坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2022年1月2日 主日礼拝説教  「心を新たにして」               
聖 書 ローマの信徒への手紙12章1~2節
説教者 山岡 創牧師
1こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 2あなたがたはこの世に倣(なら)ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心(みこころ)であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。


「心を新たにして」
 我が家では毎年クリスマスに、家族でプレゼント交換をします。今年で7年目ぐらいになりました。あらかじめくじを引いて、だれにプレゼントをするか決めておきます。そして同じ金額の範囲内で、自分が送ることになった相手が何をもらったら喜ぶかを考えて準備します。これはけっこう悩みます。色んな店に3~4回行って、ようやく決まったという者もいました。でも、贈り物そのものも大事ですが、相手のために考えるその時間と労力が貴重だと思います。
 『賢者(けんじゃ)の贈り物』というオー・ヘンリーの短編小説をご存じでしょうか?若い、貧しい夫婦が、クリスマスに、お互いを思って贈り物を用意します。夫のジムは妻の長く、美しい髪をすくための櫛(くし)を、妻のデラは夫の懐中時計に付ける金の鎖を。ところが、クリスマス当日、ジムが仕事から帰って来ると、デラはショート・カットになっていました。夫にプレゼントを買うために、大切な髪を売ったのです。一方、ジムも懐中時計を持っていませんでした。妻に櫛を買うために、同じことをしたのです。二人のプレゼントは無駄になったのでしょうか?いいえ!二人はクリスマスに最も大切なものを、相手を愛する心を贈り合ったのです。
      *
さて、新年2022年最初の礼拝で、次の御(み)言葉をいただきました。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(1節)。心を新たにするには、まず「自分の体」を献げることからです。
 と言っても、一方的に献げることを求められているのではありません。神さまも私たちに献げてくださいます。だから、これは言わば“プレゼント交換”なのです。
 では、神さまが私たちに贈り物として献げてくださったものとは何でしょう?それは、言わずと知れた、神の独り子イエス・キリストです。ヨハネによる福音書3章16節は、この贈り物の意味を、ズバリと言い表しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。神さまは「世を」、つまり私たちを愛して、私たちが何をもらったら喜ぶかを考えて、ご自分の独り子イエス・キリストを贈り、与えてくださいました。私たちがもらったら喜ぶもの、すなわち「永遠の命」を贈り物としてキリストに持たせ、天から私たちのもとに遣わしてくださったのです。
 永遠の命?何、それ?そんなもの、もらっても嬉しくないよ‥‥‥と思う人もいるかも知れません。確かに、それが何だか分からなければ、そう思うのも当然です。でも、それは端的に言うならば、安心して生きられる命です。人生の喜びと感謝に気づくことのできる命です。自分を肯定し、認めることができる命です。人を愛することができる命です。どんなにお金があっても、地位や権力があっても、社会的な成功があっても、それだけでは決して手に入れることができない、貴重な、幸せの基です。神を信じることができたら、この贈り物がどれほど価値のあるものかが分かります。いや、私たちにはとても想像ができないほどの大きな恵みなのではないでしょうか。
 この贈り物に応えて、私たちも神さまに贈り物をします。プレゼント交換をします。それが「自分の体」です。自分の体を神さまに献げるとは、どのような生き方をしたら神さまが喜ばれるかを考えて生活する、ということです。それが「なすべき礼拝」だと言われています。私たちは、主が復活した日曜日に、主を賛美して礼拝し、そこから送り出されて1週間の平日を、神さまに喜ばれる生活をする。そして、1週間の“生活礼拝”を土台として、日曜日に再び主を賛美する。そういうルーティーンを積み重ねて信仰生活を生きるのです。この生活の中で、永遠の命は深まっていきます。
       *
 では、主に喜ばれる生き方とは?、「何が神の御心か、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる」(2節)生活とはどんな生活でしょうか?
 最近、スティーブン・コヴィーという人が書いた『7つの習慣』(キングベアー出版)という本を、少しずつ読んでいます。その中で、コヴィー氏は、自分自身に約束し、目的を持って生活することが人生の成功の鍵だと書いています。そして、そのためにミッション・ステートメントを持つことが大切だと言っています。それは、“個人的な憲法、または信条”という意味であり、それを文字に書き表しなさい、と言うのです。
 例えば、一つの礼として、ロルフ・カーという人の信条が記されていました。
 まず家庭で成功しよう。神の助けを求め、それにふさわしい生活をしよう。
 どんなことがあっても正直に生きよう。貢献してくれた人たちを忘れず、感謝しよ  う。
 判断を下す前に両者の言い分を聴こう。助言は素直に受けよう。
 陰口を言わず、その場にいない人を弁護しよう。
 誠意を持ちながら、強い決断力を持とう。毎年、新しい才能を一つずつ身につけよ う。
 明日の仕事は今日計画しよう。待ち時間を活用しよう。前向きな姿勢を維持しよう。
 ユーモアを忘れないようにしよう。公私にわたり秩序正しくしよう。
 失敗を恐れず、失敗から学び、成長の機会を逃すことを恐れよう。
 部下の成功を助けよう。自分が話す二倍の時間、人の話を聴こう。
 次の作業や昇進にとらわれず、今行っている作業に全力を集中しよう。
 私は、これを読んだ時、自分がしている“祈り”が、このミッション・ステートメントに相当するものかも知れない、と思いました。コロナ禍の生活の中で、私は朝5時に起きて、〈日毎の糧〉を用いて聖書を読み、黙想し、祈ることが、すっかり習慣になりました。その祈りの中で、私が必ず最初に祈るのが次の言葉です。
 今日も賛美の心を忘れず、思い上がって調子に乗ることなく、
祈りと感謝と愛を持って、謙遜に生きることができるようにしてください。
 怒りを発することがないように、人を非難し、否定する言葉を使わないように
 導いてください。
言わば、これが私個人のステートメントであると言っても良いでしょう。そして、このように生きることができたら、それは神さまに喜ばれる生活だと思うのです。
      *
 自分の体を献げ、神さまに喜ばれる生活をする。それは一言で言えば、神を愛し、自分を愛し、人を愛して、愛に基づいた生き方をするということでしょう。S.コヴィー氏が、先の本の中で、“愛とは動詞である。つまり、愛とは行動することである。愛という気持はその行動の結果に過ぎない”と書いています。私たちも自分なりに、具体的に考え、行動することで、神さまを愛し、自分と人を愛して、神さまの御心に適う生活を、新しい一年も心がけ、一つひとつ実行していければ幸いです。

 

リンク