坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「人為のただ中で進む神の計画」

2022年10月23日 主日礼拝説教

聖 書 使徒言行録23章23~35節

説教者 山岡 創牧師
◆パウロ、総督フェリクスのもとへ護送される 23千人隊長は百人隊長二人を呼び、「今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」と言った。24また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ、25次のような内容の手紙を書いた。26「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。27この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。28そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。29ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。30しかし、この者に対する陰謀(いんぼう)があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」
31さて、歩兵たちは、命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちにアンティパトリスまで連れて行き、32翌日、騎兵たちに護送を任せて兵営へ戻った。33騎兵たちはカイサリアに到着すると、手紙を総督に届け、パウロを引き渡した。34総督は手紙を読んでから、パウロがどの州の出身であるかを尋(たず)ね、キリキア州の出身だと分かると、35「お前を告発する者たちが到着してから、尋問(じんもん)することにする」と言った。そして、ヘロデの官邸にパウロを留置(りゅうち)しておくように命じた。

「人為のただ中で進む神の計画」
 私たちの人生には不思議な瞬間があります。それは、ある出来事や言葉、出会いをきっかけにして、自分の人生の意味と目的を、理屈抜きに、直感的に“悟(さと)る”瞬間があるということです。人生を振り返ってみると、決して良いことや幸せなことばかりではなかった。むしろ、つらいことや苦しいこと、悲しいことの方が多かったと感じる。“なぜ、こんなことが起こるのか?”と不条理な出来事に苦しみ、その原因が分からず、絶望し、人生を、人を、神を呪ったこともあったかも知れません。そういった苦悩に耐えて、前を向いて生きようと努力してきたかも知れません。
 けれども、そういったすべてのことがつながって、“あぁ、今までのことは、この時、この目的のためだったのだ”と悟る瞬間があるのではないでしょうか。神の導(みちび)きを信じて生きていると、必ず、そのように気づき、確信できる時が訪れると私は思うのです。
       *
 裁判では埒(らち)が明かない!パウロを暗殺してしまおう!パウロのことを、神を冒瀆(ぼうとく)する罪人と決めつけ、排除しようと躍起になっているユダヤ人たちは、パウロ暗殺の陰謀を企てました。けれども、その陰謀は事前にパウロの甥(おい)の知るところとなり、パウロへ、そして千人隊長へと知らされます。陰謀を知った千人隊長クラウディウス・リシアは、自分の上司で、カイサリアに駐在するローマの総督フェリクスのもとにパウロを送り届け、保護してもらおうと考えました。そして、その夜のうちに準備を整えて、パウロを送り出します。パウロの人生は、パウロ自身の思うようにはいかず、ユダヤ人たちやローマの千人隊長の思惑によって人為的に運ばれている感があります。
パウロは、教会とクリスチャンを迫害する立場から、回心してクリスチャンとなり、熱心に主イエスの救いを宣べ伝えるようになりました。けれども、かつてのユダヤ人の仲間たちからは、裏切り者!と敵視され、ユダヤ人クリスチャンたちからは、それまでの迫害行為のために、信用できない!と疑われ、パウロの伝道は挫折(ざせつ)します。その後、パウロはキリキア州の故郷タルソスに帰り、数年の間、悶々(もんもん)と過ごしたことでしょう。
ところが、やがてアンティオキアに異邦人の教会が生まれ、旧知のバルナバに誘われたパウロは、この異邦人教会で、異邦人クリスチャンを教える教師となります。そして、この教会を拠点に、海外の異邦人に主イエスの救いを伝道するようになるのです。この時点で、パウロは、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣(つか)わすのだ」(22章21節)と言われた主イエスの言葉を、神のご計画として受け止めたに違いありません。
