律法 に 定め られ た 彼ら の 清め の 期間 が 過ぎ た とき、 両親 は その 子 を 主 に 献 げ る ため、 エルサレム に 連れ て 行っ た。 23 それ は 主 の 律法 に、「 初めて 生まれる 男子 は 皆、 主 の ため に 聖別 さ れる」 と 書い て ある からで ある。 24 また、 主 の 律法 に 言わ れ て いる とおり に、 山鳩 一 つがい か、 家鳩 の 雛 二 羽 を いけ に え として 献 げ る ため で あっ た。 25 その とき、 エルサレム に シメオン という 人 が い た。 この 人 は 正しい 人 で 信仰 が あつく、 イスラエル の 慰め られる のを 待ち望み、 聖霊 が 彼 に とどまっ て い た。 26 そして、 主 が 遣わす メシア に 会う までは 決して 死な ない、 との お告げ を 聖霊 から 受け て い た。 27 シメオン が〝 霊〟 に 導か れ て 神殿 の 境内 に 入っ て 来 た とき、 両親 は、 幼子 の ため に 律法 の 規定 どおり に いけ に え を 献 げ よう として、 イエス を 連れ て 来 た。 28 シメオン は 幼子 を 腕 に 抱き、 神 を たたえ て 言っ た。 29「 主 よ、 今 こそ あなた は、 お 言葉 どおり この 僕 を 安らか に 去ら せ て ください ます。 30 わたし は この 目 で あなた の 救い を 見 た から です。 31 これ は 万民 の ため に 整え て くださっ た 救い で、 32 異邦人 を 照らす 啓示 の 光、 あなた の 民 イスラエル の 誉れ です。」 33 父 と 母 は、 幼子 について この よう に 言わ れ た こと に 驚い て い た。 34 シメオン は 彼ら を 祝福 し、 母親 の マリア に 言っ た。「 御覧 なさい。 この 子 は、 イスラエル の 多く の 人 を 倒し たり 立ち上がら せ たり する ため にと 定め られ、 また、 反対 を 受ける しるし として 定め られ て い ます。 35 ─ ─ あなた 自身 も 剣 で 心 を 刺し 貫か れ ます ─ ─ 多く の 人 の 心 に ある 思い が あらわ にさ れる ため です.

36 また、 アシェル 族 の ファヌエル の 娘 で、 アンナ という 女 預言者 が い た。 非常 に 年 を とっ て い て、 若い とき 嫁い でから 七年 間夫 と共に 暮らし た が、 37 夫 に 死に別れ、 八十 四 歳 に なっ て い た。 彼女 は 神殿 を 離れ ず、 断食 し たり 祈っ たり し て、 夜 も 昼 も 神 に 仕え て い た が、 38 その とき、 近づい て 来 て 神 を 賛美 し、 エルサレム の 救い を 待ち望ん で いる 人々 皆 に 幼子 の こと を 話し た。

 

                    「わたしたちを照らす光」
 12月1日からクリスマスを待ち望んで過ごしたアドヴェントが終わりました。とは言え、キリスト教本来の伝統から言えば、クリスマス・シーズンは、占星術の学者たちが救い主イエス・キリストを礼拝したとされる1月6日まで続きます。
 ところで、先週はルカによる福音書2章8~20節の御(み)言葉を聞きました。その最初に記されている「その地方で羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた」という言葉を聞いて、クリスマスって変だなぁ、と思われたことはありませんか?と言うのは、クリスマスの日は12月25日です。冬です。日本だけでなく北半球の国々は冬のシーズンです。イスラエルも日本とほぼ同じ緯度の位置にあり、当然、冬です。最低気温は現代でも5度以下になるそうです。それなのに、どうして夜通し野宿ができたのだろうか?と変に思ったことはないでしょうか?
 ご存じの方もいるかと思いますが、その“変”の理由は、クリスマスは元々12月25日ではなかったからです。実は、救い主イエス・キリストがお生まれになった日は分からないのです。では、どうして12月25日と定められたかと言えば、その日は元々、ローマ帝国で太陽の神を祭る特別な日だったのです。ちょっと日がズレていますが、古代の人々はその日を“冬至”と考えていました。この日から日中の時間が少しずつ長くなっていく。ですから、人々はこの日を、太陽が生まれた日として祝っていたのです。
 ところが、ローマ帝国内にキリスト教が広まって行き、4世紀頃にクリスチャンたちが“イエス・キリストこそ、私たちの太陽だ”と言って、この日をキリストの生まれた日として祝うようになったということです。
「異邦人を照らす啓示(けいじ)の光」(32節)と、シメオンは幼子イエスを腕に抱いて、賛美しました。イエス・キリストは光です。太陽のように、私たちを明るく、温かく照らす光です。私たちを平安へと導く希望の光‥‥‥シメオンはそのように歌ったのです。この御言葉を黙想しながら、ふとクリスマスの謂(いわ)れを思い起こしていました。

