坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2020年12月20日待降節第4主日クリスマス礼拝説教 「神は世を愛された」

聖 書 ヨハネによる福音書3章16~17節

説教者 山岡 創 牧師

 

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子(みこ)を世に遣(つか)わされたのは、世を裁(さば)くためではなく、御子によって世が救われるためである。

 

        「神は世を愛された」
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節)
 16世紀のドイツにおいて、宗教改革の中心となったマルチン・ルターは、この御言葉(みことば)を“小さな聖書”と呼びました。たとえ何らかの理由で、聖書の他の部分が失われたとしても、この御言葉さえあれば、キリスト教信仰の真髄(しんずい)は伝えられる、という意味です。
 確かに、そのように言うのも過言ではないでしょう。なぜなら、この御言葉には、独り子イエス・キリスト、神の愛、そして永遠の命が語られているからです。
                  *
 イエス・キリストがこの世に生まれたということ。それは、ただ単に一人の“人間”が生まれたということではありません。神の独り子、「独り子である神」(1章18節)が人となってこの世に来てくださったのだ、とヨハネによる福音書は語ります。
そして、父である神が、その独り子を“与えた”と記されています。ということは、イエス・キリストは神さまからのギフトです。プレゼントです。父なる神は、独り子であるイエス・キリストを、この世に、私たちのためにプレゼントしてくださったのです。
 話は変わりますが、皆さんは、〈大草原の小さな家〉という、アメリカのファミリードラマをご存じでしょうか?日本でもNHKで1975年から放映されました。19世紀後半のアメリカ開拓時代、中西部の大草原を舞台に、チャールズ・インガルス夫妻と3人の娘たちの生活を描いた名作です。
 先週、たまたま次女が図書館で、シリーズの一つを借りて来まして、〈プラム・クリークのクリスマス〉という一話をDVDで見ました。クリスマス・シーズンを迎え、貧しいながらも皆それぞれクリスマス・プレゼントを家族に贈りたいと願います。夫のチャールズは、妻に、料理用のストーブをプレゼントしたいと思い、注文のあった馬車の車輪作りに夜遅くまで励みます。妻のキャロラインも、遣(や)り繰りしてお金を貯め、夫のためにあるものを作ります。長女メアリーは、学校帰りに洋服屋さんのお手伝いをし、布を買って、お父さんのシャツをそこで縫い上げます。次女のローラも、また幼い三女のキャリーも、それぞれプレゼントを準備します。何を用意しているかは皆、秘密です。
 やがてクリスマスの日がやって来ました。まずお父さんとお母さんから、子どもたちにプレゼントが贈られます。メアリーには毛皮の上着が、キャリーにはネックレスが、そしてローラには大切にしている子馬に付ける鞍(くら)がプレゼントされます。
 今度はお父さんとお母さんの番です。まずメアリーが、手作りのシャツをお父さんにプレゼントします。お父さんは大喜び。でも、それを見たお母さんは、そっと自分のプレゼントを椅子の下に隠します。と言うのは、お母さんが縫ったシャツの布がメアリーのシャツと同じだったからです。続いてお母さんが、イブの夜に雑貨店から配達された大きな木の箱を開けます。その中には、料理用のストーブが入っていました。けれども、一緒に入っていたカードを見て、お母さんはびっくり。“まぁ、ローラからだわ”。“えっ!?”、それを聞いたお父さんも驚いて、二人は顔を見合せます。
 その時、玄関のチャイムが鳴りました。ドアを開けると、そこには雑貨店の主人オルソンさん。オルソンさんは、ストーブの代金として、ローラが大切にしていた子馬を引き取りに来たのでした。ローラが子馬を渡すために外に出て行った後、二人は困惑しながらも、喜んでローラのプレゼントを受け取ろうと話し合い、戻って来たローラを抱きしめます。最後に、幼いキャリーが買った星の飾りを、“イエス様にプレゼント”と言って、クリスマス・ツリーのトップに飾り、この話は終わります。時間があったら皆さん、ぜひご覧になってください。心がとてもホッコリします。涙が出そうになります。
 それぞれが、贈る相手を思う気持を、そのプレゼントに込めた“愛”を想像してみてください。私は、今日の説教の準備をしながら、この話を思い起こしまして、父なる神は、独り子であるイエス・キリストをプレゼントしてくださるために、どれほどの愛を込めてくださったか。私たちが滅びず、救われ、永遠の命を得るために、どれほど私たちのことを思ってくださったか。ローラが大切な子馬を売って、お母さんにストーブをプレゼントした、その愛を、痛みと喜びを想像すると、神さまの、私たちに対する愛は、それ以上だと思わずにはいられません。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。この御言葉の「世」の代わりに、自分の名前を入れて口ずさみ、自分に注がれている神の愛を、ぜひ味わってください。
神の愛は目には見えず、形なく、ただ、あなたの魂に注がれているもの。あなたを滅びから救い、永遠の命に心の目を開かせるもの。イエス・キリストというプレゼントを通して知り、信仰という器で受け止め、祈りというスプーンですくい、味わってください。礼拝、教会、お互いの愛によって感じ取ってください。
                   *
 この、あふれるばかりの神の愛に包まれている命、包まれ生かされている恵みを信じて生きている命、それを「永遠の命」と言うのです。“永久”という意味ではありません。
 この世にあるものは移り変わっていきます。私たちの人生も変化していきます。嬉しいことや幸せを感じる時があります。でも、それがずっと続くわけではありません。旧約聖書・ヨブ記に描かれているヨブのように、築いて来た地位と名誉を、蓄えてきた財産を失うことがあります。愛する家族や親しい友人を失うことがあります。思いがけない病気や事故に見舞われることがあります。
そういった辛い出来事に、苦しみ、悲しまない人はいません。けれども、大事なことは、絶望に飲み込まれず、苦しみ悲しみの中に、慰めと希望の光を見いだすことではないでしょうか。移り変わっていくもの、失われていくものに頼り、人生の土台をそこに置いていたら、それらが滅びた時、自分の人生も滅びます。変わらないもの、「永遠」のものを、すなわち神の愛を信じ、そこに人生の土台を置いて生きていく時、私たちは、神さまの愛の視点から人生を見直すことができるようになります。神さまの愛の下(もと)にあるなら、無駄なこと、意味のないものはないと受け止め、感謝を思い出すことができます。将来へとつながる希望を見つけ、生きる勇気が湧いて来ます。置かれている現実の中で、穏やかに、平安に生きることができるようになります。他人の痛みが分かるようになり、人にやさしくなることができます。信仰の恵みです。
 信じられるものを持っている人生は、本当に幸いだと心から思います。独り子イエス・キリストを通して、私たちにプレゼントされている永遠の神の愛。この神の愛と共に、キリストの愛とともに、永遠の命へと踏み出し、信じて生きていきましょう。

 

インスタグラム   http://www.instagram.com/sakadoizumichurch524/

坂戸いずみ教会礼拝説教集等  https://sakadoizumi.hatenablog.com/archive

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会.H.P  http://sakadoizumi.holy.jp/