そして、異邦人のための伝道旅行の末に、数年ぶりにエルサレムに立ち戻った時、パウロは誤解と悪意から、ユダヤ人に殺されそうになり、千人隊長によって保護されました。そして裁判が開かれましたが、埒が明かず、ユダヤ人の陰謀が発覚して、今度は総督フェリクスのもとへ。更にフェリクスのもとで裁判が開かれ、ユダヤ人の大祭司と長老たちから訴えられたパウロは、ローマ皇帝に上訴し、やがて皇帝の裁判を受けるべく、首都ローマへと護送されることになるのです。
エルサレムで、千人隊長リシアの保護下で裁判を受けた日の夜、パウロは幻(まぼろし)で主イエスから「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証(あか)ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(23章11節)と命じられ、励(はげ)まされました。自分の人生に異邦人伝道の目的を確信していたパウロは、いつか広大なローマ帝国の首都ローマに行って、その地で異邦人に主イエスの救いを宣(の)べ伝えようと夢見ていたかも知れません。けれども、パウロのローマ行きは、自分の意思と計画によるものではありませんでした。ユダヤ人の敵意と訴え、千人隊長リシア、総督フェリクス等の思惑に翻弄(ほんろう)され、その流れの中で、パウロがローマ皇帝に上訴したことで首都ローマへと運ばれて行きます。
自分の思うようにはいかない。けれども、ローマに護送され、その地で裁判を待ちながらローマの人々に主イエスの救いを語る機会を与えられて、パウロがローマでも主イエスの救いを証しする目的が実現しました。そしてこの時、パウロは、この時、このことのために、今までの人為的な運びがあったのだと悟ったのではないでしょうか。
私たちには人為的な思惑や計画があります。自分自身の人為があり、また他人の人為が自分の人生に影響を及ぼします。ともあれ、私たちは自分の人生、こうしたいと願い、こうしようと目的を定め、計画を立て、努力します。信仰を持つ者であれば、主イエスに祈り“自分が考えている目的は果たして神さまの御心(みこころ)に適(かな)っているか”と伺(うかが)うこともあるでしょう。祈って神さまの御心を尋ね求めながら進むことは大事なことです。けれども、それが本当に神のご計画であり、自分の人生に備えられた目的だったかどうかは、後になって、その結果から悟ること、確信できることなのではないでしょうか。私たちが“今”できることは、どんな時でも神さまを信頼する信仰を捨てず、失わないこと。主イエスが必ず、自分の人生に大切な意味と目的を備(そな)えてくださっていると信じて歩むことだと思います。言い換(か)えれば、人生にポジティヴな思いを持って歩むこと。その歩みの先できっと、神が備えておられる意味と目的を悟り、感謝できる時が来るのではないでしょうか。
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今日の聖書の御言葉を黙想しながら、旧約聖書・創世記に登場するヨセフの物語を思い起こしました。ヨセフは、神の祝福のルーツであるアブラハムの曾孫(ひまご)に当たる人物です。11人兄弟の末っ子で、我がままで、傲慢(ごうまん)で、空気が読めず、父親からは溺愛(できあい)されましたが、兄弟たちからは憎(にく)まれます。そして遂に野原にいる時、兄弟に陥(おとしい)れられ、エジプトへ向かう商人に奴隷(どれい)として売られてしまいます。エジプトでは奴隷として重宝されますが、主人の妻に罪を着せられ、牢獄に入れられることになります。いったい何年、獄中生活を送ったのでしょうか。やがて人が見る夢の謎を解くことができる力を買われ、ファラオの夢を解くようにと牢から解放されます。そして、今後エジプトに飢饉(ききん)が起こることを予言し、その対策を示したヨセフはエジプトの農業大臣に抜擢(ばってき)されるのです。
やがてエジプトとその周辺に大飢饉が起こり、ヨセフの兄弟たちもエジプトに蓄(たくわ)えられている穀物を買いにやって来ます。ヨセフは一目で、それが兄弟だと気づきます。懐(なつ)かしさと恨(うら)みの入り混じった複雑な感情の中で、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かしました。そして、こう語ります。「今は、わたしをここへ売ったことを悔(く)やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45章5節)。ヨセフはこの時、神の目的を悟ったのです。
私たちも、神を信じて歩むなら、この時、このことのために、神が自分を導いてくださったのだと思える時がきっと来ます。苦しみ悲しみがあれば、落ち込み、くじけそうになります。そんな時、主イエスの言葉をを思い起こし、祈りによって支えられ、“今”がどんな時でも、神の導きを信じて進みたいと願います。

 

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会

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