 シメオンは「正しい人で信仰があつ(く)」(25節)かったと記されています。「イスラエルの慰められるのを待ち望ん」(25節)でいた、とも言われています。当時、イスラエルに国はなく、人々はローマ帝国に支配され、重い税をかけられ、苦しめられていました。それだけでなく、ユダヤ教の主流派であるファリサイ派は、掟を守るのに熱心なあまり、その掟によって庶民を非難し、苦しめていました。また、もう一つの主流派であるサドカイ派は、神殿儀礼の形式にこだわり過ぎて、心ある信仰が失われていました。そのように、人々は政治的にも、宗教的にも、光を見いだすことができず、慰めを待ち望んでいたのです。もちろん、シメオン自身も、慰(なぐさ)めを祈り、待ち望む一人でした。
しかも、「主(なる神)が遣(つか)わすメシアに会うまでは決して死なない」(26節)とお告げを受けていたということですから、29節の御言葉と合わせて考えると、相当な高齢であったと思われます。長い年月の間、イスラエルの民衆が、ローマの重税にあえぎ、兵士たちから理不尽な扱いを受け、苦しめられるさまを見聞きしてきたでしょう。シメオン自身、屈辱と怒りを感じ、また涙することも少なくなかったのではないでしょうか。しかも、宗教には慰めを見いだすことができなかったのです。それでも信仰を捨てず、神は自分たちに「救い」を、「光」を、「誉れ」をもたらしてくださるはずだと信じて、長い歳月、絶望しそうになっても諦めず、待ち続け、祈り続けて来たのに違いありません。その祈りが積み重なり、凝(こ)ってできたシメオンの晩年の姿がこれでした。

 そのように祈り続けるシメオンの前に、ヨセフとマリアによって幼子イエスが連れて来られました。初めての子どもを、主なる神にお献げするためです。初めての男子は主のもの、という掟があるからです。神に献げ、しかし神さまから返していただくために、代わりに動物の献げ物をします。貧しい家では、それは山鳩か家鳩でした。
 けれども、主イエスの場合、神に献げることの意味合いが少し違っていたのではないかという説があります。主イエスは、初めての男子として、と言うよりも、ナジル人として献げられたのではないかと言うのです。
 ナジル人というのは、特別な誓いを立てて神に身を献げる人のことで、その誓いを果たすまで髪を切ってはならず、酒を飲んではならない、と定められています。旧約聖書・民数記6章にナジル人の定めが記されています。旧約聖書では、士師記(ししき)のサムソンや、サムエル記のサムエルらがナジル人として知られています。主イエスもナジル人として神に献げられたのではなか、ということです。
 先ほど子供説教で、マタイによる福音書2章13節以下の御言葉を聞きました。イエスが生まれた時、ヘロデ王は、イエスを見つけ出して殺そうとしました。東から来た占星術の学者たちの言葉を聞いて、新しく王となる者が生まれたことを知り、自分の王座がローマ帝国支配下の飾りものとは言え、その地位が脅かされていると感じ、イエスを赤子のうちに殺してしまおうと考えたのです。ところが、学者たちは新しい王、救い主の居場所をヘロデ王に告げず、だまされたと知った王は、ベツレヘムの付近で生まれた2歳以下の男の子を一人残らず虐殺(ぎゃくさつ)したと書かれています。その時、主イエスは、前もって天使のお告げがあり、ヨセフとマリアに連れられてエジプトに脱出していたのです。
 ヨセフとマリアは、この虐殺事件を知って、我が子が今、こうして生きている、いや、生かされているのは、同年代の多くの幼子が代わりに犠牲となってくれたからだ、と強く感じたに違いありません。そうだとすれば、二人が特別な誓いを立てて、主イエスをナジル人として献げたこともうなずけます。そして、神殿で主イエスを献げる時、二人は、次のように祈ったかも知れません。“主よ、この子は多くの幼子たちの犠牲によって生かされました。だから、この子が成長した時、我が身を献げ、自分を犠牲として、一人でも多くの人を慰め、救う人として用いてください”と。
 そして、もしもその祈りをシメオンが聞いていたとしたら、この子こそ「主が遣わすメシア」(26節)だと思い、「あなたの救いを見た」(30節)と感じたとしても不思議ではない。そう確信したからこそ、シメオンは、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」(29節)と感謝の祈りを献げたのだ。年老いた者が、自分の死が遠くない、間近に迫っていることを感じている時に、“平安”という何ものにもまさる人生の慰めを、神さまから与えられたのだ。私は、今日の御言葉を黙想しながら、そのような想像を巡らしていました。

 人生を生きる上で、私たちはだれしも“平安”を望んでいると言ってよいでしょう。順調に行っている時は意識しないかも知れませんが、何らかのきっかけや事情で、不安を抱え、悩み苦しみ、悲しむ時、私たちは強く平安を願い求めるようになります。
 高齢に至り、死を意識するようになることも、そのきっかけとなります。安らかに去りたい。平安に人生の幕を下ろしたい。だれしもそのように考えるでしょう。そのために、身の回りの整理を少しずつ始めたりします。エンディング・ノートを書いたり、遺書を作ったりします。クリスチャンであれば、信仰に平安を求め、天国に入れられ、永遠の命を与えられ、既に召された愛する人と再会を果たすことに希望を抱きます。
 そのような平安の信仰は、一朝一夕(いっちょういっせき)にできるものではありません。御言葉に聴き、従い、祈る生活をしながら、神さまとのお付き合いを積み重ねていく中で、培われていくものです。自分の心ですから、ごまかしはききません。その神さまとの面と向かったお付き合いの中で、信仰成長の鍵となることは何でしょうか?
 私は、34節以下にある、マリアに対するシメオンの言葉に注意を引かれました。
「御覧なさい。この子は‥‥反対を受けるしるしとして定められています。‥‥多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(34~35節)。
 この御言葉を黙想しながら、ふと、主イエスに反対しているのはだれだろう?と思いました。福音書(ふくいんしょ)を読めば、主イエスに反対し、十字架に架けたのは、ファリサイ派であり、サドカイ派であり、祭司長や律法学者、長老たちであり、主イエスを見限った民衆だと分かります。けれども、“自分”に語りかけられている御言葉として黙想した時、主イエスに反対しているのは“私(たち)自身”だと思いました。
 主イエスという光は、私たちを包むように温かく照らす光でもありますが、私たちの心を照らして、心にある思いをあらわにする光でもあります。主イエスと面と向かい合い、聖書の御言葉と真剣に向き合う時、私たちの心の思いはあらわにされます。その時、私たちは、主イエスに反対する自分の心の思いに、自分のエゴに気づかされるのではないでしょうか。主イエスを受け入れず、従わない自分に気づかされるのではないでしょうか。そういう自分の欲望というか、自己執着の頑固さというか、自己中心な我がままさのようなものは、普段、人に見せることはありません。何事もないかのように私たちは振る舞っています。けれども、自分の心はごまかすことができません。常にその問題が自分の中で引っ掛かっているのです。
 そういう自分のいちばん奥にある思いを、神さまはご存知です。そして、人生の根源的な平安を得たいと願うなら、その心の思いを、私たち自身の方からも、神さまの前にさらす以外にないと思います。自分の奥にある、生々しい、だれにも知られたくない思いの場所で、神さまと向かい合う。そこで、神さまに反対している自分の罪を素直に認める。神さまに降参する。そして、神殿で祈った徴税人(ちょうぜいにん)のように、「神さま、罪人(つみびと)のわたしを憐れんでください」(ルカ18章13節)と赦(ゆる)しを祈る。そしてそこで、神の赦しと、自分を丸ごと受け入れる神の愛をいただいたと信じる時、私たちは、自分の包みこむ温かい光を感じるのです。平安を得るのです。安らかに去って行けると思えるのです。後のことは神さまにゆだねて逝(さ)けるようになるのです。

 先週の説教で、既に天に召された内藤留幸先生の文章を紹介しました。内藤先生はまた、2015年の『信徒の友』11月号で、今日読んだシメオンの言葉を黙想して、次のように書いておられます。(11月号13頁、みことばにきく)
 今春、わたしは医師から「肝臓に腫瘍(しゅよう)ができており、既に手術不可能なほどの大きさになっている」と告げられました。認知症の家内の世話で、この数年来、相当疲れを覚えていましたし、かなり前ですが肝炎の既往症(きおうしょう)もあるので、ある程度予想をしていました。が、人生を閉じる日が来たことを知り、やはり重苦しい思いになりました。そして、一人静かに祈りました。そのとき、脳裏に浮かんだのが(この)み言葉でした。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。なんという慰めに満ちた力強い支えのみ言葉でしょうか。わたしは60年余の牧会を静かに振り返りました。そして、「神の恵みによって今日の私があるのです」(Ⅰコリント15章10節)と心の底から思い、感謝を新たにしました。
 幸いなことに、現在のところ痛みはほとんどありませんし、身の回りのことは自分でできますので、生ける日の限り、安らかに終末を迎えられるように祈りの生活に努めたいと思っています。


 内藤先生はきっと、長い年月をかけてみ言葉と祈りの生活を積み重ね、自分の心の奥のいちばん深いところで、救い主イエス・キリストと出会い、悔い改め、赦しと愛による平安を与えられていた。そして、病に際しても、この平安を改めて確認されたのだと思います。私たちも、この平安を求めて、信仰の歩みを積み重ねていきましょう。

 

記事一覧   https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive
日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/
インスタグラム http://www.instagram.com/sakadoizumichurch524/