坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「あなたがたの髪の毛1本でさえも」

2023年5月7日 主日礼拝説教                    
聖 書  使徒言行録27章27~38節
説教者 山岡 創牧師

27十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。 28そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。 29船が暗礁(あんしょう)に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨(いかり)を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。 30ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、 31パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。 32そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。
33夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧(すす)めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。 34だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」 35こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂(さ)いて食べ始めた。 36そこで、一同も元気づいて食事をした。 37船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。 38十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。

「あなたがたの髪の毛1本でさえも」
 「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」。(34節)
 嵐の海を漂流(ひょうりゅう)する船。生死も定かではない状況の中、そこに一緒に乗り込んでいるすべての人々に、パウロはこのように語りかけました。そのひと言が、不安と苛立(いらだ)ちを抱いている人々の心を、神の前に引き戻し、どれほど慰(なぐさ)め、なごませたか分かりません。
 このひと言の背景には、主イエスの教えがあったと思われます。主イエスは、信仰のゆえに迫害され、捕らえられ、裁判にかけられる弟子たちを励(はげ)まして言われました。「五羽の雀(すずめ)が2アサリオンで売られているのではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛まで一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(ルカ12章6~7節)。神さまは、髪の毛さえ一本残らず数えておられるというほどに、私たち一人ひとりのことを見守り、心に留めてくださっている。だから、人を恐れず、神さまの権威(けんい)と愛に心を向けるようにと主イエスは教えられたのです。
 髪の毛何本‥‥という理屈ではありません。パウロもまた、それほどに神が、嵐の中にいる一人ひとりを心にかけてくださっている、愛してくださっている、と語りかけているのです。“溺(おぼ)れる者は、藁(わら)にもすがる”と言いますが、パウロの信仰の言葉は、人々にとって、藁どころか、どんなに太い“魂の綱”に感じられたか分かりません。
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 船はアドリア海を漂流していました。パウロを、ローマ皇帝の法廷に出頭させるべく、地中海をユダヤからローマへと向かう船は、途中で嵐に遭遇(そうぐう)し、「幾日もの間、太陽も星も見えず」(20節)、漂流すること14日目に及びました。そのような状況で、人々の心から、「助かる望みは全く消え失せようとしていた」(20節)中で、パウロは信仰による希望を語りました。天使を通して神のお告げがあった。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者をあなたに任せてくださったのだ」(24節)と。だから、「船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」(22節)と、パウロは人々を励ましました。
 そうして14日目の真夜中、船員たちは、船が「どこかの陸地に近づいているように感じ」(27節)ました。水深(すいしん)を計ってみると、確かに段々と浅くなっていて、陸地に近づいています。でも、真夜中なので陸地はまだ見えません。暗礁(あんしょう)に乗り上げないように、錨を海に降(お)ろしました。
 ところが、船員たちは「錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろし」(30節)、自分たちだけ船から逃げ出して助かろうとしたのです。パウロがそれに気づき、百人隊長と兵士たちに告げたので、この企(くわだ)ては阻止されました。
 船員たちが留められたことで、兵士たちや、パウロをはじめとする囚人(しゅうじん)たちの助かる可能性が無くならずに済んだものの、船の上の“空気”は非常に険悪なものになったのではないでしょうか。“なんてやつらだ!自分たちだけ助かろうとしやがって!”。兵士や囚人たちは、船員たちに怒りを感じたに違いありません。今まで14日間、パウロの励ましの下で、曲がりなりにも“運命共同体”として助かる努力を一緒にしてきたじゃないか!それなのに、いざ助かりそうな可能性が見えてきたら、俺たちのことを見捨て、自分たちだけ助かろうとするとは!14日間、何も食べず、空腹もMaxでしたから、尚更(なおさら)苛立ったと思われます。船員たちだって言われっ放しではなかったでしょう。売り言葉に買い言葉、自分たちを正当化して譲らなかったのではないでしょうか。船の上は、気持がばらばらになり、対立し、“一触即発(いっしょくそくはつ)”の状態だったに違いありません。
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 その時、パウロの言葉がまたも人々の心に“奇跡”を起こします。パウロは「一同に食事をするように」(33節)勧めました。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです」(33~34節)。“生き延びる”。そのひと言が、皆の頭を冷やしました。生き延びるために、今、争っている場合じゃない。人々は冷静さを取り戻したと思われます。しかも、パウロは「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(34節)と懇(ねんご)ろに語りかけました。だいじょうぶ。神さまはあなたがた一人ひとりの命に、魂に心をかけてくださっている。愛をもって見守り、一人ひとりの必要に応えてくださる。その言葉に、人々は我に返り、己(おのれ)の醜(みにく)さを見つめ直し、自分のことばかりでなく、他人(隣人)のことも考える心の余裕が少しできたのではないでしょうか。信仰の言葉には“人の心の嵐”を静める力があるのです。
 心を静めて自分を見つめながら、人々は皆、パウロが神にささげる感謝の祈りに、神妙(しんみょう)に耳を傾けたことでしょう。そして、パウロと共にパンを裂いて食べた。“平和ってな、一緒にご飯、食べることやもん!”。止揚(しよう)学園の女の子が言った、いちばん根本的な平和が、ここに実現しています。だからこそ、一同は「元気づいた」(36節)のです。単に食事を取ったからという以上に、神の前に自分を見つめ直し、悔い改め、平和が回復したからこその「元気」だと思います。別の言い方をすれば、極限状況の中で、まさに「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)と主イエスが弟子たちに教えた“愛の交わり”が実現しています。
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 感謝の祈りをささげ、パンを裂く。それはある意味で、“礼拝”そのものです。そして、教会は古来“船”にたとえられてきました。嵐のアドリア海を漂流する船の上に、船員、兵士、囚人という立場も考えも全く違う人々が乗り合わせていたように、私たちの教会も、様々な立場、考え、気持を持つ人が共にいます。置かれた状況や抱えている問題も違い、余裕がなくなれば人をいたわる愛も失われ、つい人を傷つける言葉や行動を取ってしまうこともあるかも知れません。それでも、私たちは一人ひとり、神さまに赦(ゆる)された、教会という船の“クルー”です。一人ひとりが船の中でポジションを持った“船員”です。自分のことだけを考えて降りないでください。船が沈みます。欠くべからざる大切なクルーです。御言葉(みことば)によって自分は神に愛されていることを思い起こし、自己中心な心を悔い改め、互いに愛し合い、祈り合い、助け合い、協力し合う。その愛と平和こそ、様々な嵐が起こっても、その嵐の中を教会が進む推進力になります。
 パウロと共に船に乗った人は276人いました。一人も欠けず、無事、島に上陸した(44節)と書かれています。私たちの教会には何人が乗り組んでいるでしょうか?その一員として、皆で共に、“愛と平和”を目指して進みたいと願います。

 

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会

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