坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「教会の歩み ~ キリストの愛とともに」

2023年7月30日 主日礼拝説教 
聖 書 ヨハネによる福音書13章34~35節
説教者 山岡 創牧師(役員・代読)

 34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

「教会の歩み ~ キリストの愛とともに」
 坂戸いずみ教会は今年度、32年目の歩みを進んでいます。コロナ禍による制限も緩(ゆる)くなって、全体での礼拝とともに様々な活動や交わりを再開することができ、感謝です。
 30年余りの歩みの中で、当時のこと、またその後の歩みを知る方も少なくなりました。もしお知りになりたい方がおられましたら、『坂戸いずみ教会20周年記念誌』を差し上げますので、ぜひ読んでみてください。また、ロビーの図書コーナーには30年分の写真が整理してありますので、時間のある時にどうぞご覧ください。
川越市にある初雁(はつかり)教会の開拓伝道によって生み出された私たちの教会は、1991年に日本基督(キリスト)教団から〈坂戸伝道所〉として認可され、1992年4月から独立して、日曜日の礼拝やその他の活動を始めました。当初、初雁教会や他の教会から転籍した教会員が20名おられました。大きな力でした。
 その後、2002年には教会員が28名となり、初雁教会から経済的にも自立して、第2種教会〈坂戸いずみ教会〉を設立することができました。教会の名前を決める時、みんなでワイワイ候補を出し合い、投票で決めたことを思い出します。そして教会員、礼拝出席者、また子どもたちが増えて、小さな家の教会は目に見えて手狭(てぜま)になってきました。そこで、土地購入と会堂建築を決意し、2005年5月に、この会堂に移転しました。ほとんど何もなかったところから、まさに“無から有を生み出す”神さまの御業(みわざ)を、私たちは目の当たりにし、喜び、感謝しました。新しいステージが始まりました。
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 ところで、話は飛びますが、私たちの教会の願いは〈キリストの愛とともに歩もう〉、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)です。一年毎に標語が変わる教会も少なからずあると思います。坂戸いずみ教会もそうでした。けれども、教会として変わることのない標語を定めようということになり、3年間の協議を経て、2016年に〈わたしたちの願い〉として決定しました。
 主イエスは、律法(りっぽう)の中で最も重要な掟は何ですか?と問われた時、「心を尽(つく)し、精神を尽し、思いを尽して、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22章37~39節)とお答えになりました。また、最後の晩餐(ばんさん)の席上では、「あなたがたに新しい掟を与える」(ヨハネ13章34節)と弟子たちに言われ、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(34節)と教えられました。つまり、主イエスは聖書の中で、神への愛と隣人への愛が、神の愛の下に人と人が互いに愛し合うことが最も大切だと考えておられるのです。それが父なる神さまの御心(みこころ)だと考えておられるのです。そういう意味で、私たちの教会の願いを〈キリストの愛とともに歩もう〉と定めたのは、とてもすばらしいことであり、主イエスの意思に叶(かな)うことだと思います。ただし、大切なことはもちろん、この願いと向き合い、それを実現するために祈り、教会の中で、またそれぞれの生活の中で、この願いを実践していくことです。祈り、行動し、また悔い改める生活です。
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 神さまに愛されていることに気づき、信じることも、人を愛することも決して簡単なことではありません。私たちは度々、愛することにおいて失敗するのではないでしょうか。相手を責め、自分を正当化したくなる。相手の言葉を聴かず、その気持を汲(く)まず、自分の意見を通したくなる。相手のために、を考えず、自分のために、を優先し、自己本位に行動する。私も、小さなことから大きなことまで、何度となく失敗しました。
 教会の歩みという点で言えば、私はその1年目に、とても大きな失敗をしました。クリスマス礼拝を喜び祝った翌日、青年の教会員が不慮(ふりょ)の事故で亡くなりました。私と同じ27歳の青年でした。そのご両親も教会員でした。初めての葬儀をどうにか済ませましたが、私は牧師としてそのご両親にどのように接したら良いのか、どのように寄り添ったらよいのか分からず、関わることを恐れていました。
 その後ほどなくして、そのご両親の長女の方、亡くなった青年の妹さんが、他の教会に会員籍を置いていたのですが、この教会に転入会したいと申し出られました。ご両親のことを考えてでしょう、ご両親も大変喜んでおられました。
 ところが、私は役員と相談もせず、その転入会を断ってしまったのです。理由は、その方が東京都内に住んでおられ、礼拝出席や奉仕がなかなかできないだろうと決めつけて判断してしまったのです。当時の私は、自分の家の近くの教会に籍を置き、教会の活力となることが正しい信仰生活だと考えていました。一人ひとりの事情と気持ちを汲むことを怠(おこた)りました。大切なことを見落としていました。
 当然のことながら教会員であるご両親は大きなショックを受けました。深い悲しみに、私は更に大きな痛みを加えてしまったのです。その波紋が教会の中に広がり、教会はその後、数年の間、落ち着かず、ギクシャクしていました。私は教会から逃げ出したいような気持でした。けれども、そのご両親は教会から逃げませんでした。開拓伝道で始まったばかりの教会の会員として責任と役割を負い続けられました。
 この失敗を通して、私は教会と人の救いということについて、ともて大切なことを学ばせていただきました。それは、“正しさは人を救えない。人を救うものは愛だ”ということです。もちろん、正しさを軽んじていいとは思いません。けれども、愛のない正しさは冷たい刃(やいば)となって相手の気持を切り捨てることになります。私は、これが正しいと考えていた教会像、信徒像に、教会を、一人ひとりをはめ込もうとしていたのです。
 一人にとどく教会を造りたい。そう願うようになりました。牧師となって6年目、私はキリスト教関係の小さな冊子に、この時の失敗を踏まえ、〈一人にとどく教会〉と題して次のような文章を書かせていただきました。
 たとえ多少筋(すじ)は通らなくても、一人ひとりの心にとどく暖かさを持った教会、一人ひとりの考えを大事に受け止められる教会、そんな、一人ひとりが安心して居られる教会を造りたい、そういう牧会(ぼっかい)がしたいと今は考えている。そこに“血の通った”信仰の筋は自然についてくると思う。(『形成』1997年5月号・巻頭、椎の木会「形成」委員会)

 愛は教会を造ります。私たちの人格と信仰を造ります。その愛の元は、私たち一人ひとりが、自分が、主イエスを通して神に愛されているという“恵み”です。
 先日の聖書と祈りの会で、御言葉を分かち合った時、一人の方が、あるお坊さんの言葉を紹介してくださいました。“正しいと思っても、思いやりがなければ人を傷つける”。そうだなぁ、と思いました。正しさではなく愛を大切に。人を救うものは愛です。
 愛において私たちは不完全です。でも、愛を目指し、失敗を悔い改めながら進めたらと思います。キリストの愛とともに歩む教会も途上であり、完成はありません。失敗もあります。傷つけ、傷つけられることもあります。でも、あきらめたくない。共に祈り、互いに悔い改め、互いに愛し合うことを志して、教会を造り上げていきましょう。

 

日本キリスト教団 坂戸いずみ教会

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