坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

  2021年4月18日 主日礼拝説教  「命の言葉を受け取る」

聖 書 使徒言行録7章37~43節

説教者 山岡 創 牧師

 

7:37 このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』
7:38 この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
7:39 けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退(しりぞ)け、エジプトをなつかしく思い、
7:40 アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』
7:41 彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
7:42 そこで神は顔を背(そむ)け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、/お前たちは荒れ野にいた四十年の間、/わたしにいけにえと供え物を/献げたことがあったか。
7:43 お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿(みこし)やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。』

「命の言葉を受け取る」
 「命の言葉」(38節)って何でしょう?どんな言葉を、皆さん、イメージしますか?あるいは、自分にとって、これっ!と思い浮かぶ言葉はありますか?
 何もできなくても、あなたは生きていていい。私にとって、それは「命の言葉」でした。高校を卒業し、大学受験に臨(のぞ)んでいた時のことです。将来の進路に迷い、受験に失敗した私は浪人生活2年目を過ごしていました。けれども、自分の胸に何かモヤモヤするものがあって、勉強に身が入りませんでした。やがて、受験という目の前の課題から逃げている自分を、生きている価値のない人間と思うようになりました。何もできず、だれの役にも立たない穀つぶし。そう思って苦しみました。
 そのように悩んでいたある晩、先の言葉が、降って湧いたように心に浮かんで来たのです。何もできなくてもお前は生きていていい。それまで思いも浮かばなかった考えでした。それまでは、何かができるから価値がある、何もできないなら生きていてはいけない、と思っていました。だから苦しんでいました。けれども、何もできなくても生きていていい。その言葉を聞いた時、肩の重荷がストンと落ちました。生きるってこんなに軽いことだったんだと感じました。生きることの価値観が180度変わった瞬間でした。
 「命の言葉」とは、聞く人に、生きる勇気を、元気を、希望を与える言葉だと思います。苦しみを支え、悲しみを慰める言葉だと思います。生きる道を示し、その人の命を生かす言葉だと思います。
 もがいていた私の心に、なぜ、そのような言葉が降って湧いたのでしょうか?それはきっと聖書という「命の言葉」を曲がりなりにも聞き続けてきた産物だったのだと思います。信仰的に言えば、聖霊なる神さまの働きとしか言いようがなく、まさに神さまが備えてくださった言葉でした。皆さんも、そんな言葉を何かお持ちでしょうか。
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 イスラエルの人々も、「命の言葉」を聞いたのです。不安を鎮め、安堵し、勇気と希望が湧いて来る言葉を聞いたのです。それは、「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」(37節)というモーセの約束でした。
 モーセは、エジプトで奴隷だったイスラエル民族を、そこから導き出し、解放しました。けれども、奴隷から解放されたとは言え、住む場所はなく、水と食べ物の保証もない流浪の旅。イスラエルの人々の心は不安だらけでした。今の彼らに何が必要か?それは、彼らを励まし、導く言葉でした。魂の確かな土台となる信仰でした。
 そこでモーセは、神さまから「命の言葉」を受けるべく、シナイ山という山に独りで登ります。イスラエルの人々は麓(ふもと)でモーセの帰りをひたすら待ちました。けれども、待てど暮らせどモーセはなかなか帰って来ない。モーセはどうなったのだ?もしかしたら死んでしまったのではないか?自分たちはいったいどうすればよいのか?‥‥そんな不安が彼らの心をよぎりました。そして動揺したイスラエルの人々は、とんでもないことを始めます。それは、自分たちを救い出した神を捨て、自分たちを導く神々を新たに造ることでした。彼らは、金で若い雄牛の像を造り、礼拝しました。何、それ?!、どうして自分が造った像を神さまだと思えるの?と、唖然とします。でも、何の導きも支えもない不安の中に置かれたら、人が取る行動は思いがけないものになるかも知れませんし、つい見えるものを頼りたくなってしまうのではないでしょうか。
 やがてモーセは、十戒と律法を携えて、山を降りて来ます。私はあなたがたをエジプトから救い出し、どんな時もあなたがたを愛し、導く神だ。だから、私の教えを守り、安心して行きなさい。一言で言えば、そういう「命の言葉」を、モーセイスラエルの人々に取り次ぎ、伝えました。彼らはようやく安堵して、旅を再開します。
 ところが、目的地は目前、後は川を越えるだけ、というところまで来て、私は一緒には行けない、とモーセが言い出します。それは、神さまのご計画でした。人々の間には再び不安が広がりました。しかし、その時、モーセイスラエルの人々に語った励ましの言葉が旧約聖書申命記であり、その18章15節にあるのが、「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる」という約束でした。また、シナイ山の時のようになるのかと大きな不安を感じた人々は、あぁ、これでだいじょうぶ、新しい命の導き手が与えられる、と安心したのです。
 やがてこの命の言葉は、千年を超える時を経て、イスラエルの人々の中に、主イエス・キリストという命の導き手を生み出します。主イエスは、神はあなたを愛している、世の終わりまでいつもあなたがたと共にいてくださる、と「命の言葉」の真髄を伝えてくださいました。その主の言葉、「命の言葉」を聞き、信じて、今、教会につながる私たちは導かれ、支えられ、愛と勇気と希望を与えられて生きている、と言うことができます。
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 「命の言葉」は、私たちを救い、生かします。1年前に、この教会から新潟県栃尾教会に牧師として送り出した野澤幸宏先生から、『信徒の友』4月号に、栃尾教会の信徒の証しが載っているので、ぜひ読んでみてください、と勧められました。星野素子さんという方の証しでした。星野さんは3代目のクリスチャン、高校生の時に洗礼を受け、大学で社会福祉を学んで老人ホームで働き、学生時代から付き合っていた夫と結婚して栃尾にやって来た。二人の子どもに恵まれたが、二人目の子が2歳を過ぎた頃、育てにくさを感じた。専門医の診断を受けると、知的障害を伴う自閉症と診断された。落ち込んで、泣いて、でも子育ての概念を180度変えて、我が子に寄り添う日々が始まった。
 やがて、我が子を安心して預けられる場所を求める思いが年々強くなっていったといいます。栃尾には障害児を預かるデイ・サービスがない。自分と同じ困難と願いを抱えている人が栃尾にもいるかも知れないと思い、星野さんは、7年前に障害児の親の会を立ち上げます。そして、大学の恩師に“君はただの障害児の親じゃない。福祉を学んだ障害児の親だ。地域のために君ががんばりなさい”と励まされ、その言葉に神の言葉を感じて、NPO法人〈キッズサポートセンターつむぎ〉を設立したということです。
 息子の障害を大きな心で受け止める夫と娘によっても、私の信仰生活は支えられてきました。置かれた環境や立場を嘆くのではなく、置かれた場所で、今自分に何ができるのか神に聴き、御心のままにこれからも歩んでいきたいと思っています。
星野素子さんは最後に、そのように語っています。
 読ませていただいて、本当に頭の下がる思いです。でも、それ以上に、星野素子さんを救い、生かしている神の言葉、「命の言葉」はすばらしい、と神さまを賛美する思いが湧き上がって来ます。ハレルヤ!です。
 私たちも一人ひとり、「命の言葉」をいただき、支えられ、導かれて、神さまに遣わされ、置かれた場所で歩むことができたら、本当に幸いです。

 

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