坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「泊まる場所はありますか?」

2022年12月18日 待降節第四主日礼拝説教

聖 書 ルカによる福音書2章1~7節

説教者 山岡 創牧師

◆イエスの誕生 1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2これは、キリニウスがシリア州の総督(そうとく)であったときに行われた最初の住民登録である。3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上(のぼ)って行った。5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶(おけ)に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

「泊まる場所はありますか?」
 皆さんはもう、マイナンバー登録はなさったでしょうか?日本政府は、現在の健康保険証を2024年秋に廃止し、マイナンバーカードと一体化した“マイナ保険証”に切り替える方針を発表しました。今後、マイナンバーカードは保険証だけでなく、お薬手帳や診察券、運転免許証等とも一つになっていくのだそうです。今までは登録するメリットがあまりなかったので、なかなか登録が進みませんでした。それで登録を促進するために、このような方針が打ち出されたのでしょう。さらに今年12月末までに登録した人への“あめ玉”として、マイナポイントが2万円分与えられるというキャンペーンも展開されています。私は以前、ふるさと納税をした際に、納税の報告が簡単になるということで登録をしました。2万ポイント、ちょっと惜(お)しいことをしたなぁ、と思います。マイナンバー登録、メリットもあるのでしょうが、国が私たち国民を管理しやすい体制に置きたいということなのでしょう。
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 「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」(1節)。2千年ほど前に、ローマ帝国も住民登録をせよと、地中海周辺の広大な領土で生活をしている住民に命じました。ローマ帝国は人頭税という税金の徴収(ちょうしゅう)をしており、住民の数を把握(はあく)して、確実に納税させるためでした。住民を管理しやすいようにしたのです。一体どれほどの数の人が住民登録の手続きをしたのでしょうか。中には、登録するために居住地から移動する人々もいました。特にユダヤ人は、部族の血筋を重んじていたので、いわゆる部族の本籍地に移動をして登録をしたようです。
 ヨセフは「ダビデの家に属し、その血筋であったので」(4節)、かつてユダ族のダビデ王家が所有していたベツレヘムという町へ上って行きました。ナザレからベツレヘムまでの距離は約140キロ、途中はそれほど高さがないとは言え、山道です。徒歩で、しかも身ごもっているマリアとヨセフが、その道を旅することは、とても過酷(かこく)な旅だったに違いありません。だから、ロバに揺られ、ベツレヘムに着いた時、ホッとして陣痛が来たのだとしても不思議ではありません。
 二人は泊まる場所を探しました。けれども、同じように登録のために旅をして来た人々で町は溢(あふ)れ、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(7節)と記されています。出産が目前に迫っているのに安心して泊まれる場所もない。そして、だれも知らないとは言え、人の救いのためにこの世に来られた神の子、救い主であるイエス・キリストは、まともに泊まる場所もないままにお生まれになり、飼い葉桶に寝かされることになりました。だから、その場所は家畜小屋だったのではないかと想像されています。けれども、見方を変えれば、そのような家畜小屋のような場所、飼い葉桶の中こそ、救い主が神の愛を届けるために生まれるべき場所だったと言うことができます。
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 やがて大人になった主イエスが人々に神の愛を届けるべく活動をされた時、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない」(ルカ9章58節)と言われました。まともに泊まる場所もないような伝道の旅でした。そんな主イエスが一度だけ、泊まりたいと言われた場所があります。それは、徴税人(ちょうぜいにん)ザアカイの家でした。
 主イエスが伝道の旅で、エリコという町に来られた時のことです。その町にザアカイという徴税人が住んでいました。徴税人は、支配者であるローマ帝国に税を納めるために住民からお金をかすめ取るような職業として嫌われていました。財産はあるけれど人望がない。親しい友人がいない。悪人、罪人として蔑(さげす)まれるのが徴税人でした。
 そんなザアカイが、噂に聞く主イエスを一目見ようと木の上に登って見下ろしていました。ところが、その木の下を通られた時、主イエスがザアカイに声をかけたのです。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひ、あなたの家に泊まりたい」(ルカ19章5節)。主イエスが唯一、泊まりたいと言われた場所、それがザアカイの家でした。
 町の人々は主イエスのことを、「あの人は罪深い男のところに行って宿を取った」(19章7節)と非難しました。そんな男の家に、どうして主イエスは泊られたのでしょう?それは、ザアカイが「泊まる場所」のない人だったからではないでしょうか。もちろん、家はあります。徴税で儲(もうけ)けていましたから、それなりに立派な家だったでしょう。
 けれども、ザアカイには自分を“人”として受け入れ、愛してくれる人がいませんでした。そういう意味で“心の拠(よ)り所”がありませんでした。自分の魂(たましい)が安心して宿を取れる場所、安心して居られる愛の関係がありませんでした。その意味で、泊まれる場所がない。だから、強がっていても、心底、愛されることを願っていたに違いありません。
 そして、「泊まる場所」のない辛さは、主イエスご自身がよくご存じです。主イエスにはお生まれになった時にも、人に愛を届ける旅の途中でも「泊まる場所」がなかった。それは単純に空間的な場所がない、という問題以上に、人の愛がない、感じられない辛(つら)さだと思います。その辛さを知るからこそ、主イエスは、ザアカイのもとに泊まりたいと、あなたに愛を届けたいと言われたのではないでしょうか。そして、ご自分が確信している神の愛を人に届けた時に、相手の“愛の応答”を期待しておられたのではないでしょうか。
 もちろん、主イエスが届ける神の愛は無償の愛、見返りを求めない愛です。交換条件付き、ギブ・アンド・テイクの愛ではありません。けれども、愛されている喜びを知った人は、だれかを愛するのです。そして、その愛の応答によって、主イエスもまたその人の愛の内に「泊まる場所」を得ることができるのです。
 主イエスを自分の家に迎えたザアカイは言いました。徴税で蓄えた財産の半分を貧しい人々に施(ほどこ)し、残り半分は、だまし取ったかも知れない人に4倍にして返します、と。それは、主イエスを通して神に愛されている喜びを感じたザアカイの、愛の応答でした。ザアカイの魂に神の愛が宿り、それによってザアカイの内から愛があふれ出た瞬間でした。その愛の中にこそ、主イエスの「泊まる場所」があります。
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 今日、ここに集(つど)われた皆さんに改(あらた)めて問います。泊まる場所はありますか?安心して“自分”で居られる愛の場所はありますか?愛を感じ、信じて生きていますか?人生に苦しみ悲しみがあっても、その場所がある人、愛を信じられる人は幸いだと思います。
 最初に住民登録の話がありました。救い主イエス・キリストこそが、私たちの魂に住民登録をしてくださるのです。私たちの内に住み、愛で満たしてくださるのです。その愛を信じ、その愛を感じたら、私たちが住民登録すべきは“神の国”です。目には見えないけれど、神の愛の下、神の愛が溢れる国です。クリスマスとは、神さまが私たちの魂へ住民登録してくださる時、そして私たちの魂を愛の国に住民登録する時なのです。

 

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