坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

「このマリアから」

2023年12月10日 待降節第2主日礼拝説教         
聖 書 マタイによる福音書1章1~17節
説教者 山岡 創牧師

◆イエス・キリストの系図 1.アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2.アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、3.ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、4.アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、5.サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、6.エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、7.ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、8.アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、9.ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、10.ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、11.ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。12.バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、13.ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、14.アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、15.エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、16.ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。17.こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

「このマリアから」
 山岡先生、すっかりだまされましたよ。/何だ、幸宏。何の話だ?/いや、マタイによる福音書1章にある系図のことですよ。/系図がどうしたんだ?/初めの1節に「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」ってあるじゃないですか。/あぁ、そうだな。それがどうかしたのか?/だから普通、イエス・キリストはユダヤ人のルーツであるアブラハムの子孫であり、またイスラエル王国を繁栄させた第2代の王ダビデの血筋だと思うじゃないですか?/何だ、そうじゃないのか?/山岡先生、知らないんですか?イエス・キリストって、アブラハムの子孫なんでしょうが、でもダビデ王の子孫、ダビデ王の血筋ではないんですよ。/なぜだ?この系図によれば、イエス・キリストはダビデの血筋、王家の子孫ということになるんじゃないのか?/それが違うんですよ。いいですか。よく見てくださいよ。例えば1節には「アブラハムはイサクをもうけ」とあります。6節には「エッサイはダビデ王をもうけた」とあり、12節には「エコンヤはシャルティエルをもうけ」、16節には「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた」と書かれていますね。/確かに言うとおりだ。/つまり、この系図は、男性が子孫である男性をもうけた、という書き方で書かれているんです。男性中心、男系の系図だということです。/なるほど、そうだな。だが、それとイエス・キリストがダビデ王の子孫でないことと何の関係があるんだ?/話はここからですよ。ところが最後の最後、イエス・キリストのところだけ、“ヨセフはイエスをもうけた”ではなくて、「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(16節)と書かれているんです。/うーん、本当だ。これはどういうことなんだ?/つまり、アブラハムをルーツとし、ダビデ王を祖先とするイエス・キリストの系図は、血筋という点では、ここで途切れている、ということです。/何っ!、イエス・キリストはダビデ王の子孫じゃないのか?!/そうなんです。マタイはたぶん、この福音書を読むユダヤ人のクリスチャンに、イエス・キリストはダビデ王の血を引く王家の血筋だと思わせようとしたんです。何せ、当時のユダヤ人の多くが、救世主メシアはダビデ王の血を引く英雄として生まれると信じ、期待していましたからね。わざわざ系図の中に暗号まで使っているんですよ。/んっ?暗号って何だ?/17節に「十四代」が3回続いて、最後にイエス・キリストが出るじゃないですか。何だかピッタリで話がうますぎると思いませんか?/確かに、何か作為的な匂いがするな。/“14”という数字は、4+6+4という暗号だと言われています。そして、ユダヤ人が遣うへブル語で数字はアルファベットで表すのですが、数字の4を表わすのはD、6を表わすのはV、つまり4+6+4はDVDなんです。/何だ?映画とか見るやつか?/ボケてるんですか、違いますよ。DVDはダビデという名前を表しているんです。/なるほどなぁ。/そうまでして“イエス・キリストは、あなたがたが待ち望んでいたダビデ王の血筋から生まれる救世主メシアです”とユダヤ人に言いながら、実は最後にひっくり返しているんです。「このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」って。マタイさんはいったい何を考えているんですかねー?‥‥
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 マタイが意図(いと)していること、それは、イエス・キリストがユダヤ人だけの民族的な救い主ではない、ということです。ユダヤ人の救い主でもあるけれど、民族を越えて世界のすべての人々の救い主だと言いたいのです。マリアから生まれたという表現は、この後の18節以下で語られていますが、イエス・キリストはマリアの胎に「聖霊によって宿った」(20節)ことを意味しています。人間の血によってではなく、神の意思と力によって宿った。神によってこの世界に救い主として送られた(贈られた)ということです。
 その意図を暗示する別の暗号として、4人の女性の名前が出てきます。「タマル」、「ラハブ」、「ルツ」、「ウリヤの妻」です。この4人に共通しているのは、異邦人だということです。イエス・キリストへとつながっていく系図の中に異邦人の女性が記録されている。これもまた、イエス・キリストがユダヤ人だけの救い主ではなく、異邦人の救い主でもあることを、両者の救い主だということを暗示しているのです。
 けれども、そのことを前面に押し立てると、民族主義的な傾向を持っているユダヤ人クリスチャンが、反発し、葛藤し、教会から離れ去る場合も考えられるので、マタイは「アブラハムの子ダビデの子」の系図、イエス・キリストはその血筋だということを表面に立てているのだと思われます。言わば、ユダヤ人クリスチャンに対する配慮です。仕事でも生活でも、何事も“変える”ことは難しい。まして長い歴史の中で積み重ねられて来た宗教信仰の伝統を変えることは、抵抗感もあり、簡単なことではありません。葛藤があり、時間が必要です。マタイは、そのための配慮をしているのです。
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 私たちもまた、日本の文化的な伝統、宗教的な伝統の中に生きて来た人間として染みついているものがあります。それを修正することは、思っているほど簡単なことではありません。神道や仏教の文化の中で生きて来た私たちが、イエス・キリストこそ唯一の神であり、信ずべき“あなたの神”だと言われても、ピンッと来ないかも知れません。お葬式での焼香や仏壇の問題に悩んだこともあるのではないでしょうか。
先日も長女と“神社仏閣巡(めぐ)りっていいね。あの雰囲気に何か引かれるものがある”といった会話をしました。もちろん参拝するのではありませんが、私も神社仏閣の持つ、自然と一体化した、何とも言えず落ち着く空気感が好きです。そのうち一度ゆっくり京都旅行をして、京都にある神社仏閣を訪れたいと思っています。日本人であれば、そういった感性をほとんどの人が持っているのではないでしょうか。その意味では、日本の教会も、神社のように広い敷地があって、自然の中に礼拝堂が溶け込んであるような雰囲気ならば、日本人がなじみやすいのかも知れません。カトリックの司祭である井上洋治先生は、日本人は欧米のまねをするのではなく、日本的なキリスト教信仰でよいのではなかと提唱しておられます。
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 そのような日本人である私たちに、聖書は、2千年の時を越えて「メシアと呼ばれるイエス」を伝えます。この方こそ“あなたの神”“あなたの救い主”だと語りかけてきます。すんなりと、簡単には信じられないかも知れない。聖書に書かれていることをすべて受け入れることはできないかも知れない。
けれども、神さまは、ユダヤ人にも異邦人にも、そして私たち日本人にも深い配慮のある、広い心をお持ちです。許容してくださいます。待っていてくださいます。教会は、この神さまの広い心を、包容力を、待ち続ける配慮を表わす“愛の交わり”でありたいと思います。そのような信仰と愛の空気の中で、私たちはイエスをメシアと呼べるようになるのです。“私の救い主”と信じられるようになるのです。

 

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