坂戸いずみ教会・礼拝説教集

<キリストの愛とともに歩もう>イエス・キリストを愛し、自分を愛し、人を愛して、平和を生み出すことを願います。

2021年10月31日 主日礼拝説教 「苦しみを経なくては」

聖 書 使徒言行録14章21~28節

説教者 山岡 創牧師

 

パウロたち、シリアのアンティオギアに戻る
21二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、
22弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。
23また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
24それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、
25ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、
26そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。
27到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
28そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。

 

「苦しみを経なくては」
 “何が神の王国だ!、何が神の王国だ!”。ローマ皇帝ネロはいまいましそうに叫びました。と言うのは、自分の部下である将軍が、キリスト教徒の貴婦人を愛し、自分の命令に従わず、反抗的な態度を取ったからです。
 ネロが、新しい都を建設するために、古い都であるローマを火事で焼き滅ぼそうとしたことはよく知られています。その火災の原因を、ネロは、キリスト教徒が放火して回ったのだ!とでっち上げます。そして、彼らを迫害し、コロシアムでライオンと戦わせ、処刑しようとしました。そのような政策に、将軍が反対したようで、ネロは怒って“さてはお前もキリスト教徒だな”と疑い、処刑を宣言します。すると、キリスト教の信仰に魅(ひ)かれていた将軍は、“私は神の国に参ります”と毅然(きぜん)と答えます。すると、彼と愛し合っていた貴婦人もすかさず、“私も共に参ります。行きましょう、神の国へ”と応じるのです。そう言って王宮から立ち去る二人の潔(いさぎよ)い、毅然とした後ろ姿に、ネロはその背後から、ヒステリックに、“何が神の王国だ!、何が神の王国だ!”と何度も何度も叫ぶのです。権力ではこの二人の心を屈服させることができなかったからです。
 もう何十年も前に、そんな映画を見た記憶があります。タイトルは覚えていません。確か白黒の映画だったと思います。ネットで検索してみましたが、はっきりとどれとは分かりませんでした。ただ、皇帝ネロのあの叫び声だけが鮮明に記憶に残っています。“何が神の王国だ!、何が神の王国だ!”。神の国、それは、人間の力では屈服させることのできない、滅ぼすことのできない、自由と勇気と愛の国なのでしょう。
         
 「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(22節)パウロバルナバの伝道によってリストラ、イコニオン、アンティオキアで、イエス・キリストを信じる弟子となった人々を、二人はこのように諭(さと)しました。
 実際、これらの町でキリストの救いを宣(の)べ伝えた二人は、迫害という苦しみを受けました。キリストを信じないユダヤ人と異邦人は、二人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)し、町から追い出し、それだけでは飽(あ)き足らず、隣の町まで追いかけて来て、石打ちの刑で殺そうとさえしました。ユダヤ人は、ユダヤ教の集会に参加していた異邦人の多くがキリストを信じたために、彼らを盗られたと妬(ねた)みを感じたからです。また信じない異邦人たちは、自分たちが信じているギリシア・ローマの神々を偶像だと否定され、町を混乱させたことに腹を立てたからでしょう。信教の自由が認められるような時代ではありませんでした。
 パウロバルナバがシリア州のアンティオキア教会に帰った後で、町の人々やユダヤ人たちは、今度は弟子たちを迫害するに違いない。そう考えた二人は、町々の弟子たちを「信仰に踏みとどまるように」(22節)励ましました。苦しみに遭(あ)っても逃げずに、踏みとどまってほしい。その忍耐こそが神の国につながる。喜びに、誇りに、幸福につながる。そう言って、教会の長老を任命し、祈り、彼らの信仰生活を、主イエス・キリストの霊に任せて、二人は帰って行ったのです。
 この後の時代、ネロ帝だけでなく、多くのローマ皇帝が長い間、教会とクリスチャンを迫害しました。キリスト教が特に身分制度に反する思想を持っていたからでしょう。彼らは公の場所や家に集まって礼拝を守ることができず、カタコンベと呼ばれる地下の墓地で、夜、礼拝を守りました。また、クリスチャンだけに通じるイクスースという魚のマークを自宅の入口に刻み、お互いにクリスチャンであることを確かめ合いました。
 ローマ帝国内でどんなに迫害されてもクリスチャンは増え続けました。やがてその勢力を押さえ切れなくなったローマ帝国は、313年にミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認することになるのです。もはや迫害されることなく、自由に礼拝ができる。それはある意味で、「神の国」が実現した、とクリスチャンたちは感じたかも知れません。
         
 「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」。この御言葉は、現代のクリスチャンである私たちにも語りかけられています。とは言え、戦争中はともかく、現代の日本では、信教の自由が認められ、迫害という苦しみはありません。
 けれども、違う意味の苦しみが数多く、私たちを取り巻いています。えー!、苦しみなんて遭いたくないよ、と思います。もちろん苦しみはないに越したことはありませんし、自分の努力で解決し、取り除き、変えられるものならば、そうしたいと思います。しかし、人間の知恵や力ではなかなか変えようのない苦しみ、取り除くことができない苦しみがあります。それを背負い、向き合って生きていく以外にない苦しみがあります。そういう苦しみをどのように受け止めていくかで、私たちの信仰は雲泥の差、天と地ほどの違いができます。まさに人生が“神の国”か“地獄”かという違いになります。
 既に天に召されましたが、私が尊敬している藤木正三牧師は、『灰色の断想』という本の中で、〈悩みの時〉と題して次のような文章を書いておられます。
 ‥‥悩みの時は、順境において見落しているものを発見せしめてくれる時であります。悩みを通して、自分の弱さ、愚(おろ)かさが見えてきますし、人への思いやりの目も与えられてくるものです。要するに、見えていなかったものが見えてくる、その開眼の時でもあるのです。悩みの時に神を求めることが、今まで確かだと思い込んでいた不確かさを発見し、さらに真の確かさである神に開眼する、そういう場合もあるのです。‥‥
(『灰色の断想』40頁)
 苦しむということは、言い換えれば“悩みの時”ということでしょう。苦しみ悩みは、ただ単に人生の不幸なのではなく、“開眼の時”であり、そのきっかけになるのです。そして、心の目が開かれて発見したものに、私たちは、それを知ることができて良かったと、喜び、感謝し、幸せさえ感じることがあるのです。その気持が神への信仰と結びつき、祈りとなるなら、その人の人生は「神の国」にほかなりません。「神の国」というのは単に、地上の命を召された後で迎えられる天国のことではありません。喜びがあり、感謝があり、祈りがあるなら、その人が置かれた場所が、与えられた現実が、備えられた人間関係が、「神の国」となり得るのです。
         
 私たちに語りかけているパウロ自身、そのような苦しみを味わいました。彼は、我が身に一つの“とげ”を感じていました。おそらく眼の病のことだったと思われます。とげが体に刺さっていると痛みを感じるように、パウロも目の病に苦しみを感じ、不自由を感じ、取り除いてくださいとキリストに何度も祈りました。その時、キリストからパウロに与えられた答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12章8節)という御言葉でした。苦しみ悩みの時は、不幸を感じ、不平不満を募らせるのではなく、恵みは十分と受け止めて、苦しみ悩みを活用し、そこにある幸せを探し当てることができる時なのです。神の国に入る道とは、信仰によってハッピー思考で生きる“幸せ探し”の生き方にほかなりません。

 

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