坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

  2021年5月23日 主日礼拝説教 「喜びを妨げるものはない」

聖 書 使徒言行録8章26~40節
説教者 山岡 創牧師

26さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 27フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官(かんがん)が、エルサレムに礼拝(れいはい)に来て、 28帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 29すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
「彼は、羊のように屠(ほふ)り場に引かれて行った。
毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
口を開かない。
33卑(いや)しめられて、その裁きも行われなかった。
だれが、その子孫について語れるだろう。
彼の命は地上から取り去られるからだ。」
34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨(さまた)げがあるでしょうか。」 37† 38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 40フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

 

「喜びを妨げるものはない」
 本日は、聖霊降臨祭(せいれいこうりんさい)ペンテコステを迎えました。イースター、クリスマスと並ぶキリスト教の3大祝祭日の一つで、ペトロら使徒たちに天から聖霊が降ります。聖霊を受けた使徒たちはキリストの救いを宣べ伝え、その福音を信じて洗礼を受けた人々によって最初の教会が生まれたことを記念する日です。言わば“教会の誕生日”です。
 父なる神と子なるキリストが天におられる時、聖霊なる神は、私たちと共におられ、働き、私たちを導きます。とは言え、私たちはたぶん聖霊がよく分からない。少なくとも感覚的にオーラやエネルギーのようなものを感じているわけではないと思います。
 けれども、信仰を持っていると、自分の人生において、喜びや悲しみ、楽しみや苦しみの出来事の中で、そこに備えられた恵みに気づかされることがあります。慰めを味わい、目的を探し当て、道を見つけることがあります。その時、私たちは、これはきっと、聖霊なる神のお導きだったのだ、と感じるに違いありません。
 聖霊は、神のご計画に沿って私たちを導きます。フィリポも、サマリアを離れ、エルサレムからガザへ下る道」(26節)に導かれます。神が備えた目的がそこにあります。
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 その道は「寂しい道」(26節)でした。荒れ果てた道とも訳せますし、言わば“道なき道”だと言えるでしょう。そんな、人も通らないような道を、なぜフィリポは歩いていたのでしょうか?それは、彼がエルサレムで起こった教会迫害から逃げていたからです。サマリアへ逃げ、今度は人気(ひとけ)のないガザへの道へ逃げたのです。
 けれども、その道をもう一人の人物が進んでいました。エチオピアの女王の全財産を管理する高官であり、宦官でした。皆さん、「宦官」ってご存知でしょうか?男性の機能を去勢された官僚のことです。宮殿に集められた女性たちに手を出さないように去勢されて、王様や皇帝に仕える召使いです。結婚もできません。だから、宦官は少なからず男性としての劣等感を抱いていたようです。
 エチオピアの宦官も劣等感にさいなまれ、自分には人間としての価値がないと悩んでいたかも知れません。そして、救いを求めていたかも知れない。けれども、エチオピアの宗教には、自分を苦しみから救ってくれるものがなかったのではないでしょうか。それで、ユダヤ教の神に救いを求めたのかも知れません。当時、ユダヤ教の教えと信仰に賛同して、エルサレム神殿に礼拝に詣(もう)でる外国人が少なからずいたようです。
 でも、エチオピアの政治に携(たずさ)わる高官が、外国の宗教、ユダヤ教を信じているなんて、知られたくなかったに違いない。それで、彼は人気のない「寂しい道」を選んで、国に帰ろうとしていたのでしょう。
 とは言え、ユダヤ教の掟には、去勢した者は、ユダヤの会衆に加わることができない、と定められているのです。それでも、彼がユダヤ教を信じようとしたのは、ちょうど彼が読んでいたイザヤ書に、神の言葉が次のように記されていたからではないでしょうか。
「宦官も言うな。見よ、わたしは枯れ木に過ぎない、と。‥‥宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」(イザヤ56章3~5節)
 宦官は、この神の語りかけに慰められ、自分に備えられた価値を見出し、信じようとしていたのではないでしょうか。「寂しい道」、それは宦官の人生の道を、彼の心の道を象徴的に表していたのかも知れません。そんな寂しさから宦官は脱したかったのです。
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 そんな道で、フィリポは聖霊に導かれて、この宦官と出会うのです。通りがかった馬車の中からイザヤ書を朗読している声が聞こえ、思わずフィリポは近寄り、声をかけたのではないでしょうか。宦官はイザヤ書53章にある〈主の僕の苦難と死〉という箇所を読んでいたようです。それは、神の選んだ僕(しもべ)が、多くの人の罪を背負い、その償(つぐな)いをするために自分の命をささげる、という内容でした。その一部が32~33節の引用です。
 宦官に手引を求められ、フィリポはこの御(み)言葉から主イエス・キリストの教え、十字架の死と復活を語り、主の僕とはイエスのことだと告げ知らせました。主イエスの命と愛によって、人は罪を赦(ゆる)され、どんな人でも愛されて、自分の価値を発見し、喜びの人生に復活することができると語られたに違いありません。
 宦官は、この福音を信じて受け入れます。そして、「洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」(37節)と言って、フィリポから、キリストの救いのしるしである洗礼を受けるのです。普通に考えれば「妨げ」はあります。彼はエチオピアの高官であり、国家的な宗教行事に参列することも度々あったでしょう。キリストの救いを信じて受け入れたことが発覚すれば左遷(させん)、下手をすれば投獄、処刑もあり得るかも知れません。
 それでも、宦官である自分が人として価値を認められている。愛されている。人として大切に思われ、見守られている。その喜びのゆえに、どんな障害も、彼の信仰を、彼の洗礼を妨げることはできなかったのです。
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 一昨日の晩、青年たち数名とズームを使って御言葉の分かち合いを行いました。聖書の箇所は、マルコによる福音書1章のはじめ、主イエスヨハネから洗礼を受ける場面でした。洗礼を受けると、霊が鳩のように主イエスに降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(1章11節)という父なる神の声が、天から聞こえました。
 神さまの心に適うって、どういうことだろう?そんな質問が出ました。一人が、“良い子”じゃないと神さまに気に入ってもらえない、愛されないと思っていたけど、そうじゃないかも知れない、と言いました。神さまの愛って、子どもに対する親の愛情みたいなものではないか。親は、どんな子供でも嫌わずに愛している、という意見も出ました。私たちの存在そのものを神さまは愛してくださっている、と発言した青年もいました。そのとおりです。神さまの心に適うということは、“ああしたから”“こういう人間だから”と条件付きではないのです。神さまは私たちをお造りになった、言わば“親”のようなお方として、私たちがどんな状態でも、どんな罪過ちを犯したとしても、決して見放さない、手を放さない、愛することをやめないお方なのです。その深く、豊かな、無条件の愛を、主イエスの教え、十字架と復活を通して表してくださったのです。
 洗礼とは、自分も「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」だと信じ、神による自分の価値を受け止めたことのしるしなのです。宦官は、「喜びにあふれて旅を続け」(39節)ました。今、礼拝を共にしておられる求道者の方々が、いつか神の愛を信じて洗礼をお受けになることを願います。そして私たち皆が、自分は神さまに愛されている存在なのだと信じて、喜びの人生を歩いていきましょう。

 

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