坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2020年10月18日 主日礼拝説教          「揺り動かす信仰」

聖 書 使徒言行録4章23~31節

説教者 山岡 創 牧師

◆信者たちの祈り
4:23 さて二人は、釈放(しゃくほう)されると仲間のところへ行き、祭司長(さいしちょう)たちや長老たちの言ったことを残らず話した。
4:24 これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造(つく)られた方です。
4:25 あなたの僕(しもべ)であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人(いほうじん)は騒(さわ)ぎ立ち、/諸国(しょこく)の民(たみ)はむなしいことを企(くわだ)てるのか。
4:26 地上の王たちはこぞって立ち上がり、/指導者たちは団結して、/主とそのメシアに逆らう。』
4:27 事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民(たみ)と一緒(いっしょ)になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆(さか)らいました。
4:28 そして、実現するようにと御手(みて)と御心(みこころ)によってあらかじめ定(さだ)められていたことを、すべて行ったのです。
4:29 主よ、今こそ彼らの脅(おど)しに目を留(とど)め、あなたの僕たちが、思い切って大胆(だいたん)に御言葉(みことば)を語ることができるようにしてください。
4:30 どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業(わざ)が行われるようにしてください。」
4:31 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺(ゆ)れ動き、皆(みな)、聖霊(せいれい)に満たされて、大胆(だいたん)に神の言葉を語りだした。

 

