坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

f:id:sakadoizumi:20210928162158p:plain2021年9月26日 主日礼拝説教  「神が人に約束したこと」 

聖 書 使徒言行録13章26~35節
説教者 山岡 創牧師


26兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏(おそ)れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。 27エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日(あんそくび)ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。 28そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。 29こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。 30しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。 31このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。 32わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音(ふくいん)を告げ知らせています。 33つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、
『あなたはわたしの子、
わたしは今日あなたを産んだ』
と書いてあるとおりです。 34また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、
『わたしは、ダビデに約束した
聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』
と言っておられます。 35ですから、ほかの個所にも、
『あなたは、あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしてはおかれない』
と言われています。 36ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。

「神が人に約束したこと」
 最近、私が1日に1回は食べる食物があります。‥‥それは、サバの缶詰です。健康と食物に関する最近の本は、だいたい糖質を減らしてタンパク質と脂質を多く取りなさい、と言うんですね。そして、ほとんどの本が勧めている食物が、サバの缶詰です。サバ缶には、タンパク質はもちろんですが、体内では作れないDHAやEPAという必須脂肪酸という脂質が含まれているんですね。皆さんも、どこかで聞いたことがあるでしょう。DHAは脳を活性化させ、EPAは血管や血液を良好に保ち、中性脂肪を下げる効果があるそうです。私は、食べる時はほぼほぼサバ缶キャベツにして食べています。
 ガリラヤ湖のほとりで、主イエスはどんな魚を食べたのだろう?湖にサバはいないだろうけど、DHAやEPAを含んだ青魚を食べたのだろうか?今日の31節の御(み)言葉、「このイエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました」を黙想しながら、ふとそんなことを考えていました。
 復活した主イエスが、弟子たちの前で、魚を食べるシーンがあります。ルカによる福音書24章36節以下です。主イエスの死後、弟子たちが籠っていた部屋に、復活した主イエスが何の前触れもなく現われます。弟子たちは、幽霊だ!と疑い、恐れるのですが、主イエスはそれを鎮(しず)めて、自分の手と足を見せ、触らせ、そして魚を食べて見せるのです。そのように自分は幽霊ではないと証明しておいて、主イエスは、わたしの復活の証人となれと、弟子たちに、その役割をお命じになりました。それで、パウロが語っているように、ペトロをはじめとする12弟子は、「今、民に対してイエスの証人」(31節)、復活の証人となっているわけです。
          *
 ところで、復活の証人って何でしょう? イエスは十字架に架けられて処刑されましたが、死者の中から復活しました。私たちは確かに、復活した主イエスとお会いしましたよ。‥‥って、だから何?それが私と何の関わりがあるの?どんな意味があるの?‥‥って話ですよね。主イエスが復活した、と言われるだけでは、私たちはユダヤ人ではないので、よく分からない。さてさて、主イエスの復活って何でしょう?
 33節に「つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」とあります。さあ、キーワードが出て来ました。「子孫」「約束」です。「子孫」ということは、当然“先祖”がいるということです。だれの先祖か?ユダヤ人の先祖です。でも、26節のパウロの呼びかけに、「ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」とありますから、ユダヤ人だけではありません。神を畏れる異邦人の先祖でもあるのです。つまり、現代において神を信じ、礼拝している異邦人である“私たち”の先祖ということにもなるわけです。
 では、先祖とはだれか?聖書に描かれている歴史をいちばん古いところまで遡(さかのぼ)ると、それはアダムとエヴァということになります。旧約聖書・創世記の冒頭に描かれている天地創造の物語の中で、神さまの手で最初に造られた人間です。
 この二人、エデンの園という楽園で、何一つ不自由のない生活をしていました。ところが、蛇が出て来てエヴァを誘惑します。食べてはいけないと神さまから命じられていた善悪の木の実を、誘惑に負けて食べてしまいます。そして、エヴァに勧められてアダムも食べる。それによって、二人は自分自身の善悪を判断するようになります。蛇という存在は、もしかしたら自分の内側に潜む“悪の要素”“悪の声”だったのかも知れません。 それで二人は自分の“悪”を隠そうとして、神さまから隠れます。
 そんなことになっているとは露知らず、神さまは、二人の姿が見えないので、呼びかけ、探し、事情を知ります。事が露見すると、アダムはエヴァのせいにし、エヴァは蛇のせいにして、二人は責任転嫁をし、自己弁護をします。そのために神さまとの関係が壊れ、お互いに人間関係も壊れ、二人はエデンの園を追われます。
 責任転嫁と自己弁護。身に覚えがあるのではないでしょうか?人間の根本的な、最大の“罪”かも知れません。そして、主イエスの復活と聖書の話が、私たちの人生に関係があるとすれば、まずこのこと。私たちも責任転嫁と自己弁護をしながら生きている、という現実です。神さまとの関係を、人との関係を壊しながら、エデンの園ではない人生を生きている、ということでしょう。
 さあ、そんな私たちに、神さまがしてくださった「約束」があります。それが先祖アブラハムと交わしてくださった約束です。壊れた関係を生きている人間の代表として、あなたを“祝福のモデル”とする、と約束してくださったのです。エデンの園でそうであったように、神さまとの愛と赦(ゆる)しの関係を、お互いに人との愛と信頼の関係を、もう一度生きる者とする、という約束です。そして、この約束を子孫にも、つまり私たちにも約束してくださっているのです。責任転嫁と自己弁護から、愛と赦し、信頼の関係に回復する。それは、私たちが幸せに生きるために必要な条件ではないでしょうか。
 けれども、モーセを通して示された律法という祝福の方法を守ろうとすればするほど、それが実行できず、罪が積もり積もっていくばかりです。祝福のモデルどころか、祝福からどんどん離れていく。“行い”では無理だ、ということが分かって来ました。人間、行動で100点満点を求められたら、救われないのです。
 そこで神さまは、この約束を果たすために“最終手段”を取ってくださったのです。それが、神の独り子である主イエス・キリストの投入でした。主イエスは、善い行いができず、これではダメだと絶望したり、逆に自分はできているとうぬぼれ、高ぶって、できない人を否定する人に、行いじゃないよ、確かに行いは大事なこと、でも善い行いができないあなたを、祝福のモデルになれないあなたを、神は分かってくださっている、赦してくださっている、受け入れてくださっている、愛してくださっている。この、神の愛と赦しの下で、まず自己肯定すること、自分は神さまの救いのご計画の中で祝福されているアブラハムの子孫だ、愛されている人間だ、と自己肯定することから始めなさい。そこから始めて、互いに愛し合う関係を心がけていきなさい。失敗しても、悔い改めて、私の愛と赦しを信じて、何度でもチャレンジしなさい。主イエスは、そのように私たちに語りかけ、関わってくださったのです。
 自分は善い行いができている、主イエスの教えは間違いだと、主イエスを認めず、預言書に記されている「救いの言葉」(26節)を理解しようとしない指導者、人々が、主イエスを否定し、神を冒涜(ぼうとく)したと吊るし上げ、十字架にかけて処刑してしまいました。
 どちらの言い分が正しかったのでしょう?「神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです」(30節)。それはつまり、主イエスの言い分が、主イエスの教えが正しいということの証明、それが神の御心(みこころ)に適っているということの証明だということです。
 ようやく主イエスの復活って何?‥‥の答えまでたどり着きました。責任転嫁と自己弁護から、悔い改めて愛と赦しと信頼という幸せを取り戻す。そのために、まず自分は愛されているという自己肯定から始める。そこから始めて互いに愛し合う。失敗しても、信じてチャレンジする。私たちは、主イエスから、そういう人生に招かれているのです。

 

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