         「揺り動かす信仰」
 NHKが放映している連続テレビ小説〈エール〉、11日の礼拝説教でも触れましたが、先週も太平洋戦争中のストーリーでした。作曲家である主人公・古山裕一(こやま・しゅんいち)は、ビルマに派遣(はけん)されている部隊の慰問(いもん)に行き、そこで敵(てき)の襲撃(しゅうげき)に遭(あ)って恩師を失(うしな)い、戦争の現実と悲惨(ひさん)を嫌(いや)というほど味わって帰国します。一方、裕一と衝突(しょうとつ)した義理の妹の夫・五郎は、戦争に反対するクリスチャンの集会に出席し、特高警察(とっこうけいさつ)に見つかり、捕(つか)まります。他のクリスチャンたちは、集まった罪を認めて釈放されますが、五郎だけは、その罪を認めず、“私の体の自由は奪(うば)えても、心の自由は奪えません”と証しして、特高に竹刀(しない)の棒で何度も殴(なぐ)られるシーンがありました。まるで、先週の聖書個所(せいしょかしょ)でペトロが、最高法院で証言した「神に従(したが)わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」(19節)という言葉のようだ、と思いました。ペトロも殴られたのでしょうか?そうだったかも知れません。
                   *
 ペトロとヨハネは、神殿で、主イエスの名によって救(すく)いを語(かた)ったことを咎(とが)められ、牢(ろう)に入れられました。そして、最高法院議会の席で尋問(じんもん)され、主イエスの名によって2度と語(かた)るなと脅され、釈放されます。釈放されたペトロとヨハネは、仲間たちのところへ行き、神殿や最高法院であったこと、祭司長たちに脅されたことを話しました。それを聞いて、一同は神さまに向かって祈りました。
こういう場合、私たちだったら、何と言って祈るでしょうか?恐ろしかったね、ご苦労だったね、というような慰(なぐさ)めの言葉を二人にかけて、“父なる神さま、迫害者たちの手から二人をお守りくださり、感謝します。どうかこれからも、私たちを迫害(はくがい)と脅しからお守りください”と祈るのではないでしょうか。
 ところが、ペトロの仲間たちの祈りは全く違います。まず、主なる神さまが、天地の創造主(そうぞうぬし)であることを告白しています。これには伏線(ふくせん)があるのですが、それについては後でお話します。次いで何を祈っているかと言えば、旧約聖書・詩編2編の御言葉を取り上げて、そのお告げの通りになった。そこに預言されているように、祭司長たちは、あなたがお定(さだ)めになっていたご計画をすべて行い、主イエスに逆らって十字架に架けて殺してしまった。しかも今、主イエスを信じて従っている自分たちにも逆(さか)らって迫害している、と言い表(あらわ)しています。つまり、自分たちが反対され、迫害されるのは、祭司長たちの意思であり、むなしい企(くわだて)ではあるけれど、それは、もっと大きく、深い神さまのご計画の中で定められていたことなのだ、と受け取っているのです。
 迫害され、脅されるなんて、嫌なこと、不都合(ふつごう)なこと、マイナスな出来事(できごと)ではないでしょうか。普通に考えれば、私たちは何であれ、自分にとって嫌なこと、不都合で、マイナスなことは避(さ)けて通りたいでしょう。そういうことが自分の人生に起これば、なかなか納得して、受け入れることなどできません。そこに良いものはない、意味はない、希望はないと思うからです。
 けれども、自分にとって嫌なこと、不都合で、マイナスでしかない出来事が、神さまのご計画の内にあったと信じたら、その出来事は全く違う意味を帯(お)びて来ます。何かとても大切なことを自分に示すきっかけであり、将来につながる希望の種が隠(かく)されていると信じたら、それは自分の人生に必要な出来事に変わるのです。
 しかも、神さまは、彼らが最初に祈ったように、天地の造(つく)り主です。豊かな愛を込(こ)めて、天地を創造し、人間を造り、命をお与えになった方です。世界と人を、極(きわ)めて良かった(創世記1章31節)と絶賛された方です。そして、その世界が人の手で罪にまみれるや、何とか世界を回復しよう、人を救おうとして、ご自分の独り子であるイエス・キリストさえもこの世に送り、その命を犠牲(ぎせい)にして、人を救おうとされる方です。私たちは、この、天地の造り主、“私”の造り主である神さまの“愛”を信じるのです。そして、この方が、“私”のために立てたご計画なら、信頼できる。安心してゆだねられる。それが、信仰による心境(しんきょう)の真骨頂(しんこっちょう)でしょう。
                  *
 私はふと、主イエスが弟子たちに、「何を食べようか‥‥‥何を着ようかと思い悩むな」(ルカ12章22節)、空の鳥を見よ、野の花を見よ、と諭(さと)された御言葉を思い起こしました。神さまは、あなたがたに必要なものをご存じで、ちゃんと与えてくださる。だから、「ただ、神の国を求めなさい」(同31節)とお教えになりました。
 今日の聖書の御言葉は、まさにこの教えと重なるのではないか。神さまは、“私”のためにご計画を立て、私を愛し、必要なものを備(そな)えてくださる。だから、信頼し、ゆだねて、ただ神の国を求めればいい。その神の国を求(もと)めることに当たるのが、「あなたの僕たちが(つまり私たちが)、思い切って大胆(だいたん)に御言葉を語ることができるようにしてください」(29節)と祈り求めることではないか。そう思いました。
                  *
 神さまのご計画を信頼する。神さまの愛を信頼する。その愛と信頼を味わったら、“魂(たましい)”が揺り動かされ、自分の内から言葉が生まれます。「話さないではいられな(く)」(20節)なります。その言葉を聞いた人の魂も、きっと揺り動かされます。
 私は、毎年夏に行われる中高生と青年のキャンプでの分かち合いを思い起こしました。キャンプ・ファイヤーの火を見つめながら、参加した子たちが、自分の悩(なや)みを、痛(いた)みを語り出し、そんな自分に寄り添(そ)い、支(ささ)えてくれる神さまと仲間たちに感謝するのです。また、青年たちは三日目にもう一度、集まって分かち合いをします。自分の心の奥に秘(ひ)めた、いちばん見せたくない“弱さ”を分かち合い、涙し、祈り合います。その場に、その交わりに、神と人の愛があると信頼していなかったら、決してできないことです。
 青年たちは、この証(あか)しと分かち合いを“キャンプ・マジック”と呼びます。ある意味、確かにマジックです。奇跡(きせき)です。愛と信頼を信じる信仰に、その場にいる若者たちが満たされているのです。まさに聖霊の働きです。一人ひとりの心が揺り動かされている。揺り動かされる感動から「神の言葉」(31節)が生まれます。話さないではいられなくなります。「一同の集まっていた場所が揺れ動く」(31節)とは、このことでしょう。聖霊に満たされた「場所」、つまり私たちの一人ひとりの“魂”が揺り動かされるのです。

 

インスタグラム   http://www.instagram.com/sakadoizumichurch524/

坂戸いずみ教会礼拝説教集等  